孫正義、三度の大勝負——アリババ、ARM、そしてOpenAI。20億円を6兆円に変えた男は、また同じことをやろうとしている
プロローグ:5分で、20億円を投げた男
2000年、中国・北京。
一人の日本人投資家が、若い起業家たちを次々と面接していました。中国にもインターネット革命が来る——そう確信して、賭ける相手を探していたのです。
その日、目の前に座ったのは、英語教師あがりの、お世辞にもエリートとは言えない、痩せた男でした。名前を、馬雲(ジャック・マー)といいます。
普通、起業家が投資家に向かって最初に話すのは、事業計画です。「うちのビジネスはこう儲かります」と。ところが、この男は違った。事業の話をろくにせず、ひたすら自分の哲学を、夢を、世界をどう変えたいかを、目をギラギラさせて語り続けたのです。
それを聞いていた日本人投資家は、面会からわずか5分ほどで、こう告げました。
「あなたに投資したい」。
金額は、約20億円。後に彼は、この決断をこう振り返っています。「会って最初の5分、話すやり取りや目つきを見て、動物的なニオイで決めた」。
その日本人投資家の名は、孫正義。そして、その20億円は——14年後、アリババが上場した瞬間に、8兆円弱の含み益へと姿を変えました。投じた金額の、実に4000倍。後にピーク時には、ソフトバンクが持つアリババ株の価値は、十数兆円にまで膨らみます。ベンチャー投資の歴史上、おそらく「最も効率のいい5分間」でした。
——さて。なぜ、26年も前のこの話から始めたのか。
それは、いま2026年、68歳になった孫正義が、まったく同じことを、もう一度やろうとしているからです。賭ける相手の名は、アリババではありません。OpenAI。ChatGPTを作った、あの会社です。
孫正義の人生は、突き詰めれば「三度の大勝負」で説明できます。一度目が、アリババ。二度目が、半導体設計会社アーム。そして三度目が、いま全財産を賭けているOpenAI。
けれど、彼の歴史には、輝かしい勝利だけがあるわけではない。その裏には、「私がばかでした」と本人が認めた、兆円単位の大敗北も刻まれています。WeWorkです。
だから、いま世界中の投資家が固唾を呑んで見守っている問いは、たった一つに集約されます。
——孫正義のOpenAIは、第二のアリババ(伝説の大勝利)なのか。それとも、第二のWeWork(悪夢の大敗北)なのか。
この記事は、その問いに答えを出すために、孫正義という稀代のギャンブラーの「勝ち方」と「負け方」を、一つひとつ解剖していく物語です。彼の三度の勝負と一度の大敗を追えば、OpenAIという賭けが、どちらの顔をしているのかが、きっと見えてきます。
読み終えたとき、あなたはニュースの株価に一喜一憂する側ではなく、孫正義の頭の中で動いている「賭けの論理」そのものを、見抜けるようになっているはずです。
最初に、すべての原点——アリババの物語から始めましょう。
第1章:一度目の勝負・アリババ——「動物的なニオイ」が、20億円を十数兆円に変えた
孫正義という投資家を理解するには、まずアリババの話を、もう少し深く知る必要があります。なぜなら、これが彼の「勝ちパターン」の原型だからです。
時代は2000年。当時の中国は、まだインターネットが本格的に普及する前。多くの投資家は「中国のネット企業なんて、リスクが高すぎる」と尻込みしていました。ある弁護士は、こう言ったといいます。「ひとつ間違うと、全てを失う可能性もある。それが中国企業への投資だ」。
その「誰もが尻込みする領域」に、孫正義は飛び込みました。これが、彼の一つ目の特徴です。みんなが怖がっている、まだ値段がついていない場所にこそ、彼は張る。
ジャック・マーとの伝説の面会の後、孫正義は約20億円を出資。さらに2004年には約60億円を追加し、合計およそ80億円で、アリババ株のおよそ30%を握りました。当時のアリババは、創業して間もない、社員18人からスタートした小さな会社。世界最大のネット企業を作る、という壮大な夢だけが、その資本でした。
そこから先は、ご存じのとおりです。アリババは、SARSの流行で外出を控えた人々がネット通販に流れる追い風も受け、急成長。世界最強だったeBayの中国進出をはね返し、中国ECの覇者へと駆け上がりました。
そして2014年、アリババはニューヨーク証券取引所に上場。このとき、約3割を握る筆頭株主のソフトバンクが得た含み益は、8兆円弱。2000年に20億円で買った株が、4000倍になった計算です。孫正義がジャック・マーを見て決めていたのは、緻密な事業計画書の中身ではなく、創業者という「人間」そのものでした。これが、彼の二つ目の特徴です。
