【マインクラフト異世界譚】〜無価値からの人生変革〜.5
【マインクラフト異世界譚】〜無価値からの人生変革〜
第五章:「灯火」
「……ベッド、か」
譬喩は、インベントリを呼び出したホログラム画面の中に、はっきりとその文字を見た。
必要素材は、木材三つと羊毛三つ。クラフト台があれば、数秒で組み上がる手軽さだ。
そして、この世界の記憶を信じるなら──ベッドに横になれば、夜はスキップされ、朝が来る。
けれど、それは誰が決めた“ルール”なのか?
譬喩は、自分の胸に手を当てた。
汗ばんだ胸板に、まだ微かに震える鼓動が伝わる。
(……眠れば、本当に朝が来るのか?)
この世界はゲームによく似ている。
しかし、“似ている”だけで、“同じ”ではない。
痛みもある、空腹もある、疲労もある。
そして何より──死の感覚が、あまりにもリアルすぎた。
もし眠った結果、意識が戻らなかったら?
それが“永遠の死”だったら?
譬喩はゆっくりと頭を振った。
そんな“希望”に命を賭けられるほど、彼は楽観的ではない。
「──確実に生き残る。それだけが、正しい」
UIを閉じる。
彼は、日が傾く空を一瞥し、目的地を定めて歩き出した。
この先にあるはずの、小さな岩山。
そこに、最初の夜を越えるための拠点を築く。
足元を踏みしめながら進んでいたその途中だった。
低い草の影──ゆるやかな起伏の中に、白い塊がぽつんと佇んでいるのを見つけた。
羊だった。
数頭の群れではなく、たった一匹だけ。
こちらに気づく様子もなく、淡々と草を食んでいる。
譬喩は、思わず歩みを止めた。
木の剣を手にしていたが、その握りに力が入らない。
(……殺すのか?)
現実で、動物を殺した経験などなかった。
スーパーで売られる肉も、加工されたパックの向こう側を意識したことはない。
なのに今、自分の手で、その命を断とうとしている。
足が、動かない。
腕が、震えている。
だが──
譬喩は、目を閉じて一度深く息を吐いた。
(この世界では、いずれやらなきゃいけない。
なら……“迷わないために、今やる”。)
目を開く。
風が止んだような静寂の中、木の剣を振り下ろす。
羊は、小さく鳴いた。
その鳴き声が、風のように草の中へ溶けていく。
やがて光が弾け、地面に白い羊毛と、生肉が残された。
譬喩は、ゆっくりと膝をついた。
「……悪いな」
小さく呟くその声には、涙はない。
ただ、自分の中の何かが静かに変わっていくのを感じていた。
太陽が、地平線にじわじわと沈みかけていた。
譬喩は小走りに岩山に取りつき、表面の柔らかな石を探す。
木のつるはしを手に、石壁を何度も叩いた。
ゴリ……ゴリ……ギギィ……
石を砕く音と共に、粉塵が舞う。
木製ツールは耐久性も低く、すぐに軋んでくる。
それでも、やるしかなかった。
(ここが……俺の夜の砦になる)
拳大の石を掘り出しながら、わずかに色の違うブロックが視界の隅をかすめた。
近づいて削ってみると、黒い粒が混ざった鉱石。
──石炭だった。
「……きた」
譬喩はクラフト台を取り出し、急ぎ木材で棒を作る。
それと石炭を組み合わせて、松明を4本。
一本を手に取り、削った穴の中に差し込む。
ポッ、と火が灯った。
それは、小さな火だった。
だが、譬喩には世界が変わるほどの意味を持っていた。
光がある。それだけで、闇が遠ざかる。
それだけで、呼吸が深くなる。
彼は、かまどをクラフト台で作成した。
燃料には余っていた木材を突っ込み、先ほどの羊肉を入れる。
ゴウッ、と火が上がる。
パチ……パチ……
音が、いい。
火の匂いが、どこか懐かしい。
焼きあがった羊肉を、譬喩は両手で持って、ゆっくりと口に運ぶ。
熱い。けれど、うまい。
胃袋が温まっていくたびに、体中の細胞が「生きてる」と叫び出す。
「……うまい、なんて言葉じゃ足りないな」
それは、ただの食事ではなかった。
それは、命を繋いだ実感そのものだった。
譬喩は、掘り込んだ穴に身を縮め、入口に木材を貼り付ける。
簡易なドアのようなそれを外から見れば、ただの塞がれた石壁に過ぎない。
でも、この中には確かに“人の生存の意思”がある。
UIが、静かに表示を更新する。
「夜が訪れました」
外からは、カサ……カサ……と何かの這う音。
遠くで、ゾンビの呻き声。
骨の軋むような、金属の擦れるような音も聞こえる。
譬喩は、松明の明かりの下で、木の剣を静かに握りしめる。
目は閉じない。
耳を澄ます。
光を信じる。
扉の向こうに、確かな“死”がいる。
だが、彼は生き延びるためにここまで来た。
「眠りたいが…難しそうだ。」
夜が、牙を剥く。
それでも、譬喩は生を選び続ける。
