片方の耳が教えてくれた「聞こえない」という名のギフト【マネージャー時代の気づきVol.2】
私は左耳が聞こえない。
でも、音楽業界で仕事をしてきた。レコーディングで意見を聞かれる時もあったし、ライブではPAさんに簡単な指示やお願いをする時もあった。
もし私が「左耳が聞こえないから……」と言って卑屈になっていたら、音楽に関わる仕事はできなかっただろう。
あなたには、そんな「できない理由」があるだろうか。
誰かに言われた言葉や、自分で決めつけた思い込みで、本当はやりたいことを諦めていないだろうか。
私がこうして自然に生きてこられたのは、両親のおかげでもあると思っている。
彼らは、私の左耳に関して制限するようなことを一切言わなかった。
「片耳だから無理」とか「気をつけなさい」とか、そういう言葉を一度も聞いた記憶がない。
だから私は、左耳が聞こえないことを「問題」として認識することなく、ただ自然にそのまま生きてきた。
聞こえないことを聞こえないままに。
もしあの時、両親が「あなたは片耳が聞こえないのだから」と何度も言い聞かせていたら。
もしあの時、周りの大人たちが「無理しないほうがいい」と心配そうな顔で言っていたら。
私は今、まったく違う人生を歩んでいたかもしれない。
「不自由」の定義は、誰が決めるのか
ミスチルの「擬態」という曲がある。
歌詞の中にこんなフレーズがある。
富を得た者はそうでない者より満たされてるって思ってるの!?
障害を持つ者はそうでない者より不自由だって誰が決めるの!?
目じゃないとこ耳じゃないどこかを使って見聞きをしなければ
見落としてしまうものばかり
そう、誰も決めない。
自由か不自由って感じることさえ、自由。
あなたが今「これは無理」と思っていることは、本当に無理なのだろうか。
それとも、誰かがそう言ったから、自分でそう決めつけてしまっただけなのだろうか。
「聞こえない」が育てた、想像力という光
ある時、尊敬するアーティストからこんな言葉をかけてもらった。
「あなたは左耳が聞こえないかもしれないけど、たぶん、それは普通に両方聞こえる耳を持っている人よりもずっと聞いたり、想像したり、感じたりすることが出来るんだと思うよ。」
その言葉は本当に嬉しかった。
ああ、そうか。
私にとって「左耳が聞こえない」は、何かを止める要因でもないし、卑屈になるものでもないし、制限でもない。
それは、この人生のギフトかもしれないのだ。
あなたにも、そんなギフトがあるかもしれない。
今は「欠けているもの」「足りないもの」に見えているかもしれないけれど、実はそれこそが、あなただけの特別な感性や視点を育ててくれているのかもしれない。
もし、今、あなたが人生に何か制限を感じていたり、誰かの言葉や今までの思い込みで生きづらさを感じているのなら、
その「制限」は、本当に制限だろうか。
誰が、それを制限だと決めたのだろうか。
人生は、誰かに決められるのではない。
それを思い出すきっかけになれば、嬉しい。
この記事は、過去のブログからリライトしたものです。
当時感じたこと、気づいたことを、そのまま残しています。
物語のその先で—今、ここから—
でも、その『決める自分』さえも、手放していけるのかもしれませんね。
香野 晴美(Harumi Kouno) ライフコーチ/ファシリテーター
「死と再生のワークショップ」・個人セッション・瞑想会を開催中
