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天使の約束(2)

第二章 ドタキャン男との出会い


2024年度創作大賞応募作品

●前回のお話 第一話はこちら>>

〔本編〕

二月から続いていた繁忙期もやっと終わった。今日は、久しぶりにゆったりと落ち着いた気持ちで迎えた休日の朝だ。

休日は目覚めが良い。

アラームなしでも6時前には目が覚めるから不思議だ。平日は、アラームに起こされてもすぐに起き上がることが出来ないのに。スヌーズ機能で再び鳴ったアラームを止めて、しばらくしてまたアラームが鳴り、また止めてということを繰り返している。

パソコンの画面を見すぎて恐ろしいくらいに体のあちこちが凝っている。少々ストレッチしたくらいでは完全に凝りはほぐれないけど、やらないよりましか。

しばらくベッドに腰かけて肩や首のストレッチをする。立ち上がって、前屈したり側屈したり腕を回したりしてからカーテンを開けた。春の日差しがまぶしく輝いている。

今日みたいな日は、まだ桜が咲いていると分かっていたら迷わずにどこかの公園へお花見にでかけていただろうな。彼を誘って・・・と、もう付き合っていないのについ考えてしまう。

窓から見える庭の桜の木は、花が咲いていた気配だけを残してすっかり葉桜になっている。花が一番きれいに咲いていただろう四月のはじめは、仕事に忙殺されて窓の外を見る余裕がなかった。

毎年のことだが、年が明けた一月の終わりから4月にかけては部の仕事が繁忙期で、とても神経を使う。

今年は、例年と違って特に忙しく、何でこんなことでミスをするのか自分でもわからないくらい酷い状態だった。プライベートでは2年間付き合っていた彼と繁忙期に入る直前に別れた。理由は些細な事だ。きっと。はっきりとは聞かなかったけど。

「そうだ、今日は映画を観よう」

早速ノートパソコンを開き、上映されている作品をチェックしてみる。明るい気持ちになれそうな洋画が観たいなと思う。

春陽は、昔から一人で映画館へいくことが好きだった。観たい作品があれば事前にインターネットネットで座席を確保する。そう、お気に入りの最後列真ん中の席を選びたいから。

とはいえ、映画が見たいという気持ちに応えてくれるワクワクしそうな作品が上映していないこともある。そんな日はとりあえず映画館へ行き、すぐに観られそうな作品を選ぶのだ。

一通り映画館の上映作品をチェックしたが、特にぴんとくるものがなかった。

映画館に着いたときの気分で選べばいいか。
絶対見たいわけじゃないし。

系列が同じ映画館なら上映されている作品もほぼ同じなので、いつもの映画館へ行こう。パソコンを閉じて、部屋を出て一階へ降りた。

「お父さん、おはよう」

リビングをのぞいてみるが父はいない。その代わり、大きな俵型のおにぎりが3個と卵焼きと小さなメモがテーブルの上に置かれていた。メモには【サラダとおかずは冷蔵庫の中】と書かれている。

「お~、お弁当のおすそわけね。おにぎりの具は何かな・・」

そういえば先週、父は今日、教室の生徒さん数人と一緒に山歩きに出かけると言っていた。早起きしてお弁当を作り、私が起きる前に出かけてしまったようだ。いったい何時に起きたのだろうか。

・・◆◇・・

普段私よりも遅くに起きる父は、近所をウォーキングした後ゆっくりと朝ご飯を食べてから経営しているパソコン教室へ出かけていく。

昼間は講師として生徒さんに教えているが、夜はスタッフに講師を任せている。最近は閉店作業もまかせられるようになったとかで、事務作業や雑用をこなしたとしても17時前後には帰宅しているようだ。

決まった休みは週に一度。その代わり一日の労働時間は一般的な会社員よりも短い。今日のようにハイキングや旅行へ行くために2~3日の連休を取ることもある。自分の裁量で時間や休みを決めることが出来る父の働き方がちょっぴりうらやましくもある。

