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【一部始終】第二話 ~始~

 空気が冷たく肌を刺す夜だった。
 マフラーに顔を半分埋め、手はコートのポケットの中に入れている。それでも寒い。自然と背中が丸まってしまう。
 暗闇をかき分けるように足を交互に出す。その様子を見ながら、駅までの道を歩く。
 今日は満月だと聞いていたが、夜空を見上げるようなことはしない。ただひたすらに、少しずつ前に進む自分の足を見つめる。月の形を楽しめるほど、心に余裕はない。
 僕は先ほど、夕方五時から夜の十時までのファーストフード店でのアルバイトを終えてきたばかりだった。
 顔に情けない笑みを貼り付けて、足を棒にして、誰かの夕飯や間食を提供する仕事。
 社交的ではなく、どちらかというと孤独を好むタイプの僕には向いていない仕事だということは、勤め始めてすぐに分かった。それでも、時給が良いので辞める決心もつかないまま、ずるずると働いている。
 続けているからといって馴染むことはない。仕事にも、人間関係にも。
 もう勤めて一年になるのに、他のアルバイトの連絡先は知らない。聞かないし、聞かれないからだ。店長は気を遣って、僕にやたらと声をかけてくるけれど、会話が弾むことがない。妙な間が空いて、互いに愛想笑いを浮かべて、それで終わる。
野々村ののむらくんは真面目で助かる」と精一杯褒めてくれる半面、「もう少し肩の力を抜いてくれたらね」とも言われる。
 そんなこと、僕にだって分かっている。でも、やり方が分からない。もう二十年こうして、俯きがちに生きてきた。今更肩の力を抜いたところで、情けない猫背の男が、情けないなで肩の男に変わるだけだ。誰かへ与える影響が変わるとも思えない。
 帰り道はいつも、もやもやした気分で駅までの道を歩く。人通りの少ない、閉店した居酒屋の並ぶ裏路地を通る。カタカタと風に揺れるシャッターの音が、そこに澱む誰かの無念を伝えてくるような気がする。その音を聞くと少し落ち着く。黒い感情を持て余しているのは僕だけではないのだと教えてくれているような気がする。
 早くこんな生活から抜け出したい。そう思うと、自然と歩調が速くなる。
 僕は早く家に帰って、小説を書かなくてはいけないのだ。
 昔から本を読むことが好きで、自然と自分で物語を作るようになり、小説を書くことが日課になった。それがそのまま将来の夢になった。頭は悪くなかったので、親にすすめられるまま都内の大学へ進学し、「人生経験のために」と言われて実家を出て、アルバイトを始めた。将来を特に意識するようになってからも、創作への想いは変わらなかった。他にやりたいと思うことが見つからない。
 自分の作品を誰かに届ける。それを仕事にして生きていきたい。
 これまで何度か新人賞に応募し、落選を繰り返している。世間の厳しさと自分の未熟さを思い知りながら、それでも僕は懲りずに毎日ノートパソコンに向かって文字を吐き出している。
 今は新人賞に応募するための長編小説に取り組んでいるところだ。三月末締め切りだから、あと四か月と少し。
 今回の公募はこれまでとは気持ちの入れ方が違う。僕にとって特別なものだ。今年の丸谷まるたに文庫新人賞の審査員長は、なんと憧れの五十嵐信明いがらしのぶあき先生なのだ。
 僕が敬愛してやまない五十嵐先生に僕の作品を読んでもらいたい。そして応募総数数万の作品の中から、五十嵐先生に僕の作品を選んで、認めてもらいたい。
 そうなれば、僕の人生は変わるのだ。
 コートの中で自然と指が動く。頭に浮かぶ文字列をタイピングしようとしているのだ。僕には小説しかない。身体中がそう訴えているような気がした。
 足元が少し明るくなった。角のコンビニの明かりだ。コンビニを曲がれば、駅はもうすぐそこだ。僕は顔を上げて、前を見た。
 しかし、僕が捉えた光は、見慣れた緑と青のものではなかった。ピンク色に近い紫の看板が、コンビニの手前で光っている。