この一撃が、孫正義を「アジアのバフェット」と呼ばせ、世界的な投資家へと押し上げました。アリババ株は長らくソフトバンクの資産の半分を占め、資金調達のときには担保にも使われる、まさに屋台骨になりました。
ここで、見逃せない事実を一つ。孫正義は、上場後もしばらく「アリババ株は一株も売っていない」と公言していました。ところが、2016年、彼はついにアリババ株の一部を資金化し始めます。理由は「財務体質の強化」。つまり、次の何かに賭けるための、軍資金づくりでした。
そして物語の幕引きは、意外な形で訪れます。2019年末には約12兆円の価値があったアリババ株を、ソフトバンクは2024年初めまでに、すべて売却したのです。チャイナリスクの高まり、アリババ株の低迷、そして——後で詳しく見る、別の投資先の損失を埋める必要。盟友ジャック・マーがアリババの筆頭株主に返り咲き、四半世紀にわたる「孫・マー同盟」は、静かに幕を下ろしました。
ここに、孫正義の三つ目の特徴が表れています。一度の大成功も、永遠には抱えない。次の勝負のために、過去の勝利すら売り払う。 この「過去を売って、未来に張り替える」癖は、覚えておいてください。後でOpenAIの章で、まったく同じ光景を、私たちはもう一度目にすることになります。エヌビディアを売って、OpenAIに張り替える——という形で。
20億円を十数兆円に。誰もが尻込みする場所で、創業者の目を見て、大胆に張り、当てる。これがアリババで完成した、孫正義の「勝ちの型」です。
……ただ。この「型」には、致命的な弱点があります。同じやり方が、とんでもない大失敗を生むこともある、ということ。次の章は、その「影」の話です。
第2章:影の章・WeWork——「私がばかでした」。同じ嗅覚が、なぜ2兆円を溶かしたのか
孫正義の伝説を語るとき、多くの記事はアリババの大成功だけを取り上げます。でも、それでは片手落ちです。同じ嗅覚が、同じ大胆さが、真逆の結果を生んだ事件を見なければ、彼の賭けの本当の怖さは分かりません。
その事件の名は、WeWork。
2017年、孫正義は、アメリカのシェアオフィス企業WeWorkに、初期出資としておよそ44億ドル(約5,000億円)を投じました。アリババの80億円とは、それでも文字どおり桁が違う金額です。
きっかけは、これもまた「人」でした。インドのモディ首相が主催した、起業家と投資家を引き合わせる会合。そこで孫正義は、WeWorkの創業者、アダム・ニューマンと出会い、意気投合します。カリスマ的な語り口で「我々はオフィスを売っているのではない、コミュニティという革命を売っているのだ」と熱弁するニューマンに、孫正義はかつてジャック・マーに感じたのと同じ「動物的なニオイ」を、嗅ぎ取ったのかもしれません。
ところが——です。
WeWorkは2019年、ナスダックへの上場を目指して、上場申請書類を公開しました。すると、その瞬間、すべてが崩れ始めます。書類で明らかになった財務の実態が、あまりにひどかったのです。2018年度の損失はおよそ2,000億円。2019年上半期だけでも、純損失はおよそ980億円。「コミュニティの革命」と謳っていた会社の正体は、ただひたすら赤字を垂れ流すオフィス転貸業だった。
市場の評価は、一夜にして暴落しました。一時はおよそ470億ドル(約5兆円)とされていた企業価値が、半分以下の2兆円規模にまで叩き落とされ、上場は中止に追い込まれます。資金繰りに窮したWeWorkは、破綻の崖っぷちへ。孫正義のソフトバンクは、その後も複数回にわたる追加出資や金融支援でWeWorkを支え続けますが、傷は深く、WeWorkは結局、数年後に経営破綻へと至りました。2017年の初期出資からこの追加支援までを積み上げると、孫正義がWeWorkに投じた金額は、累計でおよそ2兆円弱に達したとされています。
この大失敗を、孫正義は珍しく、はっきりと認めています。2020年、巨額赤字を発表した決算の場で、彼はこう語りました。「WeWork投資は、私がばかでした」と。
WeWorkだけではありません。鳴り物入りで2017年に立ち上げた「10兆円ファンド」ことソフトバンク・ビジョン・ファンドは、投資先の不振が相次ぎ、2020年3月期にはソフトバンクグループが過去最大級となる9,616億円もの最終赤字を計上する、主因となりました。「目利きの天才」の看板は、このとき大きく傷ついたのです。