母は私が高校2年生の時に亡くなった。

もともと体が強いほうではなく、風邪が悪化して肺炎になったことが原因だった。入院を勧められたのに自宅療養を選んだことが災いした。ゆっくり寝ていればいいのに、家のことが気になって私たちが知らないところで無理をしていたようだった。

当時父は機械メーカーでエンジニアをしていたが、母の死後早期退職をして中高年を対象にしたパソコン教室を開いた。

会社員の時は残業でいつも遅かったから、母の死をきっかけに家族の時間を、あるいは自分自身のことも大切にしようと思ったのかもしれない。

父が作る夕食は最初ひどいものだったが、半年を過ぎた頃には母に負けないくらいの家庭料理を作れるようになっていた。きっと、かなり努力をしたのだろうと思う。

私も料理を覚えようと思ったが一週間で挫折した。作るより食べるほうが楽しい。いまだに、ほとんど料理はしない。作るたびに形が違う卵焼きとみそ汁を作るのがせいぜいだ。

あの頃、会社を辞めた父が夕食の時間に必ず家にいるようになったことを、私も兄も鬱陶しく思っていた。

でも、今は感謝している。

母がいなくなった家での夕飯は、父が退職するまでコンビニのお弁当ばかりだった。4つ上の兄との喧嘩も増えていたし、家に帰るのが嫌だった。もし父が会社を退職せずにいたら、私は家出をしていたかもしれない。

三人での生活が8年を過ぎた昨年、兄が結婚をして家を出た。兄の奥さんは一つ年上の姉さん女房で明るく優しい人だ。私は父と二人、程よい距離感で穏やかな親子関係を保ちながら暮らしている。

・・◆◇・

テレビをつけてから、冷蔵庫の中のサラダを取り出しおにぎりをほおばる。

今日は行楽日和なのでどこに行っても混雑が予想されるとニュースのお姉さんが言う。お出かけスポット特集の後は、スイーツの話題に変わった。今の時期のおすすめは、抹茶を使ったものや草団子をアレンジしたものが多いようだ。

彼氏のいない休日に思い付きで一人ぼっちで出かけられるところ・・・やっぱり映画しかないよね。

映画の後はテレビで紹介されていた抹茶の和スイーツが売っている和菓子屋さんへ行ってみよう。

食べきれなかった3つ目のおにぎりは冷蔵庫へ入れ、テレビを消して、洗面所の隣にある浴室へ向かう。

休日前夜は入浴をせずに簡単にシャワーで済ませることが多い。少しでも早く眠りたいからだ。朝早く目覚める休日の朝は、リフレッシュも兼ねてゆっくりと朝風呂に入る。時間を気にせずにゆっくりと体を温めることで、一週間の疲れから徐々に解放されていくような感覚が好きだ。

湯船につかって小さくため息をついたあと、少し体を沈めた。

唇に温かさを感じながら指先を見つめた。ネイルもしばらく行っていない。髪も伸びたな。お湯の中で揺れる毛先を見つめた後、頭皮に触れてみる。固い。美容室にもそろそろ行かなきゃ。頬を軽くつねってみると気持ちいい。

体だけでなく顔も頭も凝っているのかもしれない。

そういえば、この数か月思いっきり笑ったこと、あったっけ? 無かったと思う。

入浴タイムを十分に堪能し、洗いたての髪をタオルドライしながら冷蔵庫の中の飲み物を物色する。ビールでも飲みたい気分だがまだ朝だ。糖分が入っていない炭酸水を取り出し、ゆっくりと飲んだ。

いつものようにほどほどにお化粧をして、髪も適当にまとめ、ウエストを締め付けないレース生地のワンピースを着る。そうだ、お母さんに挨拶することを忘れていた。

春陽は小さな仏壇の前に正座をした。

横に飾ってある写真の中の母は、ずっと年を取らない。その笑顔を見ている心が落ち着く。母に聞いてもらいたいことがあっても、一緒に行きたい場所があっても、料理を教えてほしくても、全部かなわないけれど、そこに変わらない笑顔があることで救われてきた。

