そのたった”一言”で、働き方を変えた。ちょっとだけ、人生が自由になった。
「本当は、どうなりたいの?」
会社の営業で売上○○万円を達成したいです。
自分の本を出したいと思ってます。
――とは言えなかった。
「どう”なりたい”の?」という言葉と、「どう”したい”の?」という言葉には、全く違うニュアンスが含まれていると思った。
社会人3年目。
仕事をある程度覚えて、まだまだやることはあるけれど慣れてきた頃。
とある社長にたった一言、そう問われたことが、僕の人生の最大の転機となった。
「夢はあるけど、多忙な仕事でそれどころではない」
「仕事は楽しいけど、ずっとこの会社にいるわけではない」
「転職してみたいけど、どう選べばいいかわからない」
「このままでも悪くはないけど、もっと良くなりたい」
「自分の強みも特にない」
「やりたいことも見つからない」
それでも。
「何者かになりたい」
「もっと仕事ができるようになりたい」
そんな漠然とした想いを、心の隅っこで抱いているあなたへ捧ぐ。
これは、ごくごく一介の営業マンだった僕が、本を出したいという夢を抱いているだけで仕事に忙殺されていた僕が、
・複数のブランド構築に携わる
・複数社のWebライティング
・電子書籍(小説)の出版
・note×マイナビ主催コンテスト受賞&漫画化
・個人事業主として独立
と、大きくキャリアアップすることにつながる話である。
次の一年が楽しみで仕方がない。
次の仕事が楽しみで仕方がない。
できることが増え続けていく人生は、とても豊かだ。
選ぶ力を持った自分は、とても自由だ。
また次の3年間で大きく変わる算段が立っている。
という僕の体験談から、今回の話はあなたの選択肢が少しでも広がることにつながる、そんな内容になっていると思う。
かつての僕がそうだったように。
もう、迷うのはおしまいにしませんか。
今がどんな状況であれ、いずれにせよ次の3年後、5年後、30代40代、どんな生活をしているか、どんな仕事をしているか、ついつい考えちゃうよね。
今に満足していても、少しぐらい脳裏をよぎってくるよね。
わかる。
多分社会人3年目の全人類が通る道。
ただ考えていても、次の日には仕事が降ってくるし、仕事が終わってから考えても、またすぐに次の日は来る。
思い立っても思うように行動できない。
考えても考えても、答えが出ない。
結局今のままでも困らないから、今のままでタイミングを待とうみたいな感じになる。
動きたくても、何からすればいいか、何が正しいのか、何をすれば満足なのか、わからない。
そうして、考えることを止めてしまう。
タイミングがあるはずだと思って、後回しにしてしまう。
先のことはもう少し先になってから考えようと思う。
すると一ヶ月があっという間に経っている。
あっという間に季節は変わって、暑かったのに寒くなって、寒かったのに暑くなって、あっという間に一年が終わり、また一つ年齢を重ねている。
そんな一年間を、二回、三回と繰り返す。
繰り返しているなーということにも、薄々気づいている。
でも、どう打破すればいいかわからず、考えることを行動していることだと思い込んで、少しでも進んでいると言い聞かせて、また次の一年を過ごす。
もう、やめよう?
