献立表の赤い文字
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「表彰状には、藤井さんのお名前だけ載るそうです」
栄養教諭の倉田先生がそう言うと、調理室に小さな拍手が起きた。
私は拍手をした。右手と左手を、いかにも祝っていますという角度で打ち合わせた。人は腹を立てながらでも拍手ができる。便利な生き物である。
受賞したのは、私たちが考えた「富山の冬野菜と昆布のあんかけ丼」だった。県産の里芋やねぎを使い、野菜嫌いの児童でも食べやすい大きさと味にした。残食は以前の半分以下になり、県の学校給食改善賞に選ばれた。
献立を最初に考えたのは私である。
少なくとも私は、そう数えていた。
冷蔵庫の扉には、手書きの献立表が磁石で留めてあった。黒い文字は私、赤い文字は藤井さん。
〈里芋二センチ角〉と書けば、赤字で〈一年生には大きい〉。
〈昆布だし八リットル〉と書けば、〈冷めると塩味が立つ。七・五〉。
いちいち正しいのが、なお腹立たしかった。
藤井さんは十五年先輩で、包丁の音まで人を叱るようだった。私が大根を切れば、隣のまな板から、たん、たん、と寸分違わぬ音を返してくる。犬猿の仲、と周囲は笑ったが、犬にも猿にも迷惑な話である。私たちは、もっと執念深かった。
試作は七回した。
一度目は里芋が崩れ、三度目は昆布の香りが強すぎた。五度目には藤井さんが、私の切ったねぎを黙って全部切り直した。
「気に入らないなら、自分で献立を作ればいいでしょう」
「気に入るかどうかで、子どもの昼飯を作るがけ」
富山の言葉で静かに返され、私は湯気の向こうで奥歯を噛んだ。
それでも七度目、空の食缶が戻ってきたとき、藤井さんは献立表の隅へ小さな丸を書いた。褒め言葉の代わりにしては、ずいぶん安い丸だったが、私はその紙を捨てなかった。
表彰の通知には、こうあった。
〈功労者 主任調理員 藤井和子〉
私の名前はなかった。
なるほど、赤い文字は訂正ではなく、手柄を囲い込むための柵だったのか。そう思えば、過去の無愛想まで立派な証拠に見えた。疑いというのは、実に働き者である。
表彰式は三日後、富山市内の会館で開かれる。私は献立表を持って調理工程を説明する役になっていた。式が終われば、誰の功績かは、そのまま固まってしまう気がした。
私は倉田先生に、応募した報告書を見せてほしいと頼んだ。
「自分が何をしたことになっているのか、知りたいんです」
声が尖った。包丁なら、また藤井さんに直される角度だった。
先生は少し迷い、印刷した原稿と、教育委員会から戻った修正版を机に置いた。
最初の原稿には、藤井さんの字で書かれていた。
〈献立原案・切り方および調理工程の考案――吉岡〉
〈大量調理に合わせた味の調整・安全確認――藤井〉
余白には、私が七度の試作で変えた分量まで細かく記されていた。
修正版では個人名が赤線で消され、〈責任者のみ記載〉と印が押されていた。名前を外したのは、教育委員会だった。
その日の帰り、調理室の窓から立山連峰が見えた。冬の薄い光で、山の雪だけが妙に白かった。
「どうして言わなかったんです」
藤井さんは手袋を外し、指についた水を一本ずつ拭いた。
「言うたら、あんたは譲ってもろたと思うやろ」
「思いません」
「今、その顔で言うても説得力ないちゃ」
私は反論できなかった。腹の底に用意していた立派な悪口が、一斉に職を失った。
表彰式の日、会館の窓には細かな雪が当たっていた。
藤井さんが賞状を受け取り、私は壇上の横で献立表を広げた。黒と赤の文字が、照明の下で同じ紙に並んでいる。
説明は一分と決められていた。
私は自分の工夫だけを話すつもりだった。それが正当な取り分だと思っていた。マイクを握ると、客席のいちばん端に藤井さんの無表情な顔が見えた。
私は手書きの献立表を掲げた。
「黒い字が私の原案です。そして、赤い字は藤井調理員の修正です。この赤字がなければ、子どもたちの食缶は空になりませんでした」
会場は静かだった。
「七回目まで作れたのは、私が諦めなかったからです。ただ、七回とも食べられる給食にしたのは、藤井さんです。この賞は、どちらか一人のものではありません」
自分の手柄を取り戻すはずの一分で、私は相手の手柄まで認めた。損をしたような、やっと正しい勘定になったような、妙な気分だった。
拍手の中で藤井さんは笑わなかった。ただ、膝の上で組んだ手を一度ほどいた。
翌朝、調理室には昆布だしの匂いが満ちていた。
私は入口で藤井さんと顔を合わせた。
いつものように、言葉はなかった。
私が会釈をすると、藤井さんも頭を下げた。
昨日までより、ほんの少し深く。
私も同じだけ深く返した。
冷蔵庫の扉では、黒と赤の献立表が、換気扇の風にかすかに鳴っていた。
