【一部始終】第三話 ~試~
駅前のベンチに座り、昨夜のことを思い出していた。
あまりに衝撃的な体験だったからか、自宅に辿り着いたときには疲れ果てていて、執筆どころか風呂にも入らず寝てしまった。お陰で今日はすっかり元気だけれど、昨日のことが夢だったように感じられてならない。
今日も夕方からアルバイトのシフトが入っている。出勤するとき、あの店の前を通ってみよう。そう考えていたときだった。
「お待たせ」
まどかが僕の顔を覗き込んだ。
「ぼーっとしてたね。疲れてる? 大丈夫?」
「大丈夫」
思わず口元が緩む。
まどかは今日も可愛い。優しくて、明るくて、前向きなまどか。僕はまどかのことが大好きだ。
未だに、どうして自分がまどかと付き合えているのか分からない。容姿端麗で性格も良いまどかと、内気で友達もいない僕。陰で「格差カップル」と言われていることは承知しているし、実際僕もそう思う。
それでも僕は本当にまどかが好きで、まどかも僕を好きだと言ってくれる。
気まぐれかもしれないまどかの好意を少しでも長引かせるために、僕はまどかと一緒にいるとき、まどかの彼氏を演じている。読書が好きだとは言っているものの、小説を書いていることも言っていないし、将来作家になりたいとも言っていない。不相応な夢を追う愚か者だと思われたくないからだ。
外出好きのまどかと付き合うお陰でいつも金欠だけれど、それは仕方のないことだ。
放っておけば家の中で何日でも過ごせてしまう僕にとって、まどかは外界への窓口だ。外の世界と干渉しようと思えるのはまどかがいるからで、そういった観点からも、まどかは僕にとって大切な存在であることに間違いはない。
僕は立ち上がり、まどかと一緒に歩き出した。目的地は、昨日水晶で見たショッピングモ―ルだ。併設された映画館で、映画を観ることになっている。
まどかの右手が、僕の左手を掴む。手をつなぎ、歩く。それだけで僕は「幸せだなあ」と思う。
ショッピングモールの館内を歩くとき、昨日のアクセサリーショップの前を通った。何気なくまどかを伺うと、店の方を見て、すぐに視線を逸らした。
映画の内容は頭に入ってこなかった。
さきほどのまどかの視線の動きが気になった。
まどかはどうして、あのショップの前を通ったのだろう。あのショップに気になるものがあるのではないか。そしてその気になるものは、あの指輪なのでないか。
昨日水晶で見た、指輪を見つめるまどかの熱い視線が頭に浮かぶ。
いや、しかし。
本当にあの映像を信じてもいいのだろうか。
あの映像が作り物ではない、僕のただの幻覚ではないという確たる証拠はなにもない。
実際まどかは、あのショップからすぐに視線を逸らしたではないか。
だとすると、やはり僕の考えすぎで、あの映像はでたらめな夢かなにかだったのではないだろうか。
答えの出ない問答を頭の中で繰り返しているうちに映画は終わった。まどかは感動して泣いていたけれど、正直僕はそれどころではなかった。
映画館を出て、ショッピングモールのフードコートで遅い昼食を摂った。
その間も、僕の頭の中にずっとあの怪しい占い師の「力になりたい」という言葉と張り付いた笑顔が浮かんでいて、まどかの話に相槌を打つのがやっとだった。まどかは僕の体調を心配したけれど、僕は元気だ。そう答えるしかなかった。
占い師のことは、まどかには話さなかった。
自分自身でもまだ夢か幻覚を疑っている。説明のつかないことが多すぎて、上手に説明出来る気がしない。
それに、仮にあの映像が本物だとして、誰がどうやってまどかの映像を入手したのか、偽物だとしたら、どうしてまどかを映す必要があったのかが分からない。
「最近変わったことはない?」と聞いてみても、まどかは友人や自身のアルバイト先、学校での話をするだけで、特にストーカー被害や盗撮被害を意識している様子はなかった。余計なことを言って不安を煽るのは得策ではない。
僕のアルバイトの時間に合わせて、駅前で解散した。まどかが家の方へ歩いて行く後ろ姿を見送り、僕は走ってショッピングモールへ引き返した。
昨日まどかが写っていたアクセサリーショップへ向かい、店に入る。
ショーケースには、昨日水晶で見た通りの商品が並んでいた。まどかが見ていた指輪もある。「いらっしゃいませえ」と寄って来た店員も、昨日見た人だ。
指輪に付けられていた値札は、決して安いものではなかった。普段なら即決はしない。ただ、全く手の届かない値段というわけでもなかった。何かしらの大義名分さえあれば、購入しても良いと思える程度の金額。
丁度、来週まどかの誕生日がある。予算は大幅にオーバーしているが、まどかはこれを受け取ったら、ものすごく喜ぶのではないだろうか。
僕は意を決し、店員に「これの九号を下さい」と声を掛けた。
クレジットカードで決済するとき、指が震えた。自分がしていることが信じられなかった。光熱費や家賃を考えると、来月の支払いは確実にアウトだ。恥骨が冷えた。
ラッピングを頼み、待っている間、バイト先に少し遅れる旨の連絡をした。店長に少し嫌味を言われた。謝りはしたが、「どうしてこんなことを言われなければならないのだ」とも思った。
お金を失い、店長の不興を買い、僕は綺麗に包まれた小箱を手にした。
「ありがとうございました」の声を背に店を出る。
僕はどうしてしまったのだろう。
昨日の占いを信じているかと問われれば、答えはノーだ。
