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自分の意見を持つとは、疑問を吐き出し続けることだった

こんにちは、エイトです✌️☺️


「自分には特別なことが何もない。」


発信を始める前、
私はずっとそう思っていました。


何か突出した実績や、
誰も知らない専門知識がないと、
発信してはいけないような
気がしていたんです😰


でも今になって思うのは、
その思い込みこそが
一番の足かせだったということです。


今日は、
私が何年もかけてたどり着いた
「自分の意見を持つということの本質」
について書いてみます。





完全なオリジナルなど、最初から存在しない


発信界隈でよく言われる言葉があります。


「個性を出せ」

「オリジナリティを持て」


でも少し立ち止まって考えてみると、
そもそも完全なオリジナルなんてものは
存在しないんですよね。


音楽でも、
文学でも、
あらゆるものは、
何かの影響を受けて生まれています。


私たちが「個性」や
「オリジナリティ」と感じているものも、
突き詰めればたくさんのピースが
掛け合わされたもの
でしかない。


読んできた本、
見てきた景色、
影響を受けた人、
経験してきたこと。


そのピースの組み合わせ方が、
人によって全部違う。
だから「オリジナル」に見えるわけです。


ということは「自分の意見を持つ」というのも、
無から何かを生み出す話じゃなくて、
自分の中にあるピースを
どう組み合わせて言葉にするか

という話なんですよね。


「意見がない」「個性がない」
と悩んでいる人は、
ピースがないんじゃなくて、
ピースに気づいていないか、
組み合わせることを
していないだけなのかもしれません。



最初は誰でも外側にアンテナを張る


発信を始めた頃、
私は伸びている人の真似をしていました。


これは自然なことだと思います。
右も左もわからない状態で、
うまくいっている人を参考にするのは、
むしろ賢い入り口の選び方です。


ただ、
それを続けていくうちに、
どこかで「自分は何を言いたかったんだろう」
という感覚が薄れていきます。


私にも、
ブームに乗ったテーマを
発信していた時期がありました。


需要があるから選ぶ。
それ自体は間違っていない。
でも途中で気づいたんです。


これは本当に自分の意思なのか、と。


ブームに乗ることが悪いのではありません。
そこに自分の視点や疑問が
あるかどうかが大事なんですよね。


外側から選んだのか、
内側から出てきたのか、
行動は同じに見えても、
その出どころが全然違います。



長年のモヤモヤの正体


実は私、
発信活動を何年も続けてきた中で、
ずっと心の中にモヤモヤがありました😰


今になって思うのは、
それは外側にばかりアンテナを張って、
自分の本心を押し殺していたところにあった
のだと思います。


「どうすれば伸びるか」
「何が求められているか」
その問いばかり立てていると、
「自分はどう思うか」という問いを
立てる余白がなくなっていく。


外と内がずれているときに、
モヤモヤは生まれます。


外側に合わせようとすればするほど、
内側との距離が広がっていって、
その隙間がじわじわと苦しさになっていく💦


世間の需要ばかりに目が向いて、
自分の意見を持てていなかった。
それが長年の無個性の原因だったのだと、
今は思っています。



自分の意見とは、疑問を噛み砕いていくことだった


ではどうすれば、
自分の意見を持てるのか。


私がたどり着いた答えは
シンプルでした。


どんなテーマであれ、
そこに相反する疑問を投げかけること。


noteではよく
「こうすれば伸びる」という
セオリーが語られます。
私も最初はそれを
素直に実践していました。


でも途中で
「待って、これは本当にそうなのか?」
と立ち止まるようになりました。


その疑問から生まれた記事が、
ちゃんと読まれていったんです。


ポイントは疑問を持つだけで
終わらないことです。
そこで終わったら単なるモヤモヤのまま。


「なぜそう感じたのか」
「自分はどう思うのか」
と言葉にしていく過程で、
初めて意見になります。


疑問を持つ→噛み砕く→言葉にする。


この流れ自体が、
