猫に「仏性」はある?ない?「仏性」とは今、ここ、この自己。「南泉斬却猫児」という話
今回は禅では有名な「南泉猫児」のお話です。
この話に登場するのは南泉普願禅師と弟子の趙州従諗禅師の二人です。
師匠に当たる南泉禅師はそのまた師匠の馬祖道一禅師(709~788年)に参じてその法を嗣ぎ、貞元十一年(795年)南泉禅師が47歳の時に、池陽(現在の安徽省池州)の南泉山に錫を留め、またそこに自ら寺を建て、自給自足の生活をしながら30年間生活しておりました。その間は一度も山を下る事がなかったといいます。
南泉禅師は中国史実上、非常に有名な方で、その名を慕って諸方より数多くの修行僧が集まって来たといいます。
今回の話はその南泉禅師の道場での出来事です。
猫に仏性があるか?
僧堂というのは修行僧が寝食を行う重要な場所です。
かつて中国の修行寺院において、またその僧堂において、修行僧の数が多く、全員を収容出来ない時にはその僧堂を増築し、東西2つに分けるような仕様にしていたと言います。
また大きな修行道場であればこそ、このような形が目立っていたわけですね。
当時、南泉禅師が住職を務める道場、その東西両堂において修行僧達が二手に分かれ、猫を捕まえて争っていたというのです。
何について争っていたのかと言えば、この猫に仏性が「有る」のか、「無い」のかという事で争っていたというのです。
一方の修行僧達は猫には仏性は「無い」と言い、また一方の修行僧達は仏性は「有る」と言い争って、少しも決着が付きませんでした。
その時住職である南泉禅師がその場に丁度通り掛かりました。
そしてその様子をご覧になり、渦中の猫をひっ捕まえ、大きな刀を振りかざし、「お前達が、この事について何とか言えたならば、ワシはこの猫を斬らないが、もし何も言えなかったならば、この猫をブタッ斬って仕舞うぞ!」と言われるのでした。
これには修行僧たちも困ってしまうわけですね。
・仏性とは何か?
・そもそも有るとは何か、無いとは何か?
・概念でわかることなのか?
こうした疑問を多くの修行僧が抱えていたことでしょう。このようなことが話題にあがればしきりに思案をめぐらせてしまう。
ともして、南泉禅師が求める期待に、修行僧達は誰一人として応えることが出来ませんでした。
ここで話は少し脇道に逸れますが、そもそも「仏性」とは頭で考えた概念ではなく、我々が「今」「此処」「自己」に生きている事実の事を言います。
例えば今ここ、この私においてはPCをタイピングしている。しかしそれはこの世界の全てを伴ってPCをタイピングしているわけです。
何かを見ている。何かを聞いている。呼吸をしている。消化をしている。
大自然と大都会。環境の違いこそあれば、例えば聞こえる量も、見える量も質も違うかもしれません。
しかしそれは単なる量の問題であって、事実で言うと、その場においては、その場における「全世界」を引き連れているわけですね。その場の全世界と溶け合っているのです。
鳥の声が聞こえたり、自動車の音が聞こえてくるのは鳥が自分であって、自動車が自分だからです。命に垣根や線引きがない。だからこうしていつどこにおいても何かが聞こえてくる。何かが見えてくる。
要するに全世界を引き連れている。全世界と1つに溶け合っている。この自分こそが世界そのものだということです。
あるいは世界と私とは1つとして溶け合っているからこそ、1秒ごとに風化していくわけです。年をとっていくわけです。世界と別であれば、我々は年を取るはずがないんですね。
我々はその場その場で、世界の真実を際限なく頂戴している。この世界の真実をいただいているわけです。世界と常に「同時」であるわけです。
今、ここ、この自己においてがそのようなあり方だということですね。
お釈迦さまは明けの明星をご覧になりお悟りを開きました。その際、「我と有情と同時成道」という言葉を残されております。私と世界は常に真実を展開している、世界と常に共にあって、1つであると。
つまり今、ここ、この自己こそが、真実であり、全てなのです。全てということは無論、仏法もそこに含まれるのです。
なので仏法や仏性というのも今、ここ、この自己のことなんですね。世界の全ては今、ここ、この自己につながっている。全ては今、ここ、この自己の展開なのです。
猫の仏性に関してだろうが、今日の夕飯のことだろうが、全ては今、ここ、この自己のことです。今、ここ、この自己がそれにつながっているのです。今、ここ、この自己がその答えなんですね。
「世界は今、ここ、この自己のみ」という風にも言えるかもしれません。
もしそのようなことを問われ、猫が可哀相だと思ったら「なんて酷い事をするんだ、猫が可哀相だから止めて呉れ!」と大声で叫んでも良かったし、あるいは勇気を出して南泉禅師が持っている刀を奪っても良かったし、或いはそのような概念遊びに私はとても付き合えませんと、南泉禅師へ礼拝してサッサッとその場から立ち去っても良かったわけです。
そこには決して合格、不合格はないんですね。
そもそも世界に合格も不合格もありません。それは世界を限定してしまうことになる。世界を限定し、物事を概念化してしまうことになる。これまで述べてきたような真実に反してしまうわけです。
それこそ真実を説こうとする仏法においてはお門違いのお話です。全ては1つ。2つとして分かれることはないのです。
人それぞれの自己表現をすればよかった筈なのに、そこに居た修行僧達は誰一人として何も道(イ)う事が出来ませんでした。