 紫の看板には、白地で『占い』とだけ書かれていた。シャッターの隣に並んだ真っ白な外壁と、自動ドアらしきガラスの入り口から漏れる白い光が、暗闇にぼんやりと浮かんでいる。
 新しい店が出来たのだろうか、と一瞬好奇心をくすぐられたものの、すぐに僕には関係ないことだと思い直す。占いなんて怪しいものにすがるほど、僕は自分の道を見失ってはいない。
 そうは思いながらも、通りすぎるとき、中を覗いてしまった。
 ガラスの自動ドアから、店内の真っ白いカウンターが見える。まるで歯医者のような、無機質で無個性なつくり。
 自動ドアのガラスには、営業時間も定休日も料金も書かれていなかった。全く営業努力を感じられない、人を拒むような外観。新規開店を宣伝することも、どこかから移転してきたと案内することもなく、ただ白い電灯の明かりだけが、自動ドアのガラス越しに僕の顔を照らす。
 何故か僕の足は止まっていた。ごくりと自分の喉が鳴る音が聞こえた。
少し離れていたはずなのに、人感センサーが僕を検知したらしく、自動ドアが左右に開いた。
「にゃーお」
 突然聞こえた猫の声に、僕の心臓が大きく跳ねた。慌てて見回しても近くに猫はいない。もちろん、自動ドアの向こうにも、猫の姿は見えない。
 先ほどまで誰もいなかったカウンターに、いつの間にか人が立っていた。  黒縁眼鏡のスーツの男だ。決して屈強そうではなく、かといって詐欺師のようなうさん臭さも身にまとっていない。印象の薄い細身の男が、僕を見て、微笑んでいる。
 その男と目が合う。どうしたらいいか分からず、曖昧に会釈して、視線を逸らす。
「こんばんは」
「ひっ」
 先ほどカウンターの中にいたはずの男が、ほんの一瞬目を離したすきに、僕の目の前に立っていた。思わず悲鳴を上げてしまったが、男はそれを気にした様子もなく、にこにこと笑っている。
 気味が悪い、と思った。
 男の黒いネクタイも、やたらと白い顔色も、その印象に拍車をかけた。
「寒いので、よろしければお茶でも飲んで行ってください」
「あ。いや、あの」
「遠慮なさらず」
 柔らかい口調ではあるが、有無を言わさぬ迫力があった。僕は「じゃあ」と頷いた。
 何故だかは分からない。身体が自然に動いた、としか表現のしようがない。
 通されたのは、壁も床も真っ白な個室だった。中央に黒い丸テーブルが置かれ、その真ん中に大きな水晶が鎮座している。木製の椅子が三脚置かれていた。二つはテーブルに向かい合うように、一つは僕から見て右側に。木枠も座面のクッションも全部黒い、見たことのない椅子だ。
 スーツの男は僕を残し、「お茶を入れてきます」と部屋を出た。座れとも座るなとも言われなかったが、面接でもないのに「どうぞ」を待つ必要もないか、と思い、椅子に腰かけた。ギシ、と大きな音が響く。どうやら、椅子の質はあまり良くないらしい。
 扉を見た。男はまだ帰って来ない。
 部屋を改めて見渡してみる。
 壁にはポスターも時計もない。それどころか窓もない。天井からぶら下がるのはアンティークなシャンデリアで、ろうそくのような形をした黒い台座に、炎を模したライトが五つ円形に並んでいる。暖色の光が照らす室内は、さほど明るいとも言えない。長時間いたら目が悪くなりそうだ。
「お待たせしました」
 男が湯気のたつ黒いカップを僕の目の前に差し出す。相変わらず、気配というものがない。急で驚いたが、今度は情けない声を出さずに済んだ。
「ハーブティーです。どうぞ。冷めないうちに」
 男は向かいの椅子に腰かけた。何の音もしなかった。
「あの、でも」
「大丈夫。毒なんて入っていませんよ」
 心の内を見透かされたようだった。
 僕は今更、「見ず知らずの男に誘い込まれた個室で、得体のしれないものを飲む」という危険性を認知したわけだが、にこにこと僕を見る男を前にして、「やっぱりいいです」と言えるほどの度胸もなく、カップを口に運び、少しだけ中身を飲んだ。良い香りがふわっと僕の中に舞い込む。
