美山 芦生わさび祭りと『美山考』座談会
作成:2026年4月13日
改訂:2026年4月16日
4月10日の朝、芦生わさび祭りの見学と、楽しみにしていた文化財保存会の方々との座談会に出席するため 7:00 に自宅を出発、美山に向かった。
ふれあい広場横の定点観測地の桜は、数日前の満開を見逃してしまったが、花散らしの雨で路面は花絨毯のよう。これはこれでなかなかイイ感じ^^



芦生には10:00頃に着いた。熊野権現神社で斎行されるわさび祭りまで時間があるため、芦生の森に向かって少し歩くことにした。
地形図で芦生集落のはずれに記された鳥居記号がずっと気になっていたが、この芦生神社だと分かった。

芦生研究林事務所から出て来られた方に、この先の様子を尋ねると、30分ほど歩いたところに灰屋集落跡があり、そこに地元の方が守っている神社があるとのこと。事務所で入林届を書き、森林鉄道跡の軌道に沿って芦生の森に入って行った。

谷筋に沿ってつけられた軌道の先の木々は、雨に濡れて緑が鮮やか。少し湿った空気が喉に優しくオイシイ。
軌道の所々にある水たまりを避けながら歩いていたが、雨脚が強くなってきたため先に進むのは諦めて引き返えすことにした。(本当はクマが怖かった^^)

11:00からわさび祭りの神事が始まった。昨年は神事が始まると同時に頭上の木々の間から陽が差し込み雨は一時的にやんだが、今年も土砂降りだった雨はいつの間にか小降りになっていた。

神職による神事と地元関係者の参拝が終わると、お百度参りといって、ザルに入れられた百枚の平らな石を手に取って拝殿の周囲を右回りし、本殿の前で投げ入れて参拝する。今年はその参列に並ばせていただいた。

ザルの石が無くなると葉わさびのおひたしとお神酒がふるまわれた。わさびを箸で摘まみ上げ取ろうとしたが、絡まってなかなか取れず。左手でわさびを押さえ箸で一本引き抜き口にほうばった。噛むほどに、わさび特有のあのツーンとした刺激が鼻から抜けていく。

