おいしいナンは焼けないけれど、私も社会の一部になりたい
銀色のお皿からはみ出し、テーブルにくっつきそうなくらい大きなナンが、インド人と思われるお兄さんから手渡される。「アツイカラ、キヲツケテネ」という言葉通り、一口サイズに手でちぎるのも一苦労だ。不揃いな切り口から、ふわっと湯気が立ちのぼる。決まっていつも注文する、緑色のとろりとしたホウレンソウのカレーをたっぷりとつけて、口に運んだ。
ふああああ。しあわせ……。
カウンター席の一番端で、時間をかけて咀嚼する。
区役所での用事を済ませたあとのランチは格別だ。この日は、毎年8月にある、母子家庭の児童扶養手当の更新手続きだった。離婚して、もう何年目だろうか。思い出せないくらい月日は流れ、この手続きも何回目か分からない。
実は数週間前も区役所を訪れている。その際、あらかじめ電話で必要書類を確認したのにもかかわらず、2種類も足りなくて、出直す羽目になってしまったのだ。そんな面倒だった手続きが完了し、何とも言えない開放感があった。無事に終わったご褒美にと、インドカレーを食べてから帰ることにしたのだ。
熱々だったナンが程よく落ち着いてきたころ、ふと「こんなおいしいナン、私には焼けないな」としみじみ思った。当たり前だ。私は料理人じゃない。カレーは市販のルウでしか作ったことがないから、必要なスパイスさえも分からない。でもその当たり前が、改めて考えてみると、不思議なことに思えてきた。
目の前のキッチンでナンを焼いてくれたお兄さんは、私とはまったく違う人生を送ってきた人だ。どういう経緯で、日本でお店をしているのかは知らないけれど、彼が習得した技術のおかげで、私は今おいしいナンを食べて、しあわせな気分に浸っている。
それだけじゃない。考えてみれば、児童扶養手当の手続きだって、ひとりでは完結できないし、区役所の最寄り駅まで電車を運転することも、もちろん無理だ。
想像もつかないほど多くの人たちの人生の一部を分けてもらいながら、私の一日は成り立っている。もし、今からこれらの技術を自分で身につけようと思ったら――考えただけで気が遠くなる。きっと人生がいくつも必要になるだろう。そう思うと、感謝の気持ちでいっぱいになった。
そして同時に「じゃあ私は、社会の一部として、誰かの役に立てているだろうか」と不安になった。なんだか自分が人から受け取ってばかりの、ただただ消費するだけの存在に思えてきてしまう。
あれこれ考えながらも、最後の一口までナンとカレーを味わいつくした。お金を払って、お店を出ようと扉を引く。ふと人の気配を感じて振り返ると、スタッフのみなさんが丁寧に見送ってくれた。キッチンにいたお兄さんまで、わざわざ出てきて深々と頭を下げてくれている。「ごちそうさま、また来ます」と私が伝えると、爽やかな笑顔を返してくれた。
みんな、できないことは誰かに補ってもらって、自分ができることで誰かの力になっている。そうやって知らないうちに手をつなぎ合うことで、社会は成り立っているのかもしれない。
私は今、書くことを仕事にしている。ナンがしあわせにしてくれたように、文章を通じて、知らない誰かの心をほんのり温められたらいいなと思う。私の人生が、少しでも社会の一部として役立つのなら、今までの苦労や葛藤も丸ごと抱きしめられる気がする。
お店を出て、駅へ向かって歩き出す。真夏の熱気が、アスファルトから私を通って空へのぼっていった。おいしいナンを食べたおかげか、空腹時より暑さは気にならない。そしてさっきよりも、自分の足取りがほんの少しだけ、力強く感じられた。
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