昭和44年男の胸が高鳴った場所──それは、いつもデパートだった。
はじめに|駅前は夢に出会う場所でした
有楽町マリオンのことを思い出すと、今でも胸の奥が、少しだけきゅっとなります。懐かしくて、切なくて、それでもどこかうれしい。そのとき一瞬だけ、ハタチそこそこだった頃の自分に戻ったような気分になるのです。
昭和44年生まれの僕にとって、胸が高鳴る場所はいつもデパートでした。おもちゃを買うのも、家族で美味しいものを食べるのも、屋上遊園ではしゃぐのも。楽しい出来事のすべては駅前のデパートにありました。
そして「クリスマス」「お正月」「誕生日」「ゴールデンウィーク」「夏休み」特別な季節と特別な出来事は、いつも駅前から始まっていたのです。
幼少期の原風景|あの頃は駅前にすべてが集まっていました
僕は3歳から24歳まで、千葉県船橋市で過ごしました。あの頃の街は、とにかく駅前にすべてが集まっていました。
東武と西武のふたつのデパート。バスを降りた瞬間に広がる人の波。週末になると、誰もが吸い寄せられるように駅前へ向かっていました。
おもちゃも、服も、本も、レストランも、ゲームも。「行けば何かがある」のが、駅前でした。
お子様ランチ、ハンバーグ、スバゲッティ(パスタではない!笑)、フルーツパフェ、プリン・ア・ラ・モード、クリームソーダ。美味しいものを頂けるのはいつもデパートのファミリーレストランだったし。
あの頃の駅前は、ただの交通拠点ではありませんでした。人が出会い、言葉が交わり、夢と希望が交差する小さな都市そのものだったのです。
恋人と通った場所|駅前に灯る都会の光(有楽町マリオン)
高校を卒業し就職すると間もなく、彼女ができました。いまの妻です。当時勤めていた会社が総武快速線沿いにあり、仕事終わりによく二人で有楽町マリオンへ向かいました。
当時の僕にとって、有楽町は銀座の入り口にある「洗練された大人の街」でした。改札を出ると、船橋とはまったく違う人の密度と光の強さがありました。
颯爽としたスーツ姿のビジネスマン。最先端ファッションでデートするカップル。銀座の社交場で働く艶やかなお姉様たち。
有楽町の駅前もまた人が溢れかえる“熱の場所”でした。
有楽町の西武には、憧れのブランドだった「ポロ・ラルフローレン」があり、10,000円近くするボタンダウンシャツを、カッコつけて買ったこともあります。レジでカードを出したときの、あの“ドキドキ”は今でも忘れられません。
叙々苑の前で立ち止まった夜|叶わない憧れと青春
マリオンといえば、やはり映画館でした。「インディ・ジョーンズ」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」スクリーンの中の冒険に、胸を躍らせました。
しかし現実の僕はというと、夜更かし体質がたたって映画の途中で爆睡してしまい「いびきがうるさくて恥ずかしいよ!」と、彼女に小声で怒られたこともあったっけ。
いま思えば映画デート中によくも爆睡できたもんだ、振られずに済んで本当によかったなぁ〜って、いま思い出すと冷や汗が出ます💦(笑。
そしてそして。たしか僕の記憶では映画館より上の11階に、あの高級焼肉店「叙々苑」がありました。
ものは試しにと、店の前まで行ったことがあります。ガラス越しに見える上品な照明のエントランスが、やけに眩しく感じられました。
けれど当時の僕たちには、そこへ入るお金はありませんでした。「いつかきっと、ここで晩飯を喰ってやる」そう悔しがったのを、いまでも覚えています。
なので有楽町へ出かけた日はもっぱら、山手線のガード下にあった「サンレモ」というパスタ屋さん。決まって注文するのは「ヤングスパゲッティの大盛り」でした。ナポリタンに”ぶっといフランクフルト”が添えてあるだけの一皿。
それでも「有楽町で食べている」という気分がそうさせたのか、本当に美味しかったんですよ。
音楽の聖地|丸井の地下に広がる、もうひとつの世界
新宿のデパートにも、忘れられない場所があります。丸井新宿本店の地下にあった「バージンメガストア」です。
地上では人がぶつかり合うほど行き交い、地下に降りるとそこには音楽だけの世界が広がっていました。とてつもなく広いフロア。壁一面のCDジャケット。天井からぶら下がる視聴機のヘッドホン。
今も続くヘビーメタル好きの僕は、今年亡くなったオジー・オズボーンさんの「この↓アルバム」も、きっとここで買ったのだと思います。
CDを手に入れる以上に「ここは音楽の聖地だ。船橋とは違うぜ!」と、都会を闊歩する喜びのほうが大きかったように思います。バージンメガストアは、僕にとって音楽を通して世界とつながる入口でした。
駅前から人が消えたとき、デパートも静かに終わっていきました
1990年代まで、「文化」と「ファッション」の象徴でもあったデパート。しかし今は、閉店に次ぐ閉店です。
僕が育った船橋の西武も取り壊されいま跡地にタワーマンションが建設されています。有楽町マリオンの映画館も、新宿のバージンメガストアも、とっくの前に閉店してしまいました。
それは場所の喪失であると同時に、幼少期の記憶、青春のきらめき、恋をして背伸びをして、未来を夢見ていた時間。楽しかった記憶のすべてがごっそり削ぎ取られていくようで、とても寂しい出来事です。
あの頃のように、人がこぞって駅前へ、デパートへと集まる光景は少しずつ記憶の彼方へとかすみつつあります。
おわりに|駅前にあったのは、街の終わりではなく、僕たちの時代でした
しかし建物がなくなってしまっても、あの場所で胸を高鳴らせていた感情までは消えません。
叙々苑の前で立ち止まり「いつか喰ってやる」と心の中で誓った夜も。バージンメガストアで、オジーのCDを握りしめた日も。思い出そうと思えば、すぐに呼び起こせます。
デパートは夢の入口でした。少なくとも僕にとっては、間違いなくそうだったのです。
人々の嗜好も生活スタイルも多様化し、駅前に人が集まらなくなったときから、多くのデパートは「ガラガラ」「キーキー」と音を立てながら“二度と開くことのないシャッター”を下ろしていきました。
それはきっと街の終わりではなく、僕たちの時代が静かに遠ざかっていった音だったのかもしれません。
感情とともにある”甘酸っぱくてほろ苦い”若かりし頃の記憶とは別に、なぜ百貨店は、ここまで凋落してしまったのか。その「仕組みと構造」については、後日あらためてブログでじっくり掘り下げてみようと思っています。
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