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#21 暗黙知は誰のための知識か



前回、自分の中に蓄積されてきたものを見ようとする、という話を書きました。
その中で暗黙知という言葉に触れました。

暗黙知というと、臨床判断の文脈で語られることが多い。
患者さんの異変にいち早く気づく、言語化できないけれど確かな判断力——そういう話として。

でも私が気になっているのは、もう少し別のところです。

ラウンドして患者さんに挨拶するときの、ちょっとした対話の感覚。
バイタルサインを測るとき、何から測ろうとするか。
退室するとき、どこをひと目見てから出るか。
そういう日常の行為の一つひとつに、看護師個人の個別性がある気がしています。

今日はその広い意味での「言葉にならない知識」——暗黙知について、少し違う角度から考えてみたいと思います。

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ポランニーが言ったこと


哲学者のポランニー(Polanyi, 1966)は「The Tacit Dimension」の冒頭でこう書いています。

「I shall reconsider human knowledge by starting from the fact that we can know more than we can tell. This fact seems obvious enough; but it is not easy to say exactly what it means.」

「我々は語れる以上のことを知っている——これは明らかな事実だ。しかしそれが正確に何を意味するかを言うのは容易ではない」

重要なのは、ポランニーはここで「言語化すべきかどうか」を議論していないということです。
彼の問いは「人間の知識とはそもそも何か」という認識論の問いです。
暗黙知は「言語化しようとすればできるもの」ではなく、構造上、言語化できないものとして存在している。
「won’t(しない)」ではなく「can’t(できない)」——それがポランニーの出発点なのではないかと読み取りました。

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「形式知化すべきか否か」という議論のずれ


暗黙知について語られるとき、よく「形式知にして継承すべきかどうか」という議論になります。
組織の知識管理、マニュアル化、次世代への引き継ぎ——「誰かに伝えるために言語化する」という文脈です。

でも少し立ち止まって考えると、この議論は「誰のための知識か」という問いをすっ飛ばしている気がします。

継承や組織のために形式知化するという発想は、暗黙知を「他者のためのもの」として捉えています。
でもポランニーが言っていたのは、知識はそもそも個人の中に宿るものだ、ということでした。

AIがうまく活用できない領域の多くは、看護師が暗黙知として動いているところです。
でもそれを形式知にしてAIに渡す必要があるのか。
言語化できないものを無理に言語化しようとすることで、その知識の本質が失われることがあるのではないかとも思います。

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暗黙知は誰のための知識か

では、暗黙知は誰のための知識なのか。

まず、自分のための知識だと思っています。

「自分がそれを知っている」という事実が、臨床の判断を支えている。
患者さんをひと目見て「何かがおかしい」と感じる感覚——それは誰かに説明できなくても、その場で機能している。
継承できるものは形式知にして引き継ぐべきだけれど、そうでないものは、自分の意識下に置いておくだけでも十分に有用なのではないか。

人間の連続性として、暗黙知は未来の自分の役に立ちます。
経験を積み重ねるほど、言葉にならなくても「知っている」ことが増えていく。
それが患者さんへの関わりの質を変えていく。

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暗黙知の積み重ねが、個別性になる


ここで、#17「私じゃなくてもいい」と思った日のことに戻りたいと思います。

「私じゃなくてもいい」という感覚の正体は、暗黙知を自分の中に積み上げられていないことかもしれない、と今は思っています。

形式知——資格、手技、知識——は誰でも習得できる。
でも暗黙知は、その人の経験と感覚と価値観が積み重なったもので、同じ状況でも人によって違う。
ラウンドのときの対話の感覚、何から測るかという選択、退室前のひと目——それが積み重なっていくとき、「この人じゃないとできない関わり」が生まれていく。

看護師は「誰にでも寄り添える」ことを求められます。
仕事上そうあるべきだと思うし、それは大切なことです。
でも同時に、「誰にでも同じように」という規範が、看護師の個別性を削ぎ落とす方向に働いていることがある気がしています。

もっと看護師の属人化があっていいのではないか、と私は思っています。
この人だから話せた、この人だから安心できた——患者さんがそう感じる関係性は、マニュアルでは作れない。
暗黙知が積み重なった、その人だからこその関わりから生まれるものです。

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私は、看護師の個別性が患者さんの個別性を理解し、個別的な看護を提供することに繋がると思っています。

マニュアル通りだけで動く人ではなく、その人だからできる関わりがきっとある。
その感覚、その判断、その手の動き——それぞれがまったく違う。
みんな違って、みんないい。

暗黙知は、その違いの正体かもしれないとそんな期待をしています。

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*参考文献*

- Polanyi, M. (1966). *The Tacit Dimension.* Doubleday.
- Benner, P. (1984). *From Novice to Expert: Excellence and Power in Clinical Nursing Practice.* Addison-Wesley.
- Papadimos, T.J., et al. (2026). Insights from Michael Polanyi: Tacit knowledge and its critical importance in medical education. *Cureus*, 18(1), e102205.

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