発信になっていきます。



考え続けることが個性の源泉だった


私は学生時代に哲学を専攻していました。
まさかその経験が発信活動に活きるとは、
当時は思ってもいませんでした。


哲学とは、
答えを出す学問ではなくて、
問いを立て続ける学問です。


「本当にそうなのか」
「そもそもこれは何なのか」
と掘り下げることを
ひたすら繰り返します。


それがそのまま、
発信における意見の持ち方と
重なっていたんですよね。


私は記事を書くのに
リサーチをほとんどしません。
毎朝思いついたことを
殴り書きしているにすぎません。
それだけです。


同じようなテーマの繰り返しに
なることもあります。


でも今になって思うのは、
それが軸であり、
自分の意見というものなのかと


意図して作った軸じゃなくて、
書き続けた結果として
浮かび上がってきたもの。


作ろうとして作っていない。
考えを吐き出しているだけ。


それが一番正直で、
一番続けられて、
一番自分の意見になっていました。



考えることを習慣にしたい方に、
哲学を身近にしてくれる一冊です👇



等身大でいることが長く続く理由になる


発信でよくやりがちなのが、
自分を大きく見せようとすることです。


最初は「すごい人に見せたい」
という気持ちで背伸びをします。
それ自体は自信のなさの裏返しでもあるから、
責めるものでもありません。


でも背伸びした状態を維持し続けるのは、
じわじわと消耗していきます💦


書くたびに「これは本当の自分じゃない」
という感覚が積み重なっていく。


この半年、
私よりも明らかに
質の高い記事を投稿しているのに
辞めていった人たちを、
何人も見てきました。


文章の上手さや記事の質は、
継続とは別の話なんですよね。


書き続けられるかどうかは、
自分の意見を持って、
等身大で、
内側から書けているかどうか。
結局そこに戻ってくる気がしています。


noteという場所は、
華やかな実績や専門知識よりも、
「あ、わかる」
「自分もそう思っていた」
という共鳴が評価される場所です。


日頃の些細な出来事や考えが、
逆に響いていく。


背伸びすれば離れられ、
等身大でいれば近づいてもらえる。
そういう正直な場所なんですよね😌



発信は自己分析の手段でもある


これは発信活動に
限った話ではありません。


周りの協調性を意識しすぎるあまり、
かえってギクシャクしてしまうことがあります。


以前の私がまさにそうで、
どんな出会いの場でも
良い人止まりに終わることが
多かったです。


嫌われているわけじゃないけど、
深く覚えてもらえるわけでもない。


外側に合わせようとすればするほど、
つかみどころがなくなっていく。
発信でいう「大勢の中の一人で終わる」と、
根っこは同じ話だったんですよね。


だから発信活動を
自己分析の手段として始めてみるのは、
すごくいいことだと思っています。


書くことで自分が見えてくる。
頭の中にぼんやりあったものが、
言葉になった瞬間に輪郭を持つ。


「自分はこう思っていたんだ」と、
書いてから気づくことって実際にあります。



自分探しの旅の終着点


私は何年もの間、
自分探しをしてきました。


外側を探し続けて、
いろんなプラットフォームで発信して、
ブームに乗って、
セオリーを実践して、
それでもずっとモヤモヤが消えなかった。


その旅の着地点が、
考えを吐き出す行為そのものに
意味を感じる
という、
とてもシンプルな場所でした。


自分の意見を持つとは、
特別な経験を持つことでも、
すごい知識を身につけることでもなかった。


疑問を持って、
噛み砕いて、
言葉にし続けること。
それだけだったんですよね。


「特別なことがないと発信してはいけない」
という思い込みは、
手放していい思い込みです。


出発点は、
「自分はどう思うか」という
たった一つの問いでいい。


その問いを自分に向け続けることが、
やがて軸になって、
個性になって、
続ける理由になっていきます☺️



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見えてきたものを、
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