仏性があるとかないとか、猫には関係ない
そこで酷いことに、南泉禅師はヒッ捕まえていた猫を、持っていた青龍刀でとうとう一刀両段に斬って仕舞ったのでした。
猫の立場になったらたまったものではありません。
あるいはタマタマ僧堂前の中庭でノンビリと日向ぼっこしていたら突然修行僧達にヒッ捕まえられて、仏性が「有る」とか、「無い」とかと、そんな子供達の喧嘩に巻き込まれて、挙句の当てに殺されてしまうのですから。
仏性があるかないかなど、猫には何の関係もない事です。仏性があるかないか、それは人間の単なる概念遊びに過ぎないわけです。
あくびをしてゴロにゃーとする。あるいはお腹がすけば何かを捕まえて食べ、お腹がふくれればノンビリとする。これこそが猫の真実です。同時に世界の真実です。それ以上も以下もないわけです。
そのような猫に対して、人間がずかずかと入り込み、ああでもない、こうでもないという。
猫にとったら本当に迷惑な話です。
道元禅師は正法眼蔵随聞記の中で、今回の「南泉斬却猫児の話」を取り上げて、
「大衆に代って道はん」
とおっしゃっております。
「私がその時居合わせた修行僧だったら南泉禅師に対し、次のように答えてやろう」というわけですね。
先ずその一つ目が、
『既に道得す。請ふ、和尚猫児を斬らん(コトヲ)』
「このように大衆一同黙然としている事が、まさに道の全体を言い得ている事です。ですからさぁお師匠さま、どうぞ猫をお切り下さい」と、つまり黙然もまた自己表現であり、道のすべてを表現していると、道元禅師は言うのです。
次のもう一つは、
『南泉ただ一刀両段のみを知って一刀一段を知らず。大衆道不道、良久不対ならば、泉、道ふべし。「大衆已に道得す。」と云つて猫児を放下せまし』
「南泉は一刀一段の真意を知らない。大衆が一言も言わず、しばらくうけ答えが無かったならば、南泉禅師はこのように言うべきであった。『諸君が黙っているそのところに、道の全体がそのまま現われている。これが自己表現が出来たところだ』と言って、捕まえていた猫を放してやったら猫は逃げて行く、これが一刀一段というのである」
このようなことを道元禅師は申されているんですね。これが道元禅師の道得であり、自己表現だったわけです。また南泉禅師が真に求めるべき答えだったわけです。
自分だったらどうする?
「南泉斬却猫児」。このような話があったわけですが、これは非常に有名な禅問答で、これまでに多くの修行僧を導くための公案としても用いられてきたました。
仮に皆さんならこの危機迫る状況の中でどう道得されますか?皆さんにもそれぞれの「道得」がある筈です。
私だったらそうですね、ただ指をくわえてみているだけだったと思います。笑
この「南泉斬却猫児」のお話ですが、ここまでで一旦幕は閉じますが、続きがあります。
それに関しても述べておきたいと思います。
泉また前話を挙して趙州に問う
その晩であったのか、用事で他出していた弟子の趙州禅師が帰って来たので、南泉禅師はその日あった今日の出来事を話した訳です。
ここでようやく趙州禅師の登場です。
趙州禅師は12才の年齢で悟られたとする中国における傑物です。
その後も師匠の南泉禅師の元で修行を続けられ、師匠が亡くなると60才の歳で全国を遍参行脚され、120歳まで生きられたと言われております。
師匠の南泉禅師でさえ一目も二目も置く大人物でした。
その趙州禅師に今日の出来事を話すと、
州、便ち草鞋を脱いで、頭上に戴いて出づ
趙州禅師はやにわに自分が履いていた草鞋を脱いで、それを頭の上に載せてサッサッと南泉禅師のところから立ち去って仕舞ったのでした。
つまりこれが趙州禅師の道得であり、自己表現だったのです。
そもそも草鞋は足に履くもので、決して頭にかぶる物ではありません。ですから趙州禅師はここでは全くあべこべな行為をした訳ですね。
師匠である南泉禅師は猫を殺して仕舞った。本当はゴロニャーゴーしている事が猫にとっての「今」「此処」「自己」に生きている事実であり、それが全てでした。また仏性でした。もちろん南泉禅師も重々とそのところは会得していたことでしょう。
ところが修行僧のそのような誤り、つまり相対分別の観念論だけをタタッ斬るつもりだったのが、猫の実際の命まで奪って仕舞ったとはお師匠さんもあべこべの事をして仕舞いましたねという、そういう意思の表れだったのです。
趙州禅師らしい、非常に内容のこもったやりとりでした。
実際にも我々人間も、いつもそのような概念に振り回されて、あべこべな事をやっています。
たとえば「平和」の為だと言って戦争をしたり、また「幸福」はお金で買えると信じ、家族を犠牲にして一生懸命働いて頑張って来たのに、気が付いたら家族がバラバラになってしまった、というような話もあります。
そのような「平和」とか、「幸福」とかという概念や言葉に振り回されているのが我々です。
そこを趙州禅師は草鞋を頭に載せてサッサッと立ち去る事によって伝えようとするのでした。
そこで南泉禅師は趙州禅師の様子を見て、「もしお前がその場に居てくれたなら、あの猫の命を助ける事が出来たかもしれないぁ」と歎かれるのでした。
道元禅師は正法眼蔵随聞記の中で、南泉禅師がこの猫を斬って仕舞った事について、最後に次のようなコメントを残しています。
「但し是のごとき料簡、直饒(タトヒ)好事なりとも無からんにはしかじ」
「猫を殺して道を悟らせるというような手だては、ないにこしたことはなかろう」と、この猫を斬って仕舞った南泉禅師の行為を批判しているのでした。
