旅行記:ボッティチェリの作品集
今回はボッティチェリの作品(絵画)を中心に載せました。
昨年(2024年7月)現地で撮影したものが主になりますが、それ以前も含みます。
ボッティチェリのプロフィールは下記、簡単に引用しまとめました。
サンドロ・ボッティチェリ、本名アレッサンドロ・ディ・マリアーノ・ディ・ヴァンニ・フィリペーピ(1444/45生-1510没)はフィレンツェにて皮なめし職人マリアーノ・ディ・ヴァンニと妻スメラルダの間で生まれ、3人の兄と共にオニサンティ教会の近くで育ち、短い期間を別にすると、彼は生涯この地区に住む。
当初は次兄と共に金細工師になるつもりだったが、進路を変更し18歳ごろ(年齢については諸説あり)修道士・フィリッポ・リッピのもとで修業を始め、修業を終えると1470年頃に父の家で工房を経営し、同業者のポライウォーロ兄弟やアンドレア・デル・ヴェロッキオなどと共同制作し、手法の影響も受ける。
1472年には師匠だったフィリッポ・リッピの息子フィリッピーノ・リッピが徒弟の一人であることが組合のリストに記録されている。
1475年ごろからフィレンツェの支配者メディチ家と関わるようになり、また1481年には教皇シクストゥス4世にローマに招かれ、ギルランダイオやペルジーノなどとともにシスティーナ礼拝堂の壁画を描く。
他、代表作はメディチ家から依頼の「春(プリマヴェーラ)」「ヴィーナスの誕生」など。
晩年は庇護を受けていたメディチ家が衰退し追放され、政治にも介入したドメニコ派修道士サヴォナローラの説教に感銘。彼が行った奢侈品や世俗的な芸術品を焼き払うなどの「虚栄の焼却」にも賛同し、その影響からか暗い色彩や表情の宗教画が多くなっている。
1504年にミケランジェロのダヴィデ像設置に関する委員会のメンバーになるが、その頃から没するまでの数年間は作品に着手していない。
没後はオニサンティ教会に葬られた。


ここでは作品の感想や、論説などを中心に記載いたします。
比較するためボッテイチェリ以外の作品も載せてますが、どれも彼と関わりのある人物にしてます😊。
人物像や伝記、当時の歴史背景などは少し最後に少し述べますが、改めて別記事にしたいと思います。
では作品をお楽しみください。
ほぼ制作年順になってますが、描かれている主題を合わせてもいますので、時々年代が前後するかもしれません。


以下全てウフィツィ美術館蔵です。
撮影したものを見直したのですが、下の写真はうまく撮れなかった一枚でした💦
でも上のボッティチェリの絵と何か似ている?と思い載せました。


やはり初期の弟子(ボッティチェリ)のと比べたら、師匠の作品の方が技術的に上かな(*^-^*)
やはりというべきか、フィリッポ・リッピの徒弟時代は聖母子像が多いし、リッピを彷彿とさせるものもあります。
ここに載せている初期のボッティチェリ作はこれだけなので残念ですが、写真集などを見ると他のでは「聖母子と二天使」などリッピの作品と同じようなアングルのものもあり、師弟関係だったんだなっていうのが改めて伝わってきます。

解剖学的に見れば「力」の方が評価が上という論説あり。
以下1475年以降なので30歳くらいからの作品です。
有名な作品も多く、一番活躍していた時期ですね。

向かって一番右側の人物が本人(自画像)です



比較するためレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の絵を載せましたが、これ、私がレオナルドの中で一番好きな絵です。
その上のボッティチェリのトンド2枚、これも好きなのですが。
好きさ加減は置いといて、やっぱり比べるとレオナルドの絵の方がうまいなっていうのが正直なところですね。
でもこの絵は油絵でしたっけ?
油絵具の方がテンペラ画より色の調整が出来、リアリティ感も増せると美術書で読んだかな。
美術館にあるバロック時代の絵画は殆どキャンパスに油絵具ですからね(もちろん画家の腕もあるけど)。
今はPCでもスマホでも、ホントに便利な道具がありますね。
この記事ではAI君を載せるつもりなかったのですが、私が徒然なるままに書く文よりずっと早いし構成もうまいし、表まで一瞬に出来てしまい、自分のそれよりずっと優れているなと思い載せました😂
上の写真を見せて訊きました。
私)…(前略)ウフィツィ美術館にあるボッティチェリ作とレオナルドダヴィンチ作の天使の絵ですが、レオナルド作の方が写実的に見えるのは、油絵具が使われていることもありますか?