「美味しい」
 思わず二口目を飲んだ。男はにこにこしながら、そんな僕を見ていた。
「あ、あの」
 僕はハーブティーのカップをソーサーに戻し、意を決して「すいません」と切り出した。
「僕、お金持ってないんです」
 僕は決して裕福ではない。
 収入は実家からの仕送りと、週三回のアルバイト代だ。両方足しても、贅沢の出来る金額にはならない。家賃の安い狭い部屋で、基本は大人しく暮らしている。
 だから、財布の中の三千円は貴重だ。しかも、今月はこれからお金のかかる予定が控えている。絶対に奪われる訳にはいかなかった。
「ああ、そんなことですか」
 男は笑みを崩さず、さらりと言った。
「大丈夫ですよ。お金はかかりません」
「お金はかからない?」
「はい。一銭も」
「にゃーお」
 男の声と一緒に、またしても猫の声が聞こえた。声のした方に顔を向けると、僕の右側の椅子に、いつの間にか黒猫が座っていた。左右で目の色が違う。左目が黄色で、右目が青。曇りのないビー玉のような綺麗な目をした黒猫は、僕を見てもう一度「にゃーお」と鳴いた。そして椅子に丸くなり、長い尻尾を身体に巻き付けるようにして、目を閉じた。
「私はあなたのお力になりたいのですよ」
「僕の力に、ですか?」
 急に現れた猫も、目の前の男が言うことも、あまりにも現実感がなさ過ぎて、夢を見ているのではないかと思った。僕はずっとどきどきしているし、尻のあたりがもぞもぞする。足元もふわふわしているような気がする。
 男は困惑する僕に構わず「はい」と頷いた。
「占い師ですので」
「ええと、つまり、どういうことですか?」
 頭が正常に働いていると思えなかった。
 いや、違う。
 僕が二つに分かれているような気がした。表面的な行動を起こしている僕と、心の中で「さっさと家に帰れ」と命じる自分。
 心の中の自分は、素性の知れない男への警戒をひたすら説いている。
 急に現れて初対面の僕を助けたいなどとわけの分からないことを言い、しかも金銭は要求しないと明言する。こんな怪しい人物と一緒にいることは危険だ。もしかすると命に関わるかもしれない、と訴える。
 しかし、心の中の自分がいくら必死に訴えても、表面上の僕は促されるまま自動ドアの先へ進み、この部屋に通され、男がハーブティーをいれるために席を外したときも、そして今このときも、逃げようとはせず、のんびり椅子に腰かけ、男の話の続きを待っている。
 なんだかちぐはぐで、考えがまとまらない。アルバイトの疲れが響いているのかもしれない。
「ここに、あなたにとって必要な情報が映ります」
 自称占い師の男はそう言って、水晶を手のひらで撫でた。
「必要な情報?」
「言葉で説明するより、見ていただいた方が早いでしょう。この水晶をじっと見て」
 僕は言われるがままに、身体を少し前に出して、水晶を覗き込んだ。
 水晶の中に、ぼんやりと色彩が浮かび上がった。色彩はすぐに鮮明な映像になり、僕の知っている人物を映した。
「まどか?」
 映っているのは、僕の大学の同級生であり、彼女でもある中澤なかざわまどかだ。
「どうして、まどかが」
 僕は驚いて顔を上げ、占い師を見た。
「十五分しか映りませんから、きちんと見ておいた方がいいですよ」
 占い師に言われて、僕は再び水晶を覗き込んだ。
 まどかは水晶の中で、動き続けている。
 一人で歩いているようだった。どうやら場所は、彼女の家の近くのショッピングモールだ。僕も何度か一緒に行ったことがある。
 まどかはあるアクセサリーショップに入った。そして迷うことなく、ある商品の前に立った。
 ピンクゴールドとシルバーがクロスしたデザインの指輪が、アップで映し出される。映像はすぐ、それを見つめるまどかの横顔に変わる。真剣に指輪を見つめている。
「それ、可愛いですよねー」
 突然音声が聞こえたことに驚き、僕は水晶から身を離す。音響装置らしきものはついていない。占い師と目が合う。占い師は黙って頷く。僕も頷いて、水晶の中のまどかに視線を戻す。