「忙しい時期を無事乗り切りました。今日は、映画を観に行くね」

行ってらっしゃい、行ってきますと、自分一人で二人分の言葉を言う。玄関を出て振り返り、もう一度、行ってきますといって鍵を閉めた。

・・◆◇・・

朝の映画館は、予想より人が少なめだった。今日は映画を観ることを選ばなかった人が多かったのだろうか。

作品パネルを眺め、時間を確認して観る作品を決めた春陽は、チケットを買うための発券機の方へ歩いて行った。

事前にインターネットでチケットを買い、スマホに表示されるQRコードをかざせば入場できるということが最近の主流で、発券機に並ぶ人は少ない。どの発券機も2~3人程度だ。

真ん中の発券機を選び並んでいると、隣で発券を終えたばかりの男性のスマホが鳴る。男性は、発券機から少し離れた場所で通話を続ける彼を春陽はぼんやりと見つめていた。

通話を終えた男性の表情から笑顔が消えて心なしか元気がなくなったような・・と思っていたら、その男性と目が合った。春陽は男性から視線をそらし発券機で順番を待つ。すると斜め後ろの方からから男性の声が聞えた。

「すみません、お一人ですか?」
「え?」

声の方向を振り返ると、先ほど目が合った男性がチケット二枚を手に私に声をかけてきたのだった。

一人で映画を観たら悪いのかしら・・・と思いつつ、返事をする。

「ええ、そうですけど」

うろたえているような悲しさがにじんでいるような男性の瞳が少し輝く。

「良かった。実はこれ・・一枚余ってしまったのでどうぞ」
「はぁ・・・?」

男性から差し出されたチケットを見ると、春陽がこれから観ようと思っていたのとは違うカタカナ6文字のタイトルの映画だった。邦画だが面白いというより少しシリアスな内容のようだったので、この映画は選ばなかったのだ。

「ついさっき友達から連絡があって、今日は来られなくなったというので」
「でも・・」
「代金はいいから引き取って貰えると嬉しいです。ただし、席は僕の隣になってしまいますけど。それでも良ければ。」

すこし迷ったが、タダだし内容が面白くなくても損はしない、もし面白かったらラッキーだなと思い有り難く受け取ることにした。

座席の番号を見ると、最後列の真ん中。私の定位置だ。これは普段頑張っているご褒美なのかもしれない。

「じゃあ、遠慮なく」
チケットを受け取り、軽く頭を下げる。

「では、シアター内でまた」
「はい。また後で」

入場開始のアナウンスが始まるまでまだ10分くらいあった。春陽はしばらくチケットを見つめた後、化粧室へ向かった。男性は、グッズ売り場で時間をつぶすようだ。

化粧室は少し混んでいたため、済ませて出てきたときには入場が開始されていた。ドリンクやポップコーンを手にしたカップルや親子連れがそれぞれ目的のシアター向かってゆっくり進んでいる。

グッズ売り場を見ると、チケットを譲ってくれた男性はいない。先にシアターに入ったのだろう。少し急いでシアターに入る。

最後尾の真ん中に男性は座っていた。人気がある映画のようで、座席はほぼ埋まっている。階段をゆっくり上がり、男性の隣にすわる。男性は私をちらっと見て少し頭を下げる。

なんとなく余所余所しく、ドリンクもポップコーンもなく、無言で座っている私たちは他の人からどのようにみられているのだろうか。一番後ろだから、誰も私たちの関係性など気に留めていないとは思うけど、少し気になる。

映画が始まっても、私たちの両隣は、一つずつ空いたままだった。もし恋人同士だったら、ここで手を握ったり、顔を寄せ合いひそひそ話をしたり、二人の世界に浸りながら映画を観るのだろう。

だが私たちは今日会ったばかりの他人だ。出来るだけ姿勢を崩さず、きちんと座っていよう。何気に男性を見たら、彼も同じようきちんと座ってスクリーンを真っすぐ見つめていた。