あの占い師は怪しかった。
何故僕をハーブティーでもてなし、部屋に招き入れたのか。
占いの看板を光らせ、店の体をなしているのだから、当然経費はかかっているはずだ。しかし占い師は僕から一銭もお金を取ることなく、不思議な映像だけを見せて解放した。次の来店も強制されていない。
僕は無償で奉仕したくなるほど魅力的な人物ではない。それだけは、自分自身だからこそ、はっきり分かる。
占い師には何かしら僕と接触することで利益を得ることを目論んでいるはずで、でもそれがあの映像とどうつながるのか全く分からない。
行動原理の理解出来ない初対面の人を信じるのは危険だ。頭の中ではちゃんと結論が出ている。
それなのに、僕は僕の意に反し、こうして占い師を信じているかのような行動をとる。昨夜もそうだったが、まるで身体を操られているかのようだ。
頭の中で警鐘を鳴らす僕と、それを無視して行動を起こす僕。
薄くて粘っこい何かが、頭の中に巣食っているような気がする。僕の意識をときどき少しだけ奪い、危険信号を見えないように隠している何かが、僕の中にいる。
そこまで考えて、馬鹿らしくなってやめた。
ここは物語の世界じゃない。そんな現実感のない話、あるはずがない。
アルバイトに行かなくては、と足を早めた。手元にある指輪の入った小箱のことは、なるべく考えないようにした。
まどかの誕生日当日は、夢の国のテーマパークへ行く約束になっていた。
当然、チケット代や飲食代がかかる。来月の支払いのこともある。僕は前日の夜、こっそり母親に連絡を取り、金の無心をした。
電話の向こうの母親は心配そうに「悪い友達と付き合っていないか」とか「誰かに騙されていないか」と僕に尋ねた。僕は「そんなことないよ」と明るく否定した。「付き合いでお金がかかるのは事実だけど、それは大学生活を維持する上で必要な経費だ」と主張した。
おまけに明るい大学生活を送っているという架空のエピソードをふたつほど披露した。母親は安心したようで「お父さんには内緒で明日振りこんどくね」と電話を切った。
もっと早く頼れば良かったという気持ちもあったが、また嘘を吐いたという罪悪感の方が大きかった。
喉の付け根辺りに何かが引っかかったような違和感がまとわりついた。これまでも僕が小中校と嘘だらけのエピソードを母に取り繕う度に感じていた違和感だ。
いくら水を飲んでも、飲み込めないし、吐き出せない。
いつか自然と僕の一部になるまで放っておくしかない。これまでもたくさん、そうやって誤魔化してきた。
その夜は全然寝付けず、かといって執筆も捗らず、明け方になってようやくうとうとしたと思ったら、黒猫に襲われる夢を見た。汗びっしょりで目覚めたとき、自分の小心者ぶりに呆れて笑いがこみ上げた。僕は本当に仕方のない奴だ。
ようやくまどかの誕生日当日の朝を迎え、僕は腹をくくり、指輪を鞄に入れ、彼氏の顔を作って家を出た。
ここまで来たのだから、指輪は渡すしかない。まどかが欲しいものではなくても、それなりに高価なものだ。きっと悪い結果にはならない。そう自分に言い聞かせた。
テーマパークで主導権を握ったのはまどかだった。
僕はまどかに言われるがままにキャラクターの乗った帽子を被り、ポップコーンとチュロスを食べた。あちこち歩き回り、並んでアトラクションに乗り、ショップを巡っているうちに暗くなった。
夜のパレードの場所取りのため、指定のエリアにレジャーシートを敷いて座った。二人で一枚のブランケットを背中にかけて、肩を寄せ合い、下から這い上がってくるような寒さに耐えた。
ひそひそと他愛ない話をした。いつもならどうでもいいと思うような話も、面白く感じた。くすくす笑うまどかを見て、胸の中が締め付けられるような切ない気持ちになった。
やっぱり僕は、まどかが好きだ。
まどかを喜ばせたいと思った。
指輪を渡すからには、最高のシチュエーションで。
僕は決意を新たにした。
いざパレードが始まると、目の前が一気に明るくなった。電飾に彩られた演出もそうだが、キャラクターたちの魅力的な動作や、周囲で踊るダンサーたち自体が光を放っているように見えた。
でも、僕はちらちらと横目でまどかを伺ってばかりいた。嬉しそうに目を輝かせるまどかは、僕の視線には気付いていないようだ。
音楽がやみ、キャラクターたちが去った。みんなが余韻に浸っている。これから花火が上がるというアナウンスを聞き、僕は鞄から指輪の箱を取り出した。
「すごかったね」と興奮するまどかの手を取り、指輪の箱を握らせた。
「なにこれ?」
「誕生日プレゼント」
まどかは「開けていい?」と上目遣いに僕を見た。僕は頷く。
「もちろんだよ」
動揺を悟られないようにゆっくりと喋った。
まどかの綺麗な手が、テープを剥がし、包装紙を開いていく。僕はそれを、緊張しながら見守った。
とうとう箱から指輪が出た。僕は下唇を噛み、まどかの反応を待つ。
「どうして? どうして分かったの? 私、これ、すごく欲しかったの!」
僕は密かに胸をなでおろし、それをまどかに悟られないように無理矢理口の端を持ち上げた。
「まどかのことが好きだから」
まどかの手にある箱から指輪を取り、まどかの右手の薬指にすっと通す。
「お誕生日おめでとう」
決まった、と思った。成功の予感に、僕の身体は早くもじんわり震えはじめている。
絶妙なタイミングで、花火が上がった。
夜空に輝く花火の光が、まどかの涙をきらりと光らせた。