はい、その可能性は高いです。お写真で比較されているレオナルド・ダ・ヴィンチの作品に見られるより高い写実性は、彼が油絵具の特性を深く理解し、革新的に使用したことと密接に関連しています。
写実性における油絵具の役割
レオナルドは、フィレンツェの伝統的なテンペラ画(卵黄などをバインダーとする)の時代から、油絵具を主要な画材として本格的に導入・発展させた初期の芸術家の一人です。
レオナルドの技法と油絵具
レオナルドが油絵具を駆使して確立した技法が、彼の作品の写実性を決定づけています。
1.スフマート (Sfumato): 油絵具の乾燥の遅さを利用し、輪郭線や色と色の境目を霧のように曖昧にぼかす技法です。これにより、人物の表情や肉体、特に写真に写っている天使の肌の柔らかさや生命感が、非常に自然で立体的に表現されています。
2.光沢と深み (Luminosity): 油絵具は透明度が高いため、薄い色を何層にも重ねることで、光が層を透過し、反射する際の深みと光沢が増します。これは、テンペラ画では実現が難しく、レオナルドの絵画に独特のリアリティと奥行きを与えています。
ボッティチェリとの対比
ボッティチェリも優れた画家ですが、彼はレオナルドよりもフィレンツェの伝統的なテンペラ技法(またはテンペラに近い技法)の延長線上で描いています。そのため、線が明瞭で、色彩の対比がはっきりしており、優雅で詩的ではあるものの、レオナルドのような極端な写実性や空気感は控えめになります。
結論として、レオナルドの作品が写実的に見える大きな要因は、彼が油絵具の特性を最大限に引き出し、特に「スフマート」技法を用いて、光と影、そして人間の感情の微妙な変化を描き出したことにあります。
では次に下の絵2点。
これらはボッティチェリ作で一番有名なものでしょうか。
相変わらずこれらの絵の前はすごい人で、ツアーの方も多かったですね。
でも数分そこで待ったり、あるいは引き返したりして頑張り、何とか人が写り込まないように撮りました!
自慢じゃないけど下の写真はどれも消しゴム機能は一切使ってませんよ(「写ルンです」時代はそんなものあるわけなかった!)
実はトリミングはしたんですけど😅無人の一瞬を撮ったのはホントです。


有名な「ヴィーナスの誕生」「春(プリマヴェーラ)」の絵も良いのですが、個人的にボッティチェリの中で特に好きな絵はこれら「受胎告知」です。
*見出しも「ヴィーナスの誕生」にする予定でしたが、好きなこの「受胎告知」しました。



ウフィツィ美術館蔵のこの「受胎告知」のフレスコ画ですが、以前はウフイツイの2階に続く階段を通り過ぎた所にあり、見逃しがちでした。
今は他の作品と同様、一般の展示室に飾ってあったので良かったです。
下の絵も私が大好きな「受胎告知」の一つです。

この絵に関して、レオナルド・ダ・ヴィンチが下記のように批判したとのことです。
(前略)私はある絵を見たが、そこでは天使がマリアに受胎告知をしながら、まるで仇敵につかみかかろうとでもしているように部屋から追い立てていたし、マリアの方は絶望のあまり窓から身を投げようとでもしているように見えた。(画家は)このような間違いを犯してはならない」

「つかみかかろうとしている」って発想は、私にはなかったのですが、
「言われてみればそう見えなくもない」ですかね。
「部屋から追い立てていた」とかマリアが「窓から身を投げようとしている(?)」っていうのはちょっとわかりませんが。
「神聖な場面なのに、俗世界的表現だ」と言いたいのだと解釈しましたが、そういう理論や解釈だかは考えず、単に私はこの絵が好きです。
ガブリエルが女性っぽいのが好き。
師匠のリッピの作品でも、とても好きな受胎告知があるのですが、他国所有なので、現物をお目にかかる機会はなさそうなのが残念です⬇
研究者によるとレオナルドはボッティチェリをライバル視していたので、このような批評をしたということです。
自分よりずっと年下のミケランジェロが攻撃的な態度を取って来ても相手にしなかったようだけど、少し年上のボッティチェリに対しては意識していたようです。
私)サンドロ・ボッティチェリとレオナルド・ダ・ヴィンチでは現在の研究者たちから見るとレオナルドの方が評価が高そうですが、2人が活躍していた1480年代ごろのフィレンツェの人たちから見ると、レオナルド・ダ・ヴィンチよりボッティチェリの方が評価が高かったとみて良いですか?

