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全国を旅するように学んでいた 〜仕事で出会った土地・人・趣味が、人生の地図になった話〜

全国勤務コースを選んで、4年間全国を回った。

3ヶ月ごとに店舗が変わり、知らない土地で生活を立ち上げ、知らない薬局に入って、人間関係を作る。

薬剤師として働きながら、青森、静岡、岐阜、兵庫、いろいろな土地を見てきた。
薬局だけでなく、病院にも行った。
出張もした。
機械導入の動線作りや、書類整理、パワーポイント作成のような仕事もした。

結婚を機に転職しようと思っていたら、第一子を授かり、そこからさらに人生はドタバタ動き出した。

気づけば、薬剤師になってもう8年目になる。

今振り返ると、自分の薬剤師としての基礎も、働き方の感覚も、人との距離の詰め方も、土地へのフットワークも、かなりこの最初の4年間に詰まっていた気がする。

そして今は、店長・管理薬剤師として3年が経ち、また新しいステップが始まりそうな時期にいる。

だからその前に、一度、自分のワーク〈ライク〉バランスを振り返ってみたくなった。

薬学生だった頃の自分は、まだ今ほど人生の見通しがあったわけではない。

国家試験の勉強をしないといけない。
奨学金も返さないといけない。
薬剤師として、ちゃんと働いていかないといけない。

でも同時に、ただ目の前の現実をこなすだけではなく、
「全国を見てみたい」という気持ちもあった。

知らない土地に行ってみたい。
いろんな地域の人と話してみたい。
薬局ごとの違いや、土地ごとの生活を見てみたい。
一人暮らしもして、早く自立したかった。

働くこと。
奨学金を返すこと。
薬剤師として経験を積むこと。

それは、自分にとっての「やるべきコト」だった。

でも、全国を見たい。
現地の人と出会いたい。
おいしいものを食べたい。
趣味や価値観を広げたい。

それは、自分にとっての「やりたいコト」でもあった。

その両方を、どうにか同時に叶えられそうな選択肢として見つけたのが、
全国勤務の薬剤師という働き方だった。

大変だった。
でも、面白かった。

そして、その時に出会った土地、人、趣味、経験は、
今の自分の人生の地図のように残っている。

今回は、薬学生時代の就職活動から、全国勤務、出張、病院での経験、そして今の働き方に至るまでを振り返りながら、
自分にとってのワーク〈ライク〉バランスを考えてみたい。


奨学金があったから、まず働かないといけなかった


新卒の頃の自分には、まず現実があった。

奨学金を返さないといけない。

だから、働く必要があった。

もちろん、ただお金のためだけに働きたかったわけではない。
せっかく薬剤師の資格を取ったのだから、その資格を使ってちゃんと働きたい。
薬剤師として経験を積みたい。
いろんな場所を見てみたい。

そういう気持ちもあった。

就職活動では、MRも考えた。

薬剤師資格と近い仕事で、全国を回れる可能性もある。
いろんな土地を見ることもできるかもしれない。
奨学金を返していく現実を考えても、選択肢としてはかなり自然だったと思う。