急に来られなくなった友人とは、恋人なのだろうか。気になるが聞くわけにはいかない。私も一人で映画を観に来た理由をあれこれ知らない人に聞かれたくないから。

隣が気になって、あまり映画に集中できなかったが、ストーリーが単純だったため何とか付いていくことができた。

少し悲しい場面もあって、最近終わった彼との恋が思い起こされ涙が少しにじんだ。ああ、今日隣にいるのが恋人だったら良かったのに。

上映が終わり、場内が明るくなった。
一人だけど一人じゃない映画鑑賞。なんだか不思議な時間だった。

・・◆◇・・

シアターを出て入退場ゲートへ向かって少し前を歩く彼に声をかけた。

「今日は映画のチケットを譲ってくださってありがとうございます」
「いえ、こちらこそ」
「もしよろしければ、コーヒーをご馳走させていただけませんか。もし、この後予定がなければ・・ですけれど」
「気にしないでください、どうせ無駄になるチケットだったら。誰かに喜んでもらった方がいいから。ホントに気を遣わないでください」

でも・・と、先の言葉が続かないでいると、彼がやわらかい笑顔を春陽に向けて言った。

「やっぱり、ごちそうしてもらおうかな」
「じゃあ、あそこのカフェでテイクアウトのドリンクを買ってきますので、飲みたいもの教えてくださいますか?」
「ありがとう。それなら、アイスカフェラテMサイズをお願いします」
「わかりました。少しここで待っていてくださいね」

春陽はアイスカフェラテを二つ持って男性のいる場所へ戻りMサイズを男性に渡す。ちょうど良いタイミングで空いた目の前のベンチに、鞄一つ分の距離をとって二人で腰かけた。

「ここのカフェラテ、おいしいですよね」
「わかります? 僕もこのカフェではホットもアイスもラテを注文します」

改めて男性の顔を見ると真面目そうな雰囲気でやや整った顔立ちは春陽より少し年上のように見えた。色も白いので、外回りの仕事ではなさそうだ。知的にも見えるし、

「ところで、お名前教えてもらっても大丈夫ですか?」
「はい、僕は貴田といいます。貴族の貴に田んぼの田で貴田」
「貴田さんですね。私は若葉といいます」
「若葉さんって下の名前ですよね。苗字はなんていうのですか?」
「よく間違えられるのですが、若葉は苗字。下の名前は春陽といいます。四季の春に、陽だまりの陽」
「へえ、若葉に、春の陽って、まるで『春』そのものみたいな名前ですね。春に生まれたのですか?」
「よく言われます。生まれたのは10月なのですが。貴田さん、下のお名前は?」
「僕は智(さとし)、知っているという漢字の下に日がついているやつです」

名前だけの自己紹介から、さっきみた映画の感想や他愛のない話をする。

「ところで、仕事は何を?」

春陽が尋ねようとしたのと同じタイミングで智のスマホが鳴った。

残っていたカフェラテを急いで飲み干し、春陽は先に立ち上がる。

「今日はありがとうございました。それでは、このへんで。空のカップ、一緒に捨てておきますね。」
「こちらこそ、ありがとう。また、どこかで会えるかもね。もし、そんな偶然があったらもう少し話せると良いね」
「はい、もしそんな偶然があればその時はもっとお話しましょう。では、お元気で」

お互いに早口で交わした会話の後に、貴田さんは着信に応えた。立ち去る私に軽く微笑み頭を下げながら、空いている右手で小さく手を振ってくれた。

運命とか偶然はよくあること。

ただ、生きているうちに会える人はなんらかの縁があるからだとどこかで聞いたことがある。同じ時代を生きている人は世界中に数えきれないくらいいるけれど、会って話ができる確率は限りなく低いのだとか。

春陽は、今日偶然会って映画館で同じ時を過ごした貴田という男性にほんの少しの縁を感じた。次にまたどこかで会える保証はないが、期限のない約束が一つ増えたような気分になる。

予定通り、抹茶の和スイーツを3つ買ってから家に帰る。

一つは仏壇へお供えして、残り二つは父が帰ってきたら一緒に食べよう。そして、今日会った不思議なご縁の話をしてみようと思う。

・・◆◇・・

それから、以前と変わらない日が一週間、一ヶ月、半年と過ぎていく。

映画館での小さなご縁のことは、もうすっかり記憶の彼方だった。

(第三章へつづく)


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