O spem miram(驚くべき希望)―― 死してなお約束を果たせ、と迫るグレゴリオ聖歌
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今日、8月8日はドミニコ会の創立者、聖ドミニコの記念日です。実はこの記念日、本来の命日のすぐ近くにあります。聖ドミニコが息を引き取ったのは1221年8月6日、イタリアのボローニャ――このシリーズが数日前に「主の変容」の祝日としてご紹介した、あの8月6日です。当時、主の変容はまだ教会全体の祝日ではありませんでしたが、のちに格上げされて8月6日に定着したため、聖ドミニコの記念日は命日そのものではなく、少しだけ離れた日に置かれることになりました。長らく8月4日、そして20世紀後半の典礼暦改革以降は今日、8月8日です。
命日そのものの日にちを、ずっと使えないまま今日まで来た聖人――その巡り合わせにふさわしいのが、今日ご紹介する一曲かもしれません。曲名は『O spem miram』、「おお、驚くべき希望よ」。これは聖母への呼びかけでも、聖書の一節でもありません。聖ドミニコ本人に向かって、彼が死の床で語ったという、ある"約束"の履行を迫る歌です。

1. この曲は何か
これまで二回取り上げてきた曲は、どちらも「対唱(アンティフォナ)」でした。今日の『O spem miram』は少し違う形式で、「応唱(レスポンソリウム)」と呼ばれます。応唱は本来、聖務日課の朗読のあとに、その内容を受けて歌われる歌で、〈応唱本体(レスポンド)→ 独唱者が歌う詩節(ヴェルス)→ 応唱本体の一部を繰り返す〉という、呼びかけと応答を繰り返す構造を持っています。今日の曲でいえば「Imple, Pater, quod dixísti(父よ、あなたが言ったことを果たしてください)」という一節が、詩節のあとに繰り返し立ち返ってくる"繰句"にあたります。
歌詞の背景にあるのは、1221年8月6日、ボローニャで聖ドミニコが息を引き取った、まさにその場面です。ドミニコ会に伝わる話によれば、臨終の床を囲んで泣く兄弟たちに、ドミニコは「わたしは生きているときよりも、死んでからのほうが、あなたがたの役に立てるだろう」という趣旨の言葉を遺したといいます。『O spem miram』は、その言葉をほぼそのまま歌詞に取り込みました。「死の刻に、あなたのために泣く者たちに与えた、驚くべき希望よ。あなたは死後、兄弟たちの益となると約束したではないか」。そして続く一節で、その約束の履行をまっすぐに求めます。「父よ、あなたが言ったことを果たしてください」。
この曲が興味深いのは、一年に一度、記念日にだけ歌われる曲ではない、という点です。この応唱はドミニコ会の終課の書や行列の式次第にも収められており、聖ドミニコの祝日はもちろん、毎月おこなわれる聖ドミニコの祭壇への行列、さらには管区長選挙といった、共同体の節目のたびにも歌われてきたといいます。年に一度の記念というより、ドミニコ会の兄弟たちが自分たちの創立者に、事あるごとに"あの約束"を思い出させるための歌、と言ったほうが近いのかもしれません。
YouTube: ドミニコ会士自身によるグレゴリオ聖歌の紹介プロジェクト
「OPChant」チャンネルより「O Spem Miram O.P.」
Apple Music: アイルランド管区ドミニコ会士による同名アルバム『O Spem Miram』
2. 言葉を、一つずつ
O spem miram — おお、驚くべき希望よ
spes(希望)の対格 spem に、mirus(驚くべき、不思議な)の女性対格 miram が重なります。mirus は miror(驚嘆する)と同じ語根で、英語の miracle(奇跡)ともつながる言葉です。つまりこの一語には、すでに「奇跡のように驚くべき希望」というニュアンスが仕込まれています。ただの慰めの言葉ではなく、常識では測れないほどの希望、というわけです。
quam dedísti mortis hora te fléntibus — 死の刻に、あなたのために泣く者たちに与えた
do(与える)の完了形 dedisti(あなたは与えた)。ここで面白いのは te fléntibus という並びです。fléntibus は fleo(泣く)の現在分詞の与格複数で「泣いている者たちに」。その泣いている理由が te、つまり「あなたのために」――兄弟たちが泣いていたのは、悲しみそのものではなく、ドミニコその人のためだった、という一点まで、この短い一句が拾い上げています。死の床に居合わせた者たちの涙を、そのまま歌詞の文法に閉じ込めているのです。
dum post mortem promisísti te profutúrum frátribus — 死後、兄弟たちの益となると約束したとき
promitto(約束する)の完了形 promisísti。ここで使われている profutúrum は、prosum(役に立つ、益となる)という動詞の未来分詞で、「これから役に立つはずの」という意味です。つまり文法そのものが未来を向いています――ドミニコが交わした約束は、今このときのことではなく、これから先ずっと続く未来についての約束だった、ということを、動詞の形自体が示しているのですね。