でも、どこかしっくりこなかった。

自分がやりたかったのは、
薬の情報を届ける仕事というより、
薬局で人と関わりながら、その土地で暮らす人たちの生活に触れる仕事だった。

薬局で働きたい。
でも、ひとつの場所だけに留まるのではなく、いろんな土地も見てみたい。

そのあいだにあったのが、全国勤務コースだった。


MRではなく、薬局で人と関わりながら全国を見たかった


全国勤務コースは、当時の自分にはかなり合っているように見えた。

薬局で働ける。
患者さんと関われる。
でも、いろんな土地にも行ける。

薬剤師として働きながら、
土地の違いも見られる。
人の違いも見られる。
病院や薬局ごとの価値観も見られる。

自分には、それがかなり魅力的だった。

ただ、完全に自由に全国を飛び回りたかったわけでもない。

大学時代から付き合っていた彼女がいた。
今の妻だ。

だから、最初からどこかで結婚のことは頭にあった。

全国に行きたい。
でも、結婚も見据えていたい。
薬剤師として成長したい。
でも、人生を仕事だけに全振りしたいわけではない。

その狭間で選んだのが、薬局の全国勤務コースだった。

今思うと、この時点ですでに、
ワークとライクのバランスを探していたのかもしれない。

働かないといけない。
薬剤師として成長しないといけない。
でも、いろんな土地を見たい。
人と出会いたい。
彼女との将来も考えたい。

その全部が、ひとつの選択肢の中に混ざっていた。


全国勤務コースは、仕事と旅のあいだにあった


1年目は、3ヶ月ごとに店舗が変わった。

青森。
静岡。
岐阜。
兵庫。

いろんな土地に行った。

その土地ごとに、空気が違った。
薬局の雰囲気も違った。
患者さんとの距離感も違った。
病院との関係も違った。
先輩の教え方も違った。
事務さんとの関係も違った。

仕事としては、かなり大変だった。

でも、同時にすごく面白かった。

土地の人に、おいしい店を教えてもらう。
現地の人しか知らないような居酒屋に行く。
観光地に行く。
その土地の食文化に触れる。
その土地の人たちの価値観を聞く。

彼女が旅行感覚で遊びに来てくれることもあった。
その時は、店舗の人たちにおすすめを聞いて、一緒に行った。

ただの観光ではない。
その土地で働いているからこそ、現地の人に聞ける場所がある。
現地の人の生活に近い場所へ行ける。

それが本当に楽しかった。

青森では、ゴルフや釣りも教えてもらった。
居酒屋のマスターと仲良くなることもあった。
全国のご飯や観光地の記憶は、今でもかなり残っている。

今は夫婦になり、子どももいる。

それでも、あの頃に行った土地やお店は、
「また家族で行きたい場所」として、自分の中に残っている。

仕事で行った場所が、
今では家族で行きたい場所になっている。

そう考えると、あの全国勤務の時間は、ただの仕事ではなかった。

自分の人生の地図を広げてくれた時間だった。


3ヶ月ごとに、生活を立ち上げ直していた


ただ、全国勤務は旅行ではない。

ここを忘れてはいけないと思う。

旅行なら、荷物を置いて、観光して、帰ればいい。
でも全国勤務は、その土地で暮らして、働く必要がある。

3ヶ月ごとに、店舗が変わる。
そのたびに引っ越す。
そのたびに生活を立ち上げ直す。

引っ越しの段ボールを詰める。
引っ越し業者と話す。
家の契約をする。
鍵を受け取る。
ガス、電気、水道の手続きをする。
新しい家から店舗までの通勤時間を調べる。
必要なら自転車を買う。
飛行機や新幹線を取る。
交通費の申請を出す。