もう十分だ。
この物語がその永遠のループに終止符を打つ。
貴重な20代、30代を考えることに費やしてどうする。
考えても世界は変わらない。
勉強しても動かなければ人生に変化はない。
別に働き方を変えることだけが正義でも何でもないけれど。
選択肢は広げられる。
その上で選べばいい。
知らないでそうしているのと、知った上で今を決断しているのとでは、天と地ほど違う。
かくいう僕は、
転職エージェントを活用して転職活動をしたことは一度もない。
自分の強みを分析なんてしたこともない。
何か資格を取ろうと思ったこともない。
強みを生かした仕事なら幸せだというわけでもない。
やりたいことに携われても、安泰でも満足でもない。
「いや、でもYouTubeとかInstagramを見てると、転職や強み分析や市場価値についての広告がめちゃくちゃ流れてくるんですわ」
それはそれで正解かもしれない。
僕はその道を行かなかったので、あまり無責任なことは言えない。
ただ、これだけは言える。
これから書き記す僕の体験を同じようにやってみると、
あなたの想像を遥かに超える未来を、自分で選択できるようになる。
僕が決めさせるわけではない。
そのお手伝いを、というおこがましい話でもない。
自分の人生なのだ。
何かを選ぶのは勇気がいるかもしれない。
決断はいつだって身を切るような痛みを伴う。
これほど選択肢に溢れ返った世界。
せっかく選んでもこっちの方が良かったかも、という隣の芝が青い現象は一生付き纏う。
そんな中でも、自身の選択肢を増やすことはできる。
まずは、会社という枠組みを離れて考える必要がある。
繰り返すようだが、”あなたの”人生なのだ。
会社のための人生ではない。
「本当は、どうなりたいの?」
ここで冒頭の質問に戻る。
やはり当時の僕は、結局何も答えられなかった。
黙ったままでいると、続いてもう一つ質問を投げられた。
「何か目標はある?」
目標はあった。
仮にも入社2年目で新人賞を獲得した身だ。
今後は会社の中でもこうなっていくぞ、というのは朧げながらあった。
「売上○○万円ぐらい上げられる営業マンですかね」
そう答えた。
すると、その社長さんはまるでそういう回答が来るとわかっていたかのように、真っ直ぐ僕の目を見る。
「それは会社の目標でしょ? あなたの人生の目標は?」
ええ~〜〜。
なんだそりゃ。
意気揚々と答えたものの、またもや返答に窮する質問。
人生の目標?
そんなものないよ。
本を出すことは目標というより夢だし、そもそも人生の目標ってどういうものかわからないし、考えたこともない。
つまり、ない。
「考えてみるといいかもね」
そんなことを言われたものだから、必死になって考えてみた。
言われてみれば必要だと思ったし、今まで散々ビジネス書、自己啓発書を読んできていた僕の脳裏には、今まで出会った本のどこかにそういった話が書いてあったような気もした。
考えてみて、わからなくて、考えることをやめそうになった。
でも、それを繰り返して結局今なんだと思うと、やってみるしかないな、という気にしかならなかった。
転職すれば変わるかも、とか、仕事ができるようになったら夢の小説を書く時間がもっと取れるかも、とか、たくさん読書をすれば自分のビジネス的な強みがわかるかも、とか、資格を取れば自分の実力が上がるかも、とか、いろんな想いが脳内をぐるぐる回っていた。
目標ってなんだろう。
大学までバリバリ体育会で野球をやっていた頃を思い出す。
高校だったら、甲子園。
大学だったら、神宮大会。
こういうバッターになりたい。
こういう野球選手になりたい。
そんな風に、人生を考えられるだろうか。
考えは依然としてぐるぐる巡る。
もっと燃える仕事があるかもしれない。
もっと環境の良い会社があるかもしれない。
もっと昇格して今の職場もより良くなるかもしれない。
もっと良い出会いがあれば変われるかもしれない。
どうしてもそういった思いに行き着いてしまう。
いやーーー、愚かだった。
何かに縋ったら変われるという鬼の他責思考の癖が、ひどくこびりついていた。
そう。
本当はわかっていたこと。
誰も、何も、あんたを変えてはくれない。
昇格が人生を変えることもなければ、転職が人生を変えることもない。
資格は世界に連れて行ってくれないし、仕事が幸せを運んでくるわけではない。
全部、あなた次第だ。
もっと世界がこうだったら。
もっとこんな人が存在すれば。
もっと世の中の仕組みがこうだったら……。
理想は挙げればキリがない。
パンをくわえた女子と道の角でぶつかって、その子が転校生で同じクラスだったり。
就職先の上司が、誰もが憧れるバリバリのキャリアウーマンだったり。
たまたま買った宝くじが当選したり。
とんでもないイケメンに助けられたり。