文化財保存会の方に招かれて、祭りのあとの直会(なおらい)にも参加させていただけることになった。
会場の山の家に入ると、たくさんの人が着席していた。芦生研究林の関係者や、先日南丹市立文化博物館の特別展で感動した作品(芦生の森の水彩画)の作家さん、わさびを研究されている大学の先生等々、来賓の方々が順に挨拶をされているなか、思わぬことに私もひと言自己紹介することになりマサカのビックリ.. 何を話してよいか分からぬままに、美山各地の祭りを見学していること、130余りもある神社や寺院を回り由緒を調べていることなどをしゃべった..ように思う^^
歓談のなかで、文化財保存会の働きかけにより、昨年、わさび祭りが南丹市無形文化財に指定されたことを知った。
隣席の年配男性に話しかけると、地元の方だそうで、わさびは自生のものが採れなくなったため四ヶ所で栽培していること、昔芦生の山奥に木地師の住む集落があったこと(大正郡誌で読んだことが本当にあったことだと知り感激)、その住人は芦生に移り住んだこと、わさびの醤油漬けを商品化し道の駅で販売していること、森林鉄道は昭和の始めに廃止されたこと等々、興味深い話を伺うことができた。
直会を退席し、美山の文化財保存活動をされている会の会長はじめ 3名の方と座談会を行うため鶴ケ岡のお店に向かった。
今回の座談会は、美山を訪れた際に昼食でよくお世話になっている鶴ケ岡のお店のオーナーさんとの会話で、美山にお住まいの歴史に詳しい方から『美山考』関連で一度話を伺うことができれば..とお話ししたことをきっかけに、積極的に動いてくださり実現するに至った。オーナーさんはじめ開催にご尽力くださった皆さんには只々感謝するのみ。
文化財保存会の方には、あらかじめ座談会でお聴きしたいことをまとめた資料をお渡ししていて、おおむねそれに沿って会話を進めた。
これまで自習では思いつかなかった視点からの「なるほどっ!」と膝を打つような指摘や、資料を読むだけでは到底知り得なかったことなど、様々な話題を聴くことができた。私の質問にも真摯に答えてくださり、4時間あまりに渡って楽しく会話をすることができた。たいへん有意義な座談会になった。
(ただ、話を伺ううちに、あれも知りたく、これも聴きたくなり、準備していて尋ねそびれたものが結構あることに、帰宅後気づいたが..^^)
そしてなによりも、私が『美山考』と題して美山のことを色々調べ記録・発信していることを肯定的に捉えてくださっていることが、嬉しく、ありがたく思う座談会になった。
会場と料理を段取りしてくださった鶴ケ岡のお店のオーナーさんと、長時間に渡り貴重な話をしてくださった文化財保存会の方々に感謝し、日が暮れ始めた美山をあとにした。
翌日、座談会で聴き取れたことを忘れないうちに記録しておいた。老頭が記憶している範囲のため、聴き間違いや聴き漏れ、書き漏れなど多数あると思うが、とりあえず紙面に書き出した。紙にすれば A4サイズ 3枚(座談会備忘録として保存)だが、その背後にはそれ以上の会話があり、私にとって大きな価値になった。
『美山考』 座談会備忘録
日時:2026年4月10日 14:00-18:00
記録:2026年4月11日
お狩初め:
・諏訪神社のお狩初めは毎年5日に実施している。
・鶴ケ岡地区内の神社を毎年一つ選んで旅所(狩所と言われたかも)にし、そこに軽トラで向かっている。
・狩倉(獣や狩猟道具を置いておくところ)が砂木にあった。
・大正郡誌に記されている忌縄の行事は行われていない。→上記、美山考の当行事に追記する。
高野天満宮:
・高野が宮島に属していた頃は、菅原神社の氏子だったが、鶴ケ岡に組み込まれてから高野の神社として天満宮を創立し祀るようになった。→美山考の当由緒に追記する。
棚野の千両祭:
・豊郷では古くから(室町の頃からか)風流踊りがされていた。
・風流踊りは、昔は鈴波神社ともう一神社(名称失念)、諏訪神社の三社で三日連続で行われていたが、いつの頃からか諏訪神社でのみ行われるようになった。→風流踊りの起源について調べる。
・高野は宮島から鶴ケ岡に組み込まれてから祭りに参加するようになった。
・神楽は道相神社や田歌の八坂神社(祇園さん)など美山各地で行われているもので、字鶴や高野の神楽はその流れをくむものと思われる。
・千両祭りの名称になったのは明治以降であるが、歌の書物はそれ以前のものが残っている。→上記、美山考の当行事に追記する。
上げ松・松上げ:
・愛宕信仰の火伏祭りとして若狭から京都にかけて行われている。
・弓削から芦生にかけての松上げは、弓削庄の文化圏括りと考えられるが、鶴ケ岡の上げ松はそれとは別に、若狭方面から伝わったものと思われる。
→上記、美山考の当行事に追記する。
・松本清張はゾロアスター教を起源とする説を唱えているとのこと。→面白そう。その書籍を確認する。
不動明王祭り(下):
・杉波谷の滝にある。例祭は毎年6月28日に行われている。織田信長に攻め滅ぼされた朝倉氏の落ち武者が石仏を背負って当地に安置したという伝承がある。今も祀られている。一乗谷には石仏が多数残っているとのこと。
→下地区の現地を確認する。
(以下省略)
今回の座談会により、新たに分かったこと、さらに知りたいこと、調べたいことの洗い出しができた。それらひとつひとつについて美山の探索と資料調査を続け『美山考』を適宜改訂していきたい。
そして最終的には冊子として完結させたいと思っている。
楽しみはまだまだ続きそうである^^
以上