これを、ほぼ一人でやる。

しかも、それを1日か2日で終わらせて、
次の日には新しい店舗で働く。

新しい土地。
新しい家。
新しい通勤経路。
新しい薬局。
新しい先輩。
新しい患者さん。
新しいルール。

全部が一気に変わる。

引っ越しは、ただ荷物を運ぶだけではなかった。
生活をもう一度作り直すことだった。

段ボールのままにしておくと、生活がずっと仮のままになる。
だから自分は、できるだけ一度全部出すようにしていた。

一回散らかす。
全部見える状態にする。
そこから片付ける。

今思うと、これは自分の考え方にも似ている。

頭の中でも、生活でも、
一度全部出してから整理する。

それを何度も繰り返していた。


地方で暮らして、車社会とインフラの重さを知った


全国勤務をしていると、地方で暮らす大変さも知ることになる。

青森は、思っていたより過ごしやすかった。
理由は単純で、歩いて行ける距離にスーパーがあったからだ。

これは本当に大きい。

逆に静岡の時は、かなりきつかった。

家の周りに本当に何もない。
スーパーまで自転車で20分。
通勤はバス。
買い物は自転車。

しかも山側だったので、移動が大変だった。
街灯も少なく、夜は本当に暗い。
散歩できるような場所も少ない。

都会にいると、地方の「何もない」を想像しにくい。

大阪なら、少し歩けばコンビニがある。
電車も地下鉄もすぐ来る。
5分に1本電車が来ることもある。

でも地方では、バスや電車が1時間半に1本ということもある。
車がないと生活の難易度が一気に上がる。

車社会だと頭では知っていた。
でも、実際に住んでみると全然違った。

ガスの契約も大変だった。

開栓には立ち会いが必要になる。
でも仕事は始まっている。
だから店舗に、
「この日はガスの立ち会いがあるので、少し抜けます」
と伝えないといけない。

タイミングが合わないと、ガスが使えないまま生活が始まる。

実際、夏だったから何とかなったけれど、
しばらくガスなしで水に近い状態でお風呂に入っていたこともあった。

こういうことは、やってみるまでわからない。

全国勤務は、土地を楽しむ経験でもあった。
でも同時に、生活インフラの重さを知る経験でもあった。


早く馴染むほど、教えてもらえることが増えた


全国勤務で大変だったのは、生活だけではない。

店舗にも、早く馴染まないといけなかった。

3ヶ月しかいない。

最初の1ヶ月でようやく慣れて、
次の1ヶ月で少し動けるようになって、
最後の1ヶ月でようやく自分なりに働ける。

そんな感覚だった。

だから、最初の1〜2週間がかなり大事だった。

まず、その店舗のルールを見る。
勝手にいじらない。
人の家に入るような感覚だった。

その薬局には、その薬局の流れがある。
その店のやり方がある。
その人たちが積み上げてきた関係がある。

そこに新しく入る人間が、いきなり正論を振り回しても仕方がない。

だから、まず見る。
聞く。
わからないことは、わからないと言う。
前の店舗で見たことがあっても、押しつけない。

「前の店舗ではこうでした」
くらいに留める。

早く馴染めば馴染むほど、教えてもらえることが増える。

薬のこと。
患者さんのこと。
病院との関係。
地域のこと。
その店の歴史。
人間関係。

結局、仕事を覚えるには、人間関係を作る必要があった。

薬剤師としてミスをしないことも大事。
薬の知識をつけることも大事。
でも、知らない店舗で働くには、それだけでは足りない。

聞ける関係になること。
教えてもらえる関係になること。
その場のテンポに入ること。

全国勤務で鍛えられたのは、薬剤師としての知識だけではなかった。

知らない場所に早く入り、
人間関係を作り、
その場で働ける状態を作る力だった。


2〜3週間の出張で、現場を読み、次の人へ渡す仕事をした


3年目以降は、出張族のような働き方も増えた。

人手が足りない店舗に、2〜3週間単位で入る。
その土地で働く。
現場の状況を見る。
問題点を見つける。
上司に報告する。

普通の薬剤師として、ただヘルプに入るだけではなかったと思う。

早く馴染む。
現場のルールを覚える。
導線を見る。
どこで詰まっているかを見る。
誰が困っているかを見る。
次に入る人が困らないように、注意点やルールを共有する。

第一陣として入ることも多かった。

これはけっこうしんどい。

まだ誰も整理していない場所に入る。
情報が揃っていない。
現場の空気も読めない。
でも、早く把握しないといけない。

上司からは、
「お前はどこ行っても楽しそうだな」
と言われたことがある。

たぶん、そう見えていたのだと思う。

実際、自分も楽しかった。

でも、楽だったわけではない。

新しい場所に入る。
人を見る。
仕組みを見る。
問題点を見る。
その土地でしか聞けない話を聞く。
次の人が困らないように渡す。

そういう一連の流れを、面白がっていた。

だから、周りから見ると大変そうな仕事でも、
自分の中では「それはそれ」と処理していたのかもしれない。

ワークをワークとして重く受け止める前に、
その中にある情報や人や土地の面白さを拾っていた。


ホスピス病院で、責任の重い現場に入った


出張族の中でも、かなり印象に残っている仕事がある。

ホスピス病院での仕事だ。

薬剤師が足りない。
緩和ケアに関わる薬剤師が辞める。
新しい採用が決まるまで、つなぎで入る必要がある。

そこで、自分が入ることになった。

普通に考えると、かなり責任の重い現場だった。

緩和ケアの現場では、麻薬の管理もある。
書類もある。
廃棄もある。
法令上の管理もきちんとしておかないといけない。

かなり気を使う仕事だった。

しかも、短期間で引き継ぎを受けて、回さないといけない。

でも、自分にとっては、かなり面白い経験でもあった。

医師と近い距離で話す。
看護師と話す。
朝と昼のミーティングで症例を確認する。
処方提案をする。
保険請求について事務局長と相談する。
システム上の運用について担当者と話す。

病院の中には、お坊さんが関わる場面もあった。

薬局とは違う。
通常の病院とも少し違う。

医療と生活と死生観が近い場所にあるような現場だった。

患者さんと直接たくさん話すわけではなかった。
でも、その人を支えるチームの中に、薬剤師として入っている感覚があった。

責任は重かった。

でも、学べることも多かった。

短期間で入って、必要なことを整理して、現場を回し、次に入る人へ渡す。

今思えば、これも自分の全国勤務・出張族時代らしい仕事だった。

知らない場所に入る。
早く構造を掴む。
人と話す。
必要な情報を整理する。
次の人が困らないように渡す。

大変だったはずなのに、やっぱりどこか楽しかった。

短い時間だから、今やるしかなかった


全国勤務や出張で、一番鍛えられたのは、時間の感覚かもしれない。

同じ店舗にいられるのは3ヶ月。
出張なら2〜3週間。
短ければ、もっと限られた時間しかない。

普通に働いていたら、
「また今度でいいか」
と思うことがある。

でも、全国勤務では、また今度がない。

今食べに行かないと、その店には行けない。
今話さないと、その人とは深くならない。
今聞かないと、その土地のことはわからない。
今問題点を見つけておかないと、次に入る人が困る。

