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失敗した靴は、捨てられていなかった


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「安井先生へ。お預けしていた写真を、最後の展示に戻していただけませんか」

朝、共同工房の端末に届いた連絡は、別人宛てだった。

私は安井ではない。

靴修理職人の安西である。

一字違いなど小さなものだが、人間一人を別人にするには十分だった。

添付された古い写真には、体育館の舞台で踊る少女が写っていた。

足元には、赤いリボンのついた白い靴。

冬の朝の薄い光が窓から差し込み、色褪せた写真の中で、そのリボンだけが燃え残った火のように見えた。

私は、その靴を知っていた。

十九歳の私が作ったものだった。

廃校になった若葉小学校は、五年前から職人たちの共同工房として使われていた。

私の店は元六年二組の教室にある。

黒板の前に作業台を置き、児童用の棚へ革や靴底を並べた。

だが建物の老朽化で、今日が最後の営業日だった。

午後五時に門が閉まり、校舎は二度と使われない。

「開けないんですか」

若い同僚の瀬川が、教室の入口に立っていた。

昨日、私は婦人靴の踵を左右で三ミリ違えて削った。

二十年以上修理をして、初歩的な失敗である。

瀬川はそれを見た瞬間、口元を押さえた。

笑われたのだと思った。

今朝見ると、踵はきれいに直されていた。

瀬川が直したのだろう。

ありがとうと言えばよい。

それだけのことが、私には難しかった。

礼を言えば、自分一人では完成させられなかったと認めることになる。

仕事以外に取り柄のない人間から仕事まで取れば、残るのは、背中の丸い中年男だけである。

私は長年、その男との面会を避けてきた。

「体育館へ行く」

私は私は写真を瀬川へ見せた。

「今日は最後の営業ですよ」

「分かっている」

写真を戻すよう頼まれた安井先生とは連絡がつかなかった。

体育館の展示室も、午後五時には閉まる。

私は木戸へ「本日休業」の札を掛けた。

最後の日に休む靴屋など、よほど余裕があるか、よほど愚かである。

私の場合は、迷うまでもなく後者だった。

渡り廊下には、冬の朝の薄い光が溜まっていた。

体育館脇の展示室には、歴代の文化祭写真が年代順に並んでいる。

壁の中央に、一枚分だけ空白があった。

連絡に添付されていた写真が、そこへ戻るはずだったのだ。

その隣の写真を見て、私は息を止めた。

二年後の舞台で、別の少女が同じ靴を履いていた。

さらに三年後の写真にも写っている。

リボンは薄い桃色に褪せ、踵には黒い革が継ぎ足されていた。

展示棚の下には、舞台道具の修理記録が残っていた。

そこには、あの靴の踵や留め具を、毎年生徒たちが直した跡が記されている。

最後の欄に、小さく「赤いリボンは保管」とあった。

瀬川が舞台道具箱を開けた。

布や紐の底から、色褪せたリボンが一本現れた。

何度も結び直された跡があり、端は細かくほつれていた。

「使われたから、色が薄くなったんですね」

私は答えられなかった。

十九歳の私は、靴を作る職人になりたかった。

初めて作った舞台靴の踵は、本番前の稽古で外れた。

体育館の入口から笑い声が聞こえた。

私は皆が失敗を笑っているのだと思い、靴を置いたまま逃げた。

それから、作る夢を諦めた。

作ったものが壊れれば、自分の失敗になる。

すでに壊れた靴を直すだけなら、最初の傷は誰かのせいにできる。

「私は修理を選んだんじゃない」

私は色褪せたリボンを見ながら言った。

「作ることから逃げたんだ。笑われたと思ってな」

仕事台のない場所で話す私は、ひどく頼りなかった。

だが、床へ倒れはしなかった。

失敗した靴は捨てられていなかった。

誰かの手で直され、何年も舞台へ立っていた。

私が夢を諦めた日は、靴が終わった日ではない。

皆が直し始めた日だったのだ。

「昨日、笑ったわけではありません」

瀬川が言った。

「私も最初の年に、左右の踵を三ミリ違えて削りました。同じ失敗をする人がいると思ったら、安心してしまって」

「なぜ言わなかった」

「安西さんは失敗しない人だと思っていました。自分も同じだったと言えば、傷つける気がして。助け方が分からなかったんです」

私たちは互いを強い人間だと決めつけ、勝手に遠慮していたらしい。

実に気の利いた孤独である。

「直してくれて、ありがとう」

ようやく言えた。

瀬川はリボンを元の箱へ戻した。

「私、県外の靴作りの学校へ行きます。家の店は継ぎません」

彼女の家族は、町で靴店を営んでいる。

両親は進学に反対し、最後の営業が終わる頃、ここへ話をしに来るという。

「安西さんも、止めますか」

「いや」

私は舞台写真を見た。

「失敗できる場所へ行けばいい」

午後五時前、共同工房へ戻ると、瀬川の両親が待っていた。

父親は、娘が家業を捨てると言った。

以前の私なら、黙って頷いただろう。

仕事を守ることだけが正しいと思っていたからだ。

「瀬川さんは靴を捨てるのではありません」

私は家族へ説明した。

「自分の靴を作るために出ていくんです。戻るかどうかまで、今決めさせないでください」

父親は顔をしかめた。

それでも母親は、瀬川が差し出した学校案内を受け取った。

しばらくして父親が、授業は何年あるのかと尋ねた。

賛成ではない。

ただ、拒絶だけだった場所に、質問が一つ置かれた。

五時の鐘が鳴った。

冬の薄い光が、空になった作業台を照らしていた。

私は最後の一日を働かなかった。

それでも、仕事を失ったようには感じなかった。

居場所とは、失敗しない人に与えられる席ではない。

失敗したあとも、誰かと立っていられる場所なのだ。

色褪せたリボンが覚えていたのは、私の失敗ではなかった。

あの靴を、誰も捨てなかったということだった。


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