【マインクラフト異世界譚】〜無価値からの人生変革〜.6
【マインクラフト異世界譚】〜無価値からの人生変革〜
第六章:「暗転」
──夜が、来た。
松明の火はゆらゆらと揺れているが、それ以外のすべてが止まったかのようだった。
風の音はなく、虫の声も消え、ただ石と土の匂いが空間を満たす。
譬喩は、背中を石壁に預けるようにして座っていた。
剣を握る指が、ひとりでに汗ばんでいる。
疲れていた。全身が痛むほどに。
けれど──眠気は、まったく訪れなかった。
眠るという感覚そのものが、この世界では何か異質だった。
現実でなら、限界が来れば自然とまぶたが落ちた。
だが今は違う。
目の奥が熱を持っているのに、脳だけが無理やり起き続けているような感覚。
(……眠れない、のか?)
不安が、腹の底に冷たい塊を作る。
ベッドがあれば眠れる──ゲームではそうだった。
けれど実際にこうして体感してみると、それは“機能”というより“構造”のように思えた。
──この世界で眠るには、“眠るべき場所”が必要なのだ。
人間の体が眠る資格を得るには、何かが足りない。
その「何か」かの重要性を、譬喩は再認識していた。
時間が過ぎた。
何時間経ったのかはわからない。
松明の火が心なしか弱まってきた気がして、譬喩はもう一本新しいものに火を灯す。
その瞬間だった。
「カサ……」
石の外側。すぐそこの壁の向こうから、小さな音がした。
何かが草を擦って動いている音。
地面を這うような、低く湿った摩擦音。
譬喩は息を止めた。
動かない。音を立てない。
まるで獣に気づかれまいとする、獲物のように。
「……ガリ……」
今度は、木を削るような音が響いた。
(……ばれた)
そう理解するよりも先に、全身が硬直していた。
音は一つじゃない。二つ、三つ……いや、それ以上。
──奴らは、“木材”の壁を嗅ぎつけたのだ。
「ドンッ!!」
乾いた衝撃が穴倉を揺らした。
木材を何かが殴った。確実に。
手じゃない。骨ばった何かが、力任せにぶつかっている。
「ドン、ドンッ……ッ!」
続けざまに響く音。
木がきしむ。割れ目が広がっていく。
譬喩は立ち上がり、剣を構えたが、手が震えていた。
(崩れる……ッ!)
ゾンビだ。あの呻き声は聞き覚えがある。
そして──それだけではない。
何か、天井を這うような音がした。
カサカサ、カン……カサ……
(蜘蛛……!)
背中が凍りつく。
闇の中から、敵が何匹もやってくる。
ただのモンスター──されど、それは現実の“死”を運んでくる存在。
譬喩は奥へ数歩下がり、石壁を背に剣を構える。
松明の光が、逆に彼の影を壁に浮かび上がらせている。
「ッ……やるしかない」
パァン!
木材が割れた。
破片が内側へ飛び、松明の火が揺れる。
穴の入口に、腐った肌と濁った眼孔を持つ──“死者”が現れた。
譬喩は咄嗟に剣を構えた。
けれど腕が思うように上がらない。
怖れではなく──極度の疲労と、握力の低下。
昼から今まで、土を掘り、木を割り、石を砕き、羊を殺してきた。
その積み重ねが、ここで襲いかかってくる。
それでも、譬喩は踏み出す。
「うあぁッ!!」
横なぎの一撃。
骨の軋むような重い感触が手に伝わる。
剣の刃はゾンビの肩を裂いたが──それだけだった。
本来なら後ずさるはずの敵が、前のめりに、呻きながら迫ってくる。
譬喩の身体が、無意識にのけぞった。
ゾンビの腕が、服の裾を掴む。
腐臭と湿気、そして皮膚の感触──“本物”だ。
「クソッ……離れろ!!」
全身の力を込めて、剣を振り抜く。
振動で手の皮が裂け、鈍い痛みが走る。
だが今は、それすら気休めだった。
ドグッ!
斜めに振り下ろした刃が、首元に喰い込んだ。
手応えはあった。骨が砕けた音が聞こえた。
それでも、ゾンビは一瞬身体を震わせただけで、再び両腕を伸ばしてくる。
(なんで、倒れねえんだよ……ッ!)
譬喩は咆哮のように叫び、最後の一撃を喉元に叩き込んだ。
剣の根元まで埋まり、ようやく、ゾンビはその場に崩れ落ちた。
「ッ……はぁ、……ッ、はぁ……」
穴倉の空気が、いつの間にか血と鉄の匂いを帯びている。
譬喩の喉は焼け、呼吸がうまくできなかった。
肩が上下に跳ねるたび、肺が痛む。
それでも──まだ終わっていない。
「ヒッ、ヒヒィィ……ッ」
甲高い声。高いところから、這う音。
──蜘蛛が来る。
譬喩は、瞬時に判断した。
(ここはもう、ダメだ)
松明を一本握りしめ、残った木材を蹴破るように外へ飛び出す。
草の匂い、冷えた空気、遠くで咆哮──すべてが五感を刺激する。
真夜中の闇の中、彼は駆けた。
枝を掻き分け、岩を飛び越え、草に身を潜める。
背後で何かが追ってくる。足音がする。
すぐ後ろ。呼吸の音が聞こえる。
(逃げろ……逃げろ……逃げろ!!)
全身の筋肉が悲鳴を上げている。
心臓が破裂しそうだ。
それでも、譬喩は走る。
生きるために。
──やがて、音が遠のいた。
息を殺し、暗闇の中、木の陰に身を押し込む。
肩を上下させながら、譬喩は空を見上げた。
星が見えている。
こんな時に限って、空は綺麗だった。
まだ夜は終わらない。
それでも、彼は“生きている”。
「……ベッドが、いるな……」
それは、決して眠るための道具ではない。
“生き延びる資格”を得るための装備なのだ。
譬喩は、地面に突き立てた松明の微かな光の中、じっと空を見つめていた。
心臓の鼓動と、草が揺れる音だけが、今の世界のすべてだった。
