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恋愛小説【第10話】あの日、何も持ってなかったけど(背中を押す言葉)

【第2章】少し踏み込んだ景色

距離が縮まるたび、見えてくるものがある。
知らなかった笑顔も、触れられなかった心も──。

修学旅行を終え、ふたたび日常が始まった。
周りには夢や目標を語る同級生。けれど、自分には何もない──
その空白を埋めるように、陽翔の視線はいつしか菜桜を追っていた。
何気ない会話で、少しずつ近づく距離。
その中で交わされた言葉が、迷い続ける陽翔の胸の奥に静かに残っていく。


📖前回のお話(第9話)

陽翔は菜桜の家で、葵と一緒にゲームを楽しみながら過ごす。
そこで見た菜桜の意外な一面に、心が少し近づいた気がした。
けれどその陰で、大輝の存在が陽翔の胸にざわめきを残していた──。


🧑‍🤝‍🧑登場人物紹介

🧁 長谷川 菜桜(なお):パティシエ志望の高校2年生。お菓子作りが得意。夢はフランスに行くこと。
🏐 西岡 陽翔(ひろと):バレー部。恋に不器用で、ちょっと奥手。友達は多く社交的。
🎮 長谷川 葵(あおい):菜桜の弟。小学4年生。ゲーム好きでやんちゃだが、姉想いな一面もある。
🌟中森 大輝(なかもり だいき):菜桜の幼馴染。バレー部部長。先輩としても信頼され、男女問わず人気がある。


【第10話】背中を押す言葉

🍰 笑い声の余韻に包まれて

「ふたりとも、夕飯食べてく?」
菜桜が菜箸を手にしたままキッチンから顔をのぞかせた。

「いや、家にあるから。ありがとな。おばさんももう帰ってくるだろ?」
大輝が立ち上がりながら答える。

「うん、電車遅れてるけど、もうすぐ帰るって」

「なら俺らは帰るわ。ケーキごちそうさん。葵、ねーちゃん頼むぞ」
ポンと頭を叩かれ、葵がムッとした顔をする。

「子ども扱いすんなって!」
手を振り払うと、菜桜がくすっと笑った。

笑い合う声の横で、陽翔は思わず菜桜を見た。
「今日はありがとう。勉強も…ケーキも」
言葉にしたい気持ちは他にもあったのに、続けられなかった。
陽翔の言葉に菜桜は柔らかく頷いた。