こうであればいいのに、という想いは、誰もが抱いたことがある。何なら今も抱いている。
ただ、どうやら他人や世界は変えられないらしい。
それは、今までの人生でも薄々勘付いていたことだった。
何も知らないフリをして、この人が変えてくれる、この会社が、この政治家が、この友達が、この宝くじが、この出来事が、自分の環境を変えてくれると思い込んで、足も動かさず願ってばかりいる。
そんな自分に、実は自分が一番気づいていたのかもしれない。
アドラー心理学では、「過去と他人は変えられない」と説いている。
世界的な自己啓発の名著『7つの習慣』では、「自分が変わることで、周りが変わる」という原理原則が書かれている。
発行累計部数4,000万部超えのベストセラー『金持ち父さん貧乏父さん』では、「他の誰を変えることより、自分自身を変えるほうがずっと簡単だ」とハッキリと記されている。
結果、世界や他人や周りの環境を変えようと思ったとしても、日本を変えよう、会社を変えよう、部活を変えようと、どのコミュニティで思っていたとしても、まずできることは「自分を変えること」。
ただそれだけなのだ。
そして僕にとっての「自分を変えること」は、
大きく望むこと。
僕のチャレンジは、そんな初歩的なところから始まっていた。
スタートラインすら見誤っていた。
目標が~じゃない。
野球をやっていた頃のように~じゃない。
過去は一旦横に置いて。
望むのだ。
誰も止めやしない。
誰かにも、何かにも依らない。
”本当は”。
本当は、何を望んでいるのだろうか。
書き出してみた。
書けば書くほど、これは不可能なんじゃないかと、夢物語でしかないんじゃないかと、こんなに望んでも叶わないんじゃないかと、こんなことをしても意味がないんじゃないかと、願望を書いているのに虚しくなりそうになった。
ただ、途中でふと気づく。
書き出した願望。
めちゃくちゃ時間がかかったけど、こんなにもあったこと。(コロナ禍の暇な時間で書いた願望たち)

そして、ここまで書くと、書き出した願望は全く叶わないとも思えなかった。
ちょっとぐらい叶えられるんじゃないかと思った。
そう思うと、全部叶えてもいいんじゃないかとも思えた。
そもそも、叶えられるかどうかって、
誰が決めてんの?
ということにも気がついた。
それは、紛れもなく僕自身だった。
誰かにこれは無理だと言われたわけではない。
これは不可能だと、やらない方がいいと、望まない方がいいと言われたわけでもない。
単純に、紙に書き出しただけだ。
つまり、他の誰でもない僕が、僕自身に、謎の制限をかけているだけだった。
できないんじゃないか、この書き出した願望に対してそう思っているのは、世界で僕だけだった。
これもまた思考の癖。
取っ払って、願望は叶うものだと信じる。
そしてこれは、正真正銘、僕の願望であると信じる。
誰かの願望でもない。
書き出して、やっぱそんなことなかったかもな、でもない。
さて、願望が見える化されたら次は、その願望に向かって走るのみ。
どうやったら叶えられるか?
どうやったらできるだけ多くの願望が叶う状態になるか?
そうやって、次の行動が始まる。
僕が取った行動は主に3つ。
人に会う
本を読む
アウトプットする
そんなすげー手法なんてないのよ。
簡単に、いきなり稼ぐ方法なんてないの。
突飛なことをするわけでもない。
普通は思いつかないようなことをやるわけでもない。まず思いつかないといけない。
特別なことをやったわけではない。
本当に、シンプルにこの3つ。
これだけをこの数年間取り組んでいるといっても過言ではない。
すんごいノウハウが知りたいということは、少しでも楽をしたいということ。
いいんだけどね。
ただ、そんなものは存在しない。
あったとしても、本当に限られた人にしか手に入らないものなんだろう。
僕は自分が凡人であることは知っていたから、愚直に努力するしかないこともわかっていた。
奇跡みたいな何かに依存することなく。
自分の行動で自分の人生を変えたかった。
たくさんの人に会った。
東京で出会った人がたくさん増えた。
友達も、仕事上の知り合いも、一回きりの人も、ビジネスパートナーも、仕事仲間と呼べる人も、たくさんできた。
人と会うことが、生きている中で最も深い学びになる。
僕の願望をすでに叶えている人もいた。
話を聞いてみた。学ぶ機会を手に入れることもあった。
仕事上だけの知り合いも、職を変えるごとに増えた。
職を変えると連絡することはなかった。
学生時代の友達も数人東京にいた。
家族を持つと途端に会わなくなった。
LINEは交換して、何もしていないのにブロックされることもあった。
仲良くなる前だったからたいして傷つかなかった。
仕事を一緒に頑張ろう、一緒に独立して互いに仕事しよう、という仲間的なつながりも広がった。
