【マインクラフト異世界譚】〜無価値からの人生変革~.2
【マインクラフト異世界譚】〜無価値からの人生変革〜
第二章:死ぬ為にも理由はいる。
――風が吹いていた。
やけに透明で、癖のない風。まるで消毒された空気のように、あらゆる匂いを取り払ってしまったような、そんな風だった。
肌に当たる感触も、どこか不自然だった。なめらかで、角ばっていて、現実に似ていて、現実ではない。
譬喩(ひゆ)は、草の上に倒れていた。視界に映るのは、雲。四角い雲だ。規則的に並び、滲みもブレもない。
「……マイクラ……?」
呟きながらも、自分の声が妙にくぐもっているのを感じた。
舌が乾き、喉が重い。眠気の残滓のようなものが、脳の奥に引っかかっている。
身体を起こす。背中に当たる草の感触も、土の匂いも、驚くほど鮮明だ。
指先に触れるブロック状の地面。軽くつまんでみると、細かいパーティクルが崩れた。
「……痛い」
親指に小石が刺さったのだ。この世界は、痛い。
夢でも、ゲームでもない。現実とは言い難いが、確かに“リアル”がある。
――そして、気づく。
自分はもう、あの世界にはいない。
事故だった。いや、厳密には、事故というより――眠気だ。
仕事を終えて、車を走らせていた。真夜中。食事も睡眠も取っていなかった。
まぶたが重く、アクセルが重く、目の前の信号が青から赤に変わったことにすら気づかなかった。
覚えているのは、ハンドルが勝手に曲がっていく感覚。そして、何かにぶつかった鈍い衝撃音。
そこから先は、何もない。
光も、痛みも、声もなかった。ただ――終わった、と思った。
譬喩は、静かに空を見上げた。
きっと、葬式も形式的なものだったろう。
妻は泣かない。子どもも、よく知らない親戚に囲まれて、どう振る舞えばいいか困っていたかもしれない。
会社は「労災が面倒だ」と思ったか、あるいは「やっと空いたか」と内心で安堵したかもしれない。
それでいいと思っていた。
保険はしっかりとかけてあった。三千万円。何の役にも立てなかった自分が、せめて金だけでも残すべきだと思っていた。
そのために死んだようなものだった。
……なのに。
譬喩は、拳を握っている自分に気づいた。
腕が震えていた。足がわずかに引きつっていた。背筋に、冷たい汗が流れていた。
「……怖い、のか?」
自分が。いま。ここで。死ぬかもしれないことを――怖がっている?
なぜ?
現実では、死は救いだった。
もう誰にも責められない。誰にも期待されない。責任も、競争も、報酬もない。
静かに終われる、それが唯一の報いだった。
なのに、いま。
この世界で、死ぬことだけは嫌だと――本能が叫んでいる。
「なんなんだよ……」
誰にも聞かれていないのに、思わず呟いた。声が、かすかに震えていた。
この世界には、まだ何もない。仕事も、家族も、立場もない。
なのに、死にたくないと感じている。
それはたぶん、まだこの世界に、何かを“与えられていない”からだ。
譬喩は、自分で驚くくらい冷静に考える。
「意味がないまま、死ぬのが怖いんだな」
現実では、生きている意味がなかった。
けれど、この世界では、まだ死ぬ理由すら得ていない。
――死んでいいかどうか、まだ決めていない。
譬喩は立ち上がった。足元はふらついたが、地面がしっかりと“掴んでくれる”感触がある。
ここは、現実ではない。でも、現実だ。
痛くて、冷たくて、風が吹いて、命があって、そして――死もある。
譬喩は、ふたたび空を見上げた。
太陽が、四角い弧を描いてわずかに動いているのが見えた。
時間がある。有限の時間だ。
「……生きる意味なんて、なくてもいい。とりあえず、生きてみようか」
それが、譬喩の“この世界での最初の選択”だった。