さて、ここで考えてみてください。アリババを大当たりさせた「創業者の目を見て、大胆に張る」やり方と、WeWorkを大外しさせたやり方は、本質的には同じです。カリスマ創業者に惚れ込み、誰も張らない規模で一気に張る。同じ型が、片方では投じた金を数千倍に増やし、片方では2兆円を溶かした。
なぜ、こんなことが起きるのか。この問いは、この記事のいちばんの核心です。第5章で、私たちはアリババとWeWorkを並べて、「孫正義の賭けが当たるときと外れるとき、何が違うのか」を徹底的に解剖します。そしてその物差しを、現在のOpenAIに当ててみる。
でもその前に。孫正義の二度目の大勝負——いまも進行中で、しかも「当たりつつある」ように見える、アームの物語を見ておかなければなりません。WeWorkで看板を傷つけた男が、どうやって次の伝説の種を仕込んでいたのか。次の章です。
第3章:二度目の勝負・アーム——「高すぎる」と笑われた3.3兆円が、いま化けつつある
WeWorkで世間に頭を下げる、その何年も前。2016年、孫正義はまた一つ、世間を驚かせる賭けに出ていました。
イギリスの半導体設計会社アームを、およそ3.3兆円で丸ごと買収したのです。
当時の反応は、決して好意的ではありませんでした。「スマホ向けチップの設計会社に、3兆円? 高すぎる」。多くの人が、首をかしげた。なにしろ、アームは半導体を「作る」会社ですらない。チップの「設計図」と「特許」を売り、その設計を使ったチップが一個売れるたびに、ロイヤルティ(使用料)をチャリンと受け取る——そういう、地味なビジネスの会社だったからです。
でも、孫正義の頭の中では、まったく違う絵が見えていました。アームの設計は、世界中のスマホの心臓部に、すでに入り込んでいる。これからIoT(あらゆるモノがネットにつながる時代)が来れば、その「あらゆるモノ」の中にも、アームの設計が入る。つまりアームは、来たるべきデジタル時代の「いちばん下の土台」を押さえている会社だ、と。アリババのときと同じです。まだ多くの人が価値に気づいていない場所を、先回りして押さえる。
2016年といえば、囲碁AIの「AlphaGo」が人類最強の棋士を打ち負かし、世界に衝撃が走った年。孫正義は後に、このアーム買収を、自社のAIの歴史に欠かせない一手だったと振り返っています。IoTのつもりで押さえた土台は、結果として、AI時代の土台そのものになったのです。
その後の展開を、駆け足で追いましょう。孫正義は2023年、アームをアメリカのナスダックに再上場させます。ただし、株を手放したわけではありません。いまもおよそ9割を、ソフトバンクが握り続けている。 つまりアームは、上場企業でありながら、中身はソフトバンクの子会社。そして、この判断が、見事に当たりつつあるのです。
アームの時価総額は、2026年6月時点で、おおむね3,600億〜4,000億ドル規模。日本円にして、ざっと56兆〜62兆円。3.3兆円で買った会社が、十数倍に化けた計算です(半導体株は値動きが荒く、6月下旬は$357B〜$438Bと幅のあるレンジで報告されていました)。
しかも、この木はまだ太り続けています。アームのロイヤルティ収入は前年比25%前後で伸び、いま起きているのは「サーバー市場への侵攻」です。かつてサーバーの世界を支配していたインテルの牙城を、消費電力に強いアーム勢が、ガリガリと削っている。後藤芳光CFOは、巨大クラウド事業者が入れるサーバー用チップの、半分程度がアームベースになる見通しだと語っています。さらに2026年3月、アームはメタと組んで、初めて「自社設計のチップ」であるArm AGI CPUを発表。「5年後には売上を5倍にする」という強気の絵まで描き始めました。設計図を売るだけの会社が、ついに自分でチップそのものを作る側へと、進化しようとしているのです。
アリババが「過去の大勝利」、WeWorkが「過去の大敗北」だとすれば、アームは「現在進行形で、ジワジワ当たっている勝負」です。派手さはないけれど、孫正義の三度の勝負の中で、いちばん地に足のついた、堅実な一手かもしれません。
そして、この堅実なアームが、次に語る「三度目の、いちばん危険な勝負」を、財務面で支える土台にもなっています。アーム株を担保にお金を借り、その資金を——OpenAIに突っ込む。土台を担保に、賭けに張る。いよいよ、本丸の物語です。
第4章:三度目の勝負・OpenAI——「勝ち馬」を売り払い、まだ赤字の怪物に全財産を賭けた
2025年11月、孫正義は、世界が「正気か?」とどよめく決断を下します。
保有していたエヌビディアの株を、全部、売ったのです。
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