レオナルドは多才でしたが、その革新的な技法や実験的な試みは、当時の人々に必ずしもすぐに理解されたわけではありませんでした。また、彼は一つの作品を完成させるまでに非常に長い時間をかける傾向があり、途中で未完成に終わった作品も少なくありませんでした。
一方、ボッティチェリは、メディチ家を始めとする有力者たちから多くの依頼を受け、当時のフィレンツェで最も人気のある画家の一人でした。彼の作品は、時代精神に沿った美と優雅さで、広く大衆に受け入れられました。
ボッティチェリが高く評価された理由
流行と時代の寵児: ボッティチェリは、メディチ家の人文主義的教養を反映した寓意的なテーマを、優美で洗練されたスタイルで描きました。彼の代表作である**『ヴィーナスの誕生』や『プリマヴェーラ』**は、当時のフィレンツェで流行していた新プラトン主義的な理想美を完璧に表現しており、多くの人々から愛されました。
多作と安定した制作: ボッティチェリは、レオナルドに比べて多作で、依頼された作品を確実に完成させました。これにより、彼は依頼主からの信頼を確立し、安定した名声を得ることができました。
宗教画の需要: 1480年代は宗教的にも大きな転換期であり、ボッティチェリは祭壇画や宗教的主題の作品も多く手掛け、幅広い層からの支持を得ていました。
レオナルドが評価されなかった理由
実験と未完成: レオナルドは、伝統的な絵画の枠を超えた新しい技法や表現を常に探求していました。しかし、その実験的な試みは、時に作品の劣化を招いたり、完成に繋がらなかったりしました。例えば、彼の壁画**『アンギアーリの戦い』**は、技法の失敗により途中で制作が断念されています。
寡作: 彼の関心は、解剖学、工学、地質学など多岐にわたったため、絵画制作に専念することが少なく、現存する完成品はごくわずかです。
革新性の理解不足: レオナルドのスフマート(ぼかし)技法や、光と影を巧みに操る表現は、当時の人々の目には奇異に映ったり、その真価が理解されにくかったりしました。彼の評価は、むしろ後の時代になってから高まっていくことになります。
このように、当時のフィレンツェでは、ボッティチェリが時代の美意識を捉えた人気画家として絶大な支持を得る一方、レオナルドは天才的な探求者ではあったものの、画家としてはまだその真価を広く認められるには至っていませんでした。(Gemini2.5 Flash回答)

好き度は別として、私が子供の時初めて 受胎告知の絵画を見たのはこのレオナルド・ダ・ヴィンチ作なので、インパクトは強いです。
ボッティチェリ作を批判しただけあって、確かに激しい動きなどはなく、凛と構えている感じですかね。
余談ですが私が幼稚園生の時、お遊戯で「大天使ガブリエル」の役を演じたことを未だに覚えてます。
百合の花も(意味も分からず)持たされたな😊
受胎告知の絵が好きなのは、意識しているつもりはなかったけど、その影響かもしれません。


服にでも付いてるの?って見えるかも(当時演劇も盛んだったようだし😅)
専門家の評価や写実的かどうかは別として、改めて2つの絵のガブリエルを見比べたのですが、私はやっぱりボッティチェリの方が好き💛
顔つきが親しみやすいからでしょうね、あと誇張気味な百合の花も😊
実はこのレオナルド作の「受胎告知」ですが19世紀ごろまでヴェロッキオ作またはギルランダイオ作となっていたとのことです。
ギルランダイオは違うだろ~と当初は思ったのですが、マリアの顔がギルランダイオ作「羊飼いの礼拝」を彷彿とさせるかなと。個人的な感想ですが。
ボッティチェリもそうですが、ギルランダイオもヴェロッキオの助手を務めていたこともあったようなので、色々な人の手が入っているのですね。


下の絵はボッティチェリの弟子で、フィリッポ・リッピの息子のフィリッピーノ作のマリア像ですが、顔つきのタッチがボッティチェリにそっくりですね。
父親とは成人する前に死別しているので、技術においては師匠の影響が強いのがよくわかります(模写するように指導を受けて来たのでしょう)。

角度は違うけど、よく似ていませんか?😊


ボッティチェリの晩年の絵を探したのですが、下の昔の写真1枚だけでした。
昨年のウフィツィ美術館でも見た気がするのですが、残念ながら撮り忘れてしまったのかもしれません。
サヴォナローラについては他の記事でも挙げましたので今回は割愛します。(次の記事で必要なことがありましたら取り上げます)

【余談コーナー】
以下Copilotに描かせた、私の漫画原作(少女漫画風)のイメージです。
ボッティチェリがリッピに入門した年については諸説あるため、自分のストーリーにちょうど良いようにサンドロ15歳で、1459年としました。
実際彼は子供の時、軟弱病弱ですぐに職人の弟子にならず、暫く学校に通っていたという説がありましたので、目指していた金細工師のハードな仕事からすぐ座絶してしまったという設定にしてます。


私の中のイメージよりちょっと中性すぎるけど、まあいいか(*^-^*)

👇️このイメージの人、誰だかわかります?

シナリオのシーンを指定したわけじゃないけど、表情が人柄のイメージを物語って生成されたよう。
50代頃のイメージを生成させましたが、実際この人はボッティチェリとは30歳くらい年下です。
年上のレオナルド・ダ・ヴィンチやペルジーノに対して攻撃的な態度を取ったというエピソードがありますが、晩年を迎えてたボッティチェリとは親しかったという説があり、ミケランジェロの方から寄って行ったのでしょうが、ボッティチェリの工房に遊びに行ったとか、また彼宛ての手紙も残ってます(仕事についてのことですが)。
👆申し遅れましたけど、ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)の50代の頃です。(自分の弟子アントニオを、ナンパしようと調子に乗ってるベンヴェヌート・チェッリーニを睨んでる時のイメージにしました🤣)