向かう道が違って離れていくこともあった。
仕事や将来に対する想いが伝わらない経験を何度も何度も味わった。
数えきれないほど断られたし、これからも断られていく。
ただ、手を組むような人もいる。これからももっと拡張していく。
そういう人を大切にしたいと思った。
そのコミュニケーションを通じた学びは、何事にも代えがたいものだ。
本もたくさん読んだ。
めちゃくちゃ勉強になったものも、何も響かなかったものも、たくさんあった。
学ぶことが楽しいことだと認識するようになった。
本を読み、人と話す。
人のお話を聞き、本を読む。
そんなことをひたすら繰り返している。
アウトプットも続けている。
noteは4年間で500記事以上、話すこともそうだけど文字にして書くという形式のアウトプットはとても力が付く。
対面のコミュニケーションなら、気合いと根性とパッションで伝わりそうなことも、文章だと言葉が明確でないと何を言っているのかわからなくなる。
知り合いもブログやnoteを始めた人をたくさん見てきた。
ただ、たった4年間だけでも僕ほど続けている人は本当に極々僅か。
人と会うことも、
本を読むことも、
アウトプットすることも、
みんな途中でやめてしまう。
ノウハウを知ったところで、数年も継続できないならやっても意味がない。本当に、意味がないのだ。
途中でやめるなら、最初からやるなとすら思う。
やった人が結果を出す世の中だ。
やらなかった人が結果を出さない世の中でもある。
そして、
「やった」をたったの数年間だと勘違いしている。
「やらなかった」は途中でやめた人ももちろん含む。
僕は続けている。
そしてこれからも、続けていくことになる。
世界はとてもシンプルだ。
人は「やり続けるか」「途中でやめるか」「そもそもやらないか」の3種類に分類される。
願望が叶うことや、目標が達成されることは、この分類の「やり続けた人」にのみ舞い降りる。
別に人に会わなくても本を読まなくてもいいが、あなたが自分で決めた何かを、やり続けることが大事。
そのやり抜く力=グリットは、どの道に進もうが、何に取り組もうが、最も大切な力のように思う。
唐突なイチロー氏。僕がとても好きなお話の動画。
で?
どうすんの?
何やるの?
やることは決めた?
願望、書き出してみる?
どこに行き着くのか、何をしたいのか、また”考える”の?
仕事が落ち着いたら、とか寝ぼけたこと言ってんじゃねーぞ。
仕事が落ち着くことなんて一生涯あり得ない。
試してみてもいいが一生終わるぞ。絶対に、ぜーーーったいにない。
ありますよというやつがいたら、こう言い返してやれ。
「何もしようとしていないから暇なんだよ寝ぼけてんのか」って。
何かをやろうとしたら、まるでそれを阻むかのような出来事が次から次へと降りかかってくる。
それで後回しにする人が大量発生。
何回やってんだよその茶番。
何かあるよそりゃ。
むしろ何もないと思ってたの?
能天気甚だしい。(どんどん口が悪くなる)
まあ言い訳したかったらずっと言い訳していればいいんだけど、そうやって人生終わっていっていいんだろうか。
「凡人の一生は準備で終わる」らしいぞ。
漫画の怖い話(2/2) pic.twitter.com/CsIGtaZzxo
— かっぴー /漫画家 (@nora_ito) November 15, 2022
もう一回訊くよ。
で?
僕はやり続ける。
あなたはどうする?
逃げるなよ。嘘をつくなよ。
自分の人生から逃げるな。
自分の願望に嘘をつくな。
言ったでしょ。
ここまできたら、
あなたの想像を遥かに超える未来が目の前に現れていて。
それを自分で選択できるようになっているはず。
さあ、もう終わるから、こんなnoteはさっさと閉じて、今やろうと思ったことをまずやってみな。
note書くか?
めちゃくちゃいいぞ。
幾分仕事ができるようになるし、コミュニケーション能力も向上するし、結果的にキャリアアップにつながるぞ。
僕と会うか?
XにDMしてもらえれば。
都内なら。あるいはオンラインなら。
複数のヒト・モノ・サービスのブランドマネジメントを頑張ってます。
— 野田村 悠加@物書きパラレルワーカー (@haruka_nodamura) October 9, 2025
ex.セレクトショップ、クラフトビール、プロテイン、法人、経営者、など。
イベントも毎月主催しています。
小説も書いてます。
noteはもっと書いてます。
たくさんの人とお会いしています。https://t.co/r4Ovx7TbmS
ということで。
終わり。
他に言いたいことは、他のnoteの記事に書いている。
迷うのは今日でおしまい。
あとはあなたの願望が、然るべき場所に導いてくれる。
迷うな。突き進め。
あなたも僕も、いつまでもいつまでも、人生という旅の途上である。