Imple, Pater, quod dixísti — 父よ、あなたが言ったことを果たしてください
impleo(満たす、成し遂げる)の命令形 Imple。英語の implement(実行する、道具)も同じ語根から来ています。ここで歌う人々は、ドミニコに「慰めてください」でも「見守ってください」でもなく、「あなたが言ったことを、実際にやり遂げてください」と、かなり具体的な履行を求めています。師父に対する呼びかけとしては、ずいぶん率直な言い方です。
nos tuis juvans précibus — あなたの祈りによって、わたしたちを助けながら
iuvo(助ける)の現在分詞 juvans と、prex(祈り)の複数奪格 précibus。約束を「果たす」その具体的な手段が、ドミニコ自身の執り成しの祈りだ、と歌詞は続けます。天に上げられた聖人に、今度はこちら側のために祈ってほしい、という、いわば約束の"連鎖"がここで閉じられます。
Qui tot signis claruísti in ægrórum corpóribus — 病む者たちの体に、あれほど多くのしるしで輝いた方よ
claréo(輝く、名高くなる)の完了形 claruísti。英語の clear(明らかな)、declare(宣言する)も同じ根から来ています。signis は「しるし」――教会の言葉でいう"奇跡"のことです。aeger(病む)の複数属格 ægrórum、corpus(体)の複数奪格 corpóribus。ここでは、聖ドミニコの列聖の根拠となった、数々の治癒の奇跡が念頭に置かれています。
nobis opem ferens Christi, ægris medére móribus — わたしたちにキリストの助けを運び、病める習わしをも癒してください
ops(力、助け)の対格 opem、fero(運ぶ)の現在分詞 ferens。ここまでは「体の病」の話でしたが、最後の一句で急に言葉が変わります。medéor(癒す)の命令形 medére、そして móribus は mos(習わし、人柄)の複数奪格――先ほどの ægrórum corpóribus(病む体)と、ここでの ægris móribus(病める習わし)が、同じ aeger(病む)という形容詞を使いながら、対句のように呼応しているのです。体の病を治した、その同じ力で、今度は心や暮らしの"病み"も治してほしい、という願いへと、歌はさりげなく舵を切っています。
Glória Patri, et Fílio, et Spíritui Sancto — 父と子と聖霊とに栄光がありますように
聖務日課で詩節のあとに必ず添えられる、栄唱(ドクソロジー)です。父・子・聖霊という三位一体の神への賛美を挟んでから、歌はふたたび「Imple, Pater」の繰句へと戻っていきます。
3. 結局、何を祈っているのか
こうして一語ずつ読んでいくと、この歌が求めているものの輪郭がはっきりしてきます。これは、漠然とした執り成しのお願いではありません。「あなたはこう言った、だから果たしてほしい」――相手の発言そのものを引き合いに出して履行を迫る、かなり具体的な求め方です。ドミニコ自身が、修道会を興す前は教会法を学んだ律修司祭だったことを思えば、この"約束は守られるべきだ"という発想そのものが、いかにも彼らしいとも言えるかもしれません。
そして歌の後半、詩節は「病む体を癒した」という過去の奇跡の実績を確認したうえで、最後の一句でそっと願いの中身を広げます。体の病だけでなく、習わし――つまり人の生き方や心のありようの"病み"も癒してほしい、と。ドミニコが生涯をかけて向き合ったのは、当時異端に傾いていた人々の心そのものでした。奇跡そのものを見世物として求めているのではなく、その力で人の生き方が変わることを、この歌は最後に望んでいるのです。
「父よ、あなたが言ったことを果たしてください」――この一句だけを読むと、まるで契約の履行を迫るようにも聞こえます。けれども、その先にあるのは損得の話ではなく、死してなお人を気にかけ続けた一人の人間への、深い信頼です。
4. 旋律は、どう祈るか
『O spem miram』は「旋法I」、ドリア旋法(プロトゥス正格)で書かれています。終わりの音(フィナリス)はレ、朗誦の中心になる音はラ――この二つの軸で曲全体が組み立てられるのは、これまでの対唱と同じです。けれども応唱というジャンルの違いは、旋律の"密度"にはっきり表れています。
冒頭の「O spem miram」の「mir-」の一音節には、実に十以上の音符が連なる長い旋律の連なり(メリスマ)が置かれています。対唱では言葉のアクセントに合わせて音が伸びたり高くなったりする程度でしたが、応唱ではさらに踏み込んで、一つの音節の上を旋律がしばらく漂うように歌われるのです。しかもその場所が、ほかでもない「驚くべき(miram)」という語の上――言葉そのものが持つ"驚き"の余韻を、旋律がそのまま引き延ばして表現しているようにも聞こえます。詩節「claruísti(あなたは輝いた)」の音の動きにも、同じような長い装飾が置かれていて、"輝く"という言葉が、実際に旋律の中でひときわ長く光っているのがわかります。
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