【自己紹介】絶望から心の豊かさへ|生きる苦しみを乗り越えた私の3つの習慣【ADHD】
「世の中なんて壊れればいい」と全てを恨んでいた私が、平穏に生きられるようになった秘密
はじめまして。こんにちは。和泉たわです。
プロフィールには、「ADHDで昔は毎日辛くて泣いて暮らしていましたが、今では心穏やかに生きています」と書いています。本日は、この「絶望から心の豊かさ」への道のりについて、自己紹介をかねて詳しくお話しします。
1. 煮えたぎる怒りを手放し、感謝に変わった意識
まず、私の心の土台がどのように変わったかをお伝えします。
こうふりかえってみて、若いころの私は、自分のことが嫌いだっただけでなく、世の中に対しても怒り心頭でした。とにかく、恨み、不満や憎しみの負の感情が強く、「こんな世の中、大地震でも来てぶっ壊れればいいのに」くらいに思っていました。
しかし、今ではすっかり考えが変わりました。
今は、この世の中色々ありますが、良いニュースや明るい出来事も沢山ありますし、世の中を良くするために一生懸命に活動されている人達もいるわけです。物価は上がりましたが、それでもご飯を食べることはできる。平和な時代に生きられてありがたいという認識です。怒りの感情はだいぶ手放すことが出来ました。
2. 絶望の淵から私を救った3つの大きな要因
あの頃の煮えたぎる怒りや辛さから、心穏やかな状態へと変わることができたのは、主に次の3つの要因のおかげだと考えています。
1.服薬による脳機能の安定
精神が安定したのは薬のおかげも大きいのです。ADHD治療薬のおかげで心穏やかになり、長年苦しんだ情緒不安定は「心が弱いせい」ではなく、「脳のバグ」だったんだと自覚できました。これは、自分を責めなくていいという大きな安心感につながりました。同時に、改めて私は本物の発達障害なんだと痛感したのです。
2.運動習慣の定着
運動習慣も非常に重要でした。心と身体は繋がっています。散歩やヨガなど、体を動かす習慣が、メンタルの安定に不可欠でした。身体は土台。身体を整えるって大事です。
3.考え方の癖を変え、意識を向ける先を変えるトレーニング
そして、30代の頃に取り組んだ考え方の癖を変えるトレーニングです。自己啓発や『引き寄せの法則』にはまったのも大きいのです。スピリチュアル的なものと思われがちですが、あれって、私にとっては一種の認知行動療法でした。
自己啓発や『引き寄せの法則』で言われていることって基本的に意識を変えることですもん。基本的考え方は以下の3つだと和泉は考えます。
「気分を明るくしましょう」
「考え方を建設的なものに変えましょう」
「理想に目を向けましょう」
幸せになりたい一心で、時間はかかりましたが考え方の癖を徹底的に見直し、「意識を明るくなるように持っていく」訓練を繰り返しました。
おかげ様で、20代の頃は視野が狭かったですけれど、今は比較的柔軟な考え方が出来ている気がします。意識を「ないもの」から「あるもの」へ、「不満」から「感謝」へと変えることが、私の心を解放してくれました。
3. 「公開日記セラピー」がくれた希望
それでも、昨年適応障害になり、仕事がここまでうまくいかない自分ってなんだろうと思い悩み、「私の人生なんだったんだろう」「私はなんのために生きているんだろう」と孤独に虚しく生きていました。
そんな中で、通所を始めた就労継続支援B型事業所でのWordPress記事作成作業をきっかけに、自分でもこうしてnoteで発信することにしました。そして、衝動的にnoteで「500日連続投稿をします」と宣言したことが、私の意識を劇的に変えたのです。
さらにnoteで繋がった人たちの励ましもあって、たった21日でそれなりに充実するようになりました。自分の正直な思いを言葉にするこの活動は、まさに私にとって「公開日記セラピー」として機能しています。
4. 和泉たわの簡単な略歴(それでも私は生きている)
ADHD特性 | 重度。衝動性や不注意だけではなく、パニックになりやすい。そのため危険なため運転免許なし。初対面から「変わった人だな」という印象を与え、特性を隠して働くのは不可能なレベル。
学習障害(LD)傾向 小学校2年生レベルの簡単な計算しかできない。英語が理解できない。
幼少期 保育園の頃から場面緘黙(かんもく)症で、家の外では全く喋れない子供でした。外では恐怖からじっと大人しく家では泣いて暴れていました。成長期に人とのコミュニケーション量が少なかったため、大人になっても対人関係に不器用さが残りました。
思春期 当時は学習障害の概念も一般的には広まっていないため理由もわからず得意科目と不得意科目の差に悩み(世界史95点、数学5点とか普通でした)、人ともうまく関われず、精神的にも不安定で、とにかく消えていなくなりたいと思っていました。
20代 幼少期からの積み重なったストレスにより発狂し、自殺未遂を起こし、閉鎖病院に8ヶ月入院。その後ADHDと診断されるも当時は今と違ってサポートがあまりなく、診断されたもののどうしていいかわからず、「自分は世の中に迷惑をかける存在だ」と思い込み引きこもりに。
30代 幸せになりたい一心で自己啓発や『引き寄せの法則』を学び、印象が根暗から「明るい・楽しそう」に変化。場面緘黙の症状もだいぶ良くなる。
38歳の時に縁あって一社目に入社。そこから事務職に従事。
40代 居酒屋でたまたま隣に座った人と意気投合し、その後結婚。
働くことに思い悩み、就労移行支援を経て、障害者雇用で入社するも適応障害を起こし、現在は就労継続支援B型事業所にてPC作業に従事中。
📌まとめ
「心穏やかさ」は、自己理解と、小さな習慣と意識の変革を積み重ねることで獲得できるものです。『自分の人生変えられるのは自分だけ』ですからね。
服薬と運動で心身の土台を安定させた。
認知行動療法的な訓練で、意識を「怒り」から「感謝」に変えた。
noteでの発信が、孤独を解消し、人生の張りを与えてくれた。
私のこの道のりが、今、生きることに悩んでいる誰かの希望になれば、これほど嬉しいことはありません。
私は「和泉がいるから大丈夫!!」という気持ちで、これからも一緒に歩んでいく人でありたいと思っています。これからも、一緒に、一歩ずつ進んでいきましょうね。
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