「こちらこそ。西岡くんがいてくれて、助かったよ。葵の相手もね」
そう言って微笑んだ菜桜の顔に、心臓がぎゅっと鳴った。

「べつに……俺が遊んでもらっただけだし」
もごもご言う陽翔の横で、葵がゲームから目を離さずに叫ぶ。

「このにーちゃん弱いんだぜ! 次来るまでに練習しとけよな!」

「葵!目上の人に失礼でしょう!」
思わず声を張り上げる菜桜。

「へぇ、怒るんだ? 学校じゃ大人しそうに見えるのに」
陽翔が笑い出すと、菜桜は頬を膨らませた。

「怒ってばっかだよ。……意外?」
「うん、ちょっと」

そのやり取りを遮るように、大輝が玄関から声を張った。
「おーい、ヒロー! 帰るぞー!」

「別に一緒に帰るとは言ってないんだけどなぁ……」
ぶつぶつ言いながら玄関に行き、靴を履いた。
その様子を菜桜がくすくす笑いながら見送った。

「気を付けて帰ってね。またね」
手を振る菜桜の姿が、陽翔の胸にほんのり残った。


🌌 群青に沈む光と、幼馴染の余裕


陽翔は、なんとなく気まずい空気を感じながら大輝と一緒にエレベーターに乗り込む。

「先輩、家近いんですか? その…停電のとき、すぐ来たから……」
恐る恐る尋ねると、大輝は階数表示を見つめたまま答えた。

「ん? 俺んち?このマンションの5階」

「え? 5階……?」
陽翔が戸惑いながら大輝を見る。
このエレベーターは1階に向かっているからだ。
大輝は陽翔をみてニヤッとした。

「お前、電車?」
「いえ……遅延してるって聞いたんで、歩こうかと。1駅だし、歩ける距離なんで」

「ふーん」
それだけ言って、また階数表示を見つめる。

エレベーターの扉が開くと、陽翔に先に降りるように大輝が促す。
会釈して、陽翔は先に降りると地図アプリを開き、ゆっくりと歩き出した。

大輝はなぜか陽翔のあとについて来る。

「あの……先輩、俺に何か用っすか?」
落ち着かない気持ちで、つい聞いてしまう。

「いや、コンビニ」
わざとらしく肩をすくめる。

(コンビニ、こっちにあったっけ……?)
怪訝そうに地図アプリを見つめる陽翔に、大輝が笑った。

「途中まで送るよ。道、わかんねーだろ」

陽翔は驚いて顔をあげる。
「……すみません、お願いします」

けれど大輝は無言のまま前を歩き、陽翔は何を話せばいいのか掴めずに、ただ気まずさだけが募っていった。

「菜桜の飯、食いたかったな。ウマイんだよ」
大輝はポケットに手を入れて陽翔を見ると、ニヤッとした。

(……長谷川の手料理、食べたことあるんだ…)
ほんの一言なのに、胸の奥がざわついた。
幼馴染だから当たり前なのに、なぜか置いていかれたような気がした。


「え? じゃあ、なんで断ったんスか?」

「アイツん家、シングルだろ。大変だと思うぜ? お菓子の材料だって、バイト代から出してるし。…パティシエになりたいって知ってるか?」

「あ、はい。聞いたことあります…フランスに行くのが夢だって」

「あぁ…そうだな…」
大輝は少し寂しそうな表情を浮かべて、空を仰いだ。

夕焼けの色はもうほとんど消えていて、
西の端に残る淡い光を、群青がゆっくりと飲み込んでいく。

どこか遠くへ流れていくような、頼りない明るさ。
追いかけようとしても、届く前に消えてしまう光。

夜のはじまりを告げるその空には、
どうしようもない喪失感が、ひっそりと滲んでいた。


🏐 落ちそうな心を繋ぐ声

小さく息を吐くと、大輝は続けた。
「夢に全力で金ためてんだ。夕飯まで俺らが食ったら悪いだろ」

「……すげぇっすね…」
陽翔は小さく吐き出すように言った。

「俺なんか、進路も決まってないし、やりたいこともなくて……ただ流されてるだけで。…今日も長谷川に迷惑かけて……」

言葉を重ねるほど、自分の情けなさがあらわになる。
「ほんと、何やっても中途半端で……ダメダメっす」
声はどんどん小さくなり、最後は自分を見下すように俯いた。

大輝は横目でちらりと見て、鼻で笑った。
「ダメじゃねーよ。あそこまで突っ走れる奴なんて、ほんの一握りだ。大抵は迷ってんだ」

「でも、先輩は……」

「俺だって悩んでる。進学すんのが正解かどうかなんて、わかんねーよ。とりあえず勉強だけはしてるってだけ」

陽翔は驚いたように目を見開いた。
「……そうなんスか」

「おう。だから比べんな。誰だって迷う。胸張って夢を語れる奴が珍しいんだよ」
大輝の言葉は淡々としていたが、不思議と胸に沁みた。

「いや、でも…それでもちゃんと考えて、行動しててすごいっす。俺なんて、ほんとに何もしてないし、何もなくて……」
陽翔はまた肩を落とした。

少し歩いたところで、大輝が足を止める。
「大事なのはな、悩むことじゃなく“やること”だ。やってみてから悩めばいい」

「バレーだって同じだろ?いくら本や動画でルールや動きを覚えても、実際に体を動かさないと、スパイクは打てない」
「…お前、最初からタイミング合ったか?」

「いえ…ジャンプのタイミングわからなくて…スカしたっす」

「だろ?」
大輝がくすっと笑った。

「とにかく、やるんだよ」
大輝は歩きながら、当たり前みたいに言った。
「思いついたことは、とにかくやってみて、失敗する。何が悪かったのか考えて、もう一度やる。ダメなら、違うことに挑戦してみりゃいい。――それで少しずつ近づける」

「バレーだってそうだろ? スパイカーになりたいけど、実はセッターが合ってた、とかリベロが向いてたとか」

陽翔は思わず顔をあげた。

「進路も人生も、それと同じだ。失敗しないと、成功になんか近づけねぇ」

大輝の声は軽い調子だったが、不思議と胸に深く刺さった。

「別に進学が合わないと思ったら、就職すればいい」
大輝は肩をすくめる。
「就職先が合わないと思ったら、転職すればいい」

言葉は軽い調子なのに、不思議と重みがあった。

ちょうどそのとき、街灯がぱっと灯り、ふたりの影が歩道に長く伸びた。
陽翔はその影を見つめながら、胸の奥がじわりと温かくなるのを感じた。


「だからな。今のお前に必要なのは悩むことじゃない。…やることだ」
歩みを止め、大輝が陽翔を見た。

「悩むのは、そのあとでいい」

軽く言い放つその背中が、やけに頼もしく見えた。

陽翔の胸がじんと熱くなる。
ほんの一瞬、夜の静けさがふたりを包む。

「大丈夫、お前が落ち込むのは、真剣になっているからだよ。あとはやるだけだ。」

陽翔の背中を、軽くポンと叩いた。

「……」
陽翔は俯いたまま、じんわり胸が熱くなるのを感じた。

「……ありがとうございます。やっぱ先輩、すげーっす」

「だろ? もっと敬えよ」
大袈裟に胸を張ったあと、ふっと笑った。
「……ま、偉そうに言ったけどな、自分に言い聞かせてるだけだ」

その笑顔に、陽翔は少し肩の力が抜けた。
大輝は雲の上の人じゃない。同じように悩んで、でも誰かの背中を押せる人なんだ。
その気づきが、じんわりとあたたかさを残した。



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