だから、動くしかない。

この感覚が、どんどん積み上がっていった。

時間は有限だ。
今やらないと、本当に損をする。

そういう感覚が、体に染み込んだ。

だから、フットワークはかなり軽くなったと思う。

知らない土地でも、とりあえず行く。
誘われたら乗ってみる。
現地の人に聞いてみる。
面白そうなものには入ってみる。

青森は、飛行機で行くと意外と近く感じる。
一方で、富山のように乗り換えが多い場所は、距離以上に遠く感じる。
名古屋は車の運転が荒く感じた。
鹿児島は路面電車が多くて、運転しづらかった。

そういう土地ごとの感覚も、自分の中に積み上がっていった。

ただ地名を知っているのではなく、
移動の感覚として覚えている。

その土地で働いた。
その土地で暮らした。
その土地で人と話した。

だから、会話には困らない。

経験が、地図のように残っている。


ワークをワークとしてだけ受け取れなかった


振り返ると、全国勤務も出張も、かなりワークだった。

奨学金を返すために働く。
薬剤師として経験を積む。
3ヶ月ごとに引っ越す。
生活を立ち上げ直す。
知らない店舗に馴染む。
問題点を見つける。
上司に報告する。
次の人へ渡す。
責任の重い現場に入る。

かなり、やるべきことだらけだった。

でも、自分はたぶん、ワークをワークとしてだけ受け取るのが下手だった。

大変なはずの移動の中で、土地の違いを見ていた。
引っ越しの中で、生活の立ち上げ方を覚えていた。
知らない店舗で、人間関係の作り方を学んでいた。
出張先で、現場の癖を読むことを面白がっていた。
ホスピス病院で、責任の重い仕事をしながら、医療と人の関係を学んでいた。

やるべきことの中に、
人がいた。
土地があった。
ご飯があった。
趣味があった。
会話があった。
学びがあった。

だから、楽だったから楽しかったのではない。

やるべきことの中に、好きや面白さが混ざっていたから、楽しかったのだと思う。

これが、自分にとってのワーク〈ライク〉バランスのひとつだった。

仕事の外に、好きなことがあっただけではない。
仕事の中に、好きなことが混ざっていた。

そして、その時に出会った土地や人や趣味は、
今の自分の中に残っている。

夫婦でまた行きたい場所。
子どもを連れて行きたい場所。
あの時教えてもらった趣味。
あの時聞いた話。
あの時働いた現場の感覚。

全部が、今の人生の地図になっている。

だから、あの時間は無駄ではなかった。

かなり大変だった。
かなり目まぐるしかった。
でも、たしかに自分の中に残っている。

薬剤師として働きながら、
自分は全国を旅するように学んでいたのだと思う。


うん、そこはかなり大事です。
「最後は勝つ」「考え行動して欲しい」まで行くと、少し上からになります。

この記事の温度なら、読者に命令するより、自分の実感として置く方がいいです。

こんな感じが合います。

最後に


これから就職活動をする人や、転職を考えている人に、偉そうに何かを言える立場ではない。

ただ、自分の人生を振り返ると、
「やるべきこと」と「やりたいこと」は、完全に分けられるものではなかった。

奨学金を返すために働く。
薬剤師として経験を積む。
知らない土地で生活を立ち上げる。
それは間違いなく、やるべきことだった。

でも、その中で出会った人がいた。
土地があった。
ご飯があった。
趣味が増えた。
今でも家族でまた行きたいと思える場所ができた。

逆に、やりたいことの中にも、ちゃんと責任はあった。

全国を見たい。
いろんな土地に行きたい。
人と出会いたい。
そう思って選んだ働き方の中には、引っ越しも、孤独も、慣れない店舗で早く馴染む大変さもあった。

だから今は、ワークとライクは、どちらかを選ぶものではないのかもしれないと思っている。

やるべきことの中に、自分なりの好きや面白さを見つけること。
好きで選んだことの中にある責任や大変さも、ちゃんと引き受けること。

その両方が少しずつ重なった時、
働き方はただの仕事ではなく、人生の地図になっていくのだと思う。

今、就職や転職の前にいる人も、きっと迷うと思う。

条件も大事だ。
お金も大事だ。
勤務地も、休みも、将来性も大事だ。

でも、その中で、
自分はどんな経験をしてみたいのか。
どんな人と出会いたいのか。
どんな暮らしに近づきたいのか。

そこも、少しだけ見ておいていいと思う。

限られた時間の中で選んだことは、
あとから思いがけない形で、自分の人生に残ることがある。

僕にとって、全国勤務はそういう時間だった。

大変だった。
でも、面白かった。

そして今も、あの時に出会った土地や人や経験が、
自分の中で、家族とこれから行きたい場所として残っている。

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