なぜ異世界転生アニメが流行るのか?来世への希望なのかもしれない
ここ数年のテレビアニメを眺めていると、
「また異世界転生!?」
と、ツッコミたくなることが増えました。
現実世界やファンタジーの世界で、あっけなく亡くなる。
ところが、気付いたら異世界で、なぜかチート級の能力を授かって、活躍していく。
正直、ちょっと食傷気味だなあ…と思うのですが。
結局、毎シーズン何かしら見てしまいます(汗)
特に、これは外せないという鉄板がありますよね。
たとえば、現在放送中の「転生したらスライムだった件」。
異世界転生ジャンルの先駆けのような存在で、とりあえず転スラは押さえておこうという空気があると思います。
スライムから始まるのに、気づけば国家をつくり、仲間が増え、戦略も外交も絡んでいくスケール感。
異世界転生のやり直しと成り上がりが、理想的なバランスで詰まっている作品と言えるでしょう。
テレビゲームでいえば、シミュレーションゲームさながらの世界観ですね。
その他、我が家では「転スラ」に加えて、
「転生貴族 鑑定スキルで成り上がる」
「転生したら第七王子だったので、気ままに魔術を極めます」
を毎シーズン見ています。
子どもが2人いるのですが、夢中になって見てますね😌
そのような似た系統の作品は、家族で一緒に見ることが増えました。
一方で、「無職転生」のような作品になると、少しトーンが変わってきます。
こちらは、いわゆる“なろう系”の源流として有名ですが、ストーリーは結構ヘビーですよね。
現世ではどうしようもないほどこじらせた主人公が、異世界で本気で自分と向き合いながら成長していく物語なので、「チートで無双してスカッとする」だけでは終わらない。
自分の弱さや卑小さごと抱えてやり直していく姿に、少し胸がざわついたりします。
「こういう二周目が許されるなら、もう一回くらいやり直したいよね」と、思わず自分の人生に引き寄せてしまうタイプの異世界転生ものという感じです。
こうして並べてみると、異世界転生ものは、現世で報われなかった人が主人公になるのが多いことに気づきます。
ブラック企業でぼろ雑巾のように働かされていたり、学校でいじめられていたり、引きこもりだったり。
そんな主人公が、理不尽な事故や出来事をきっかけに、まったく別の世界で「やり直す」チャンスを与えられるわけです。
転スラのリムルも、無職転生のルーデウスも、スタート地点は決して“勝ち組”ではありません。
そこから二周目が始まる、という構図になっています。
この「やり直し」の要素が、今の時代の視聴者に刺さっているのだと感じています。
頑張っても報われないことが多い。
努力と結果がきれいに比例することはない。
生きていると、どうしても理不尽な出来事に遭遇するものです。
なので、「せめて物語の中くらい、努力が結果に結びつく世界を見ていたい」という気持ちになるのかもしれません。
現実ではなかなか変えられないスペックや境遇が、異世界転生では「ステータス画面ひとつで可視化」されて、「今日はちゃんとレベルが上がった」と実感できる。
シンプルで分かりやすい成功の構図。
見ていて安心できるものだと思います。
それに、異世界転生ものは、なんだかんだで「優しい世界」であることが多いです。
もちろん、無職転生のようにシビアで重い局面もたくさんありますが。
それでも人気の作品は、最終的には主人公に居場所が用意されていたり、信頼できる仲間がちゃんといます。
転スラだと、魔物たちとの国家づくり。
第七王子だと、圧倒的な才能を前にしても離れていかない周囲のキャラたち。
どの作品も、「自分はここにいていい」と思える瞬間が丁寧に描かれています。
これも、ハマってしまう要素かなと考えています。
そして、もうひとつのポイントが、「世代をまたいで共有しやすい」テーマだということです。
転スラや転生貴族、第七王子あたりは、子どもでも分かりやすく楽しめる物語になっています。
敵と味方がはっきりしていて、主人公が強くて、魔法やスキルが派手。
だから、家族で一緒に見ていても、あまり説明がいりません。
子どもは純粋に「すごーい!」と楽しみ、大人は「このチート、現実にも少し分けてほしい」と苦笑いする。
そんな時間を一緒に過ごせるのが、異世界転生ものの魅力でもあります。
ただ、よくよく考えてみると、「生まれ変わり」という概念自体は、ずっと昔から存在してきました。
亡くなったら天国に行くのか、無になるのか、またどこかで生まれ変わるのか…
答えは誰にも分からないまま、人は何千年もこの問いを手放せないでいます。
そして今の時代、ひとつの答えとして、異世界転生アニメがあるとも考えられます。
私自身、ふと思うことがあります。
「もし生まれ変わりがあるのだとしたら、人はそれぞれ違う異世界へ転生していくのかも」と。
ある人は剣と魔法の世界へ。
ある人は静かな田舎の村へ。
ある人は、今度こそ自分らしく生きられる場所へ。
もちろん、実際にそんなことが起きるかどうかは分かりません。
でも、あったらいいなと思ってしまうのも事実でしょう。
しんどい一日が終わった夜に、「次の人生は、もう少しうまくやりたいな」とぼんやり考えながら、転スラの続きを再生する。
そんな人は、けっこう多いのではないでしょうか。
転スラも、転生貴族も、第七王子も、無職転生も、そんな“もう一つの人生”への空想を、少しだけ形にしてくれている作品と言えるかもしれませんね。
