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基本的な考え方として

ここで書いていることは、だれも読まないだろう。だれも助けに来ないだろう。助けるように頼まれても、どの家の戸も閉まっている、どの窓も閉まっている、みんなベッドにはいって、頭からふとんをかぶっている。地球全体が夜の宿だ。それもそのはず。だれもわたしのことを知らない、知っていてもいる場所がわからない、いる場所がわかっても、そこにひきとめておけないし、そこにひきとめておくことを知らなければどうやって助けるかもわからない。(カフカ「八つ折りノートB」(1917年)より)

今月の「水牛のように」、「『アフリカ』を続けて(44)」では、守安涼の小説集『夜の航海』をアフリカキカクの次の新刊として出すことになった経緯を書いています。『夢の中で目を覚まして──『アフリカ』を続けて①』が守安くんの発案によるものだったので、返礼で、というわけでは、じつはなかったのですが、私の夢の中で何かそんな本をつくる話になったので、現実にやってみた、というわけです。その詳細は今週末にでも出せるかな、と思っていますけれど、どうして我々が自分の本ではなく他人の本を出そうと考えるのかという話を書いておこうと思います。

私は、基本的な考え方として、

・何か書くこと
・書かれたものを編集すること
・それをデザインして本にすること
・校正すること
・印刷・製本すること
・完成した本を売る・配ること

これらは、それぞれ別々の営みである、と思っています。それぞれ独立した仕事として成り立ちます。「仕事」というのは文字通り何「事」かに「仕」えるという意味で、それが商業として成り立つかというのはまた別の問題になりますけれど。

もう少し踏み込むと、この全てを、ひとりでは出来ない営みだ、と言いたいところです。

ついでに、もう少し足したいのですが、

・その本を読むこと
・批評すること
・保存すること

そんなことも、また別の仕事として、あります。

たとえその本が何らかの批評文を集めた本だとしても、その批評集に対する批評というのは、なければなりません。なければ、まだ一丁前と言えないわけです。

私のなかには、このうち、幾つかが混在して、自分の仕事というふうに感じています。でも、どう頑張っても、ひとりでは無理です。それに同時に出来るものでもない。

「本をつくる」と言っても、ざっとしたことを言うだけでも、これだけあるのです。

いまは本を自分でつくり、売ろうという動きが、私が始めた頃に比べたら出てきているようです。しかし、つくって売るだけでは、終わらないことなんです。

ここから、いろんな方向へ話が派生していきそうなので、今日は、その全てを網羅するようなことは書けそうにありません。

まず言えるのは、書くときには、とにかく書くことに集中しようよ、ということです。

『アフリカ』に書く人、書きたいと思っている人と、そのへんの話をしてみたくなってきました。我々以外の他人がそれを読んでどう思うか、なんて、いまはどうでもいいじゃない? とにかく書いて、読んでみようよ、と。

(つづく)

ウェブマガジン「水牛」の毎月1日更新のコンテンツ「水牛のように」で、下窪俊哉が2021年7月から連載している「『アフリカ』を続けて」の(1)から(33)までをまとめた ① が1冊になりました! BASEショップを中心に少部数をじわ〜っと発売中。読んでみたい方からのご注文をお待ちしています。
アフリカキカクのウェブサイト「オール・アバウト・アフリカン・ナイト
アフリカキカクのウェブショップ(BASE)

『夢の中で目を覚まして──『アフリカ』を続けて①』の表紙

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