あだ名で働くと、人は「変なアイデア」を出してよくなる
僕は仕事の場で「ハモ」と呼ばれています。
本名ではなく、あだ名です。
最初からそうだったわけではありません。
いつの間にかそう呼ばれるようになって、
いつの間にか、その名前で仕事をするようになりました。
ちなみに「ハモ」という名前は、
「ハモニズム」というアーティスト名から来ています。
ハモニズムという言葉には、
僕の中では意味があります。
調和(ハーモニー)と、思考。
どちらかに寄りすぎず、
極端にならない「あわい」の答えを探すこと。
僕なりに言えば、「調和思考」です。
あとから気づいたのですが、
これは本名の「和人」の「和」とも、
どこかでつながっていました。
狙っていたわけではありません。
でも結果的に、その名前が、
自分の立ち位置をよく表すものになっていました。
本名で働いていた頃の僕は、少し静かでした

本名で会議に出ていた頃の僕は、
今よりずっと「ちゃんとして」いました。
空気を読んで、
話の流れを見て、
「これは今言わなくていいかな」と考える。
別に臆病だったわけではありません。
ただ、
・空気を壊しそうな意見
・本名だったら「それ違うよね」と言われそうな視点
・ちょっと幼稚かもしれない発想
そういうものは、
自然と胸の中にしまっていました。
本名は、人格と直結しています。
評価も、印象も、
「この人はどういう人か」という目線も、
全部まとめて背負っている感じがあります。
だから無意識に、
自分を守る方向に言葉を選んでいました。
正しさに寄りすぎないこと。
ズレすぎないこと。
ちゃんとしていること。
それは大事ですが、
企画やアイデアの場では、
少しだけ息苦しさもありました。
「ハモさんっぽいですね」と言われるようになりました

「ハモ」と呼ばれるようになってから、
会議や社内チャットでのやりとりが、少しずつ変わりました。
何か意見を言うと、
「それ、ハモさんっぽいですね」と返ってきます。
少し変わった企画アイデアを出しても、
「ハモさんなら、まあアリですね」と受け止められます。
最初は冗談のようでした。
でも、だんだん分かってきました。
僕が評価されているのは、
結論そのものよりも、
極端にならない視点の置き方だったのだと思います。
賛成か反対か。
白か黒か。
どちらかに振り切るのではなく、
その間にある違和感を拾うこと。
それが「ハモっぽい」と呼ばれていました。
あだ名は、人格ではなく「役割」を先に出します

あだ名で呼ばれると、
人はその人を「人格」よりも先に、
役割として見るようになります。
ハモは、
・少しズレた視点を出す人
・極端にならない置きどころを探す人
・正解じゃない案も一度出してみる人
そういう前提が、
最初から共有されている感じです。
だから、
変なことを言っても驚かれません。
ズレた案を出しても、否定されにくいです。
むしろ、
それを出さないと物足りない、
そんな空気になります。
結果として、
変なアイデアを「出していい」だけでなく、
出してよくなる状態が生まれました。
あだ名は、免罪符ではなく武器です

誤解されたくないのですが、
あだ名で働くというのは、
責任を軽くすることではありません。
むしろ逆です。
「ハモさんっぽいですね」と言われるということは、
その役割をちゃんと引き受けている、
ということでもあります。
極端にならない視点を出す。
どちらにも寄りきらない案を出す。
少し考える余白を場に残す。
それは、
逃げではありません。
僕にとって「ハモ」という名前は、
そういう立ち位置を引き受けるための武器です。
本名の自分を守るために、
あだ名の自分が前に出る。
その分業があるから、
思い切ったことが言えますし、
仕事としても成立します。
変なことを言っていい自分は、仕事の中にいますか
あだ名じゃなくてもいいと思います。
でも、
変なことを言っていい自分を、
ちゃんと仕事の中に置いているかどうか。
それがあるだけで、
会議の空気は少し柔らかくなります。
議論は前に進みやすくなります。
僕の場合は、
それがたまたま「ハモ」という名前でした。
もしあなたの職場に、
まだそういう居場所がないなら。
名前を変える必要はありませんが、
役割を一つ、増やしてみてもいいのかもしれません。
極端にならない視点を出す人。
あわいの答えを探す人。
それは案外、
ちゃんとした仕事なのかもしれません。