 どうやら店員がまどかに話しかけたようだ。派手な髪色をした店員がまどか越しに映る。まどかは顔を上げることなく「はい」と返事をしていた。
「サイズは、おいくつですか?」
 店員はめげずにまどかに声をかける。まどかはゆっくりと顔を上げ、「九号です」と答えた。
「試しにつけてみて下さい」
 店員はショーケースの鍵を開け、指輪をまどかに差し出した。
 まどかは「あ、いえ」と身体を引いた。それでも視線は店員の差し出す指輪に釘付けだった。
「遠慮なさらずに」
 店員の勢いに押され、まどかは指輪を受け取った。恐る恐る、といった様子で、ゆっくりと指輪を右手の薬指にはめた。
 指輪はまどかの白い指にぴったりと収まった。僕はなるほど、似合う、と思った。
 まどかの目は輝いていた。しかし、すぐに少し悲しそうな顔になった。指輪を外し、店員に「ありがとうございました」と渡した。
 店員は「いいええ」と笑顔で受け取り、「もしよろしければ」と話を続けたそうだったが、まどかは「ありがとうございました」と再び頭を下げ、そのショップを後にした。
 そこで、水晶はただの水晶に戻った。
 僕は顔を上げ、占い師の顔を見た。
 占い師は「いかがでしたか?」と僕に聞く。
「いや、どうっていうか、あの」
「まあ、落ち着いて。ハーブティーを飲んでください」
 占い師に言われるがまま、僕はハーブティーを口に運ぶ。温かい。ちゃんと味がする。夢を見ているわけではなさそうだ。
「まず」
 僕はカップを置きながら、一つ目の質問を試みる。
「どういう仕組みで、ここから映像と音声が流れるんですか?」
 占い師は「さあ」と首を傾げた。
「さあって、そんな……」
「私にも仕組みは分からないんです。覗き込んだ方の役に立つ映像がここに映るというだけで」
「でも、声も聞こえましたよ」
「不思議ですよねえ。でも、タネも仕掛けもありませんよ。ただの水晶です。持ってみてください」
 占い師が水晶を手のひらで包むようにして持ち上げ、それを僕に差し出した。僕は両手で水晶を受け取る。ずしり、と重さが手に伝わる。水晶を動かして、上からも下からも見てみたけれど、向こう側を少し歪んで映し出すだけ。ただの透明な水晶のようだ。
 占い師は水晶が収まっていたクッションを持ち上げてひらひらと振った。
「こちらもなんともありません」
 占い師が元の位置に戻したクッションの上に、僕は水晶を丁寧に戻した。綺麗な球形のそれは転がってしまいそうで不安だったが、意外とすんなりそこに落ち着いた。
 僕は映像が映る仕組みの解明を諦め、映った映像の内容について聞くことにした。
「あの映像には、僕の彼女が映っていました」
「そうですか」
 占い師の顔には、相変わらず笑顔が貼り付いている。
「どうしてですか?」
 先ほど見た映像は、一点から映したものではなかった。最初はまどかが歩く姿を遠くから映し、ショーケースに飾られた指輪を映し、まどかの横顔を映した。店員と会話をするときは少し引いて、まどかと店員が両方映るような画角になった。ドラマや映画のようだった。複数のカメラを使い、映像を使い分けて、視聴者に伝わりやすく見せるような──。
「存じません」
「え?」
「いえ、ですから、私にも分かりません。きっとあなたの役に立つ情報だからなのでしょう」
「役に立つ?」
 僕が聞き返すと、占い師は「はい」と頷いた。
「役に立つかどうかなんて、分からないじゃないですか」
「いいえ」
 占い師は、今度は首を横に振った。
「絶対に役に立ちます。それだけは確かです」
「どうして、そんなことが言い切れるんですか? この映像が僕の役に立つだなんて」
「ですから」
 占い師は一度咳払いをして、続けた。
「初回は無料なんです。信じてもらえるまでに、お時間のかかる話ですから」

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