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【一部始終】第六話 ~詰~

 大賞を受賞した作品の書籍化作業を終え、僕の担当となった丸谷の編集、金井かないさんと連絡を取り合い、次作の執筆にとりかかった。
 大賞をとった『この先も君と』に登場した主人公の友人に焦点をあてた作品で、略して『この君』の続編と銘打っている。
 大学へ行く時間を犠牲にし、アルバイトのシフトを元通り週三回に戻し、空いた時間を執筆に充てた。
 時間はあるのに、筆が進まなかった。それでも書かねばならなかった。
 丸谷文庫新人賞受賞者は、月刊誌『丸谷』にて短期集中連載をすることが定例となっている。その例に漏れず、僕の作品も『丸谷』のページを埋めることが決まっていた。締め切りは刻々と迫っていた。
 夜も眠れず、頭は働かない。とにかく惰性で作品を書ききることは出来たものの、前作ほどの手応えは感じなかった。
 とりあえず作品を渡すことが出来て安堵はしたものの、金井さんは「間に合って良かった」としか言わなかった。
「面白くないですか?」
 喫茶店で原稿を渡した僕は、不安な気持ちを抑えきれなかった。向かいに座る金井さんは、明らかに曇った顔をしていたからだ。
「大丈夫です。とにかく載せることが大事なんです。話題性がありますから、きっとたくさん読んでもらえますよ」
 金井さんは早口でまくし立てると「次がありますので」と伝票を取り、席を立ってしまった。その後ろ姿は、水晶で見たあの背中とよく似ていた。
 取り残された僕はしばらくその場から動けなかった。
 僕自身も傑作だとは思っていなかったけれど、お世辞にも「面白い」と言ってもらえない作品だっただろうか。
 答えの出ない自問自答をしている間に、メロンソーダの氷はすっかり溶け、僕の前のグラスには、薄緑の甘いだけの液体が残った。
 次こそは、と気を持ち直した。
 過ぎてしまったことは仕方がない。次こそは面白い作品を書き、金井さんに認めてもらわなければならない。
 僕は必死でノートパソコンに向かった。
 でも、駄目だった。
 正直、完全に行き詰まっていた。新しい作品を書き始めても、途中で「これは駄作だ」と醒めてしまい、書ききることすら出来ない。
 焦りばかりが膨らんでいく。
 将来を決めなければならない時期にも差し掛かっていた。
 まどかは既に、大半の同級生と同じように、希望の就職先を絞り、活動を始めている。本来は僕もそれに倣うべきなのだとは思う。
 しかし、いくら企業名を並べられても、それは単なる文字の羅列にしか感じられなかった。僕自身がスーツを着て、その企業で働く姿を想像することは出来ない。面接で語れる志望動機もなければ、熱意もない。執筆を続けたいのだから、本当は就職などしたくない。
 かといって専業作家になれるかと言われれば、それはそれで難しい。
 新人賞を受賞し、書籍化もされる。しかし、継続して収入を得られる見込みがない。
 短期連載の原稿を渡してしまったあと、僕の作家としての予定は見事に白紙だ。『この君』を超える作品を書き続けられれば話は別だが、今のところ、そもそも『この君』の続編すら評価を受けるとは思えない現状。生活の糧になると見込むのはあまりにも楽観的過ぎる。
 母親からも、まどかからも、『就職どうするの?』というメッセージが届いていた。心配しているのだと分かっていながらも、それが疎ましく感じた。どうするのか聞きたいのは僕だ。『考え中』と返信するのが精一杯だった。
 同級生たちは着実に前に進んでいるというのに、僕だけ取り残されている。その焦りが、全てを台無しにしているような気がした。
 アルバイトにも身が入らず、接客態度が悪いとクレームを立て続けにもらった。店長にも呆れた顔をされ「もっと真面目にやってよ」と言われた。真面目さだけを評価されていた僕の信用は、あっという間になくなってしまったらしい。
 追い詰められた僕は、意を決してあの占い師に頼ることにした。
 アルバイトの帰り道、いつも紫の看板を見ながら、自動ドアの前を通っていた。
 最近はいつも電気がついている。だから営業はしているはずだ。しかし一度も客らしき人を見かけたことはない。予約はいらないだろうと判断した。
 アルバイトを終えて、走って占い師の元へ向かった。
 その日に限って、占い師の男は外に立っていて、僕を見つけて手を振った。
「こんばんは」
「こん、ばんは」
 久しぶりに走ったので僕の息はあがっていた。最近は引きこもってばかりだから、体力もすっかり落ちた。
「お元気そうですね」
「へ?」
「いえ。走って来られたので」
 僕は占い師の顔をまじまじと見た。特に嘲りの色は感じられない。いつも通りの笑顔だった。
「全然、元気じゃないんです」
 占い師は首を傾げた。一言目を発した僕の口から、言葉が勝手に流れ出る。
「全然元気じゃないんです。もう自分でもどうしたらいいか分からないんです。何もかもうまくいかなくて、誰も僕のことを相手になんてしてくれなくて。みんなが心配するふりをして僕を見下して、馬鹿にしてるような気がして、誰とも話をしたくないんです。でも、誰かに慰めてもらいたいと思うこともあって、ああ、もう、本当に、どうしたらいいか」
 まさかここまで言うつもりはなかった。しかし、全部僕の本音だ。僕は追い詰められているのだと、改めて自覚した。
 目頭が熱い。流石に涙を流すわけにはいかないと、僕は上を向き、流れようとしている温かい液体を飲み込んだ。
「情けないんですけど、もうすがるところがなくて、それで、ここに」
「そうですか」
 占い師は僕の背をそっとさすった。ぽろり、と一粒僕の目から涙が零れてしまった。
「では、ハーブティーをいれましょう」
 自動ドアが開くと、「にゃーお」と猫の声がした。なんだかすごく懐かしいもののような気がした。
「あの」
 僕は涙と一緒に出た鼻水をすすり、「これ、録音ですか?」と尋ねた。
「録音?」
 占い師が立ち止まり、こちらを振り向く。
「いつも猫の声がするので」
「いえ。これはうちの猫が、お客様を迎えるときに鳴くんですよ」
 占い師は丸テーブルの部屋のドアを開けた。以前と同じ椅子に、以前と同じように、艶々の黒猫が丸まって寝ていた。
「猫って、この黒猫の他にもいるんですか」
 尋ねながら、僕は椅子を引いて座った。
「いません」
 占い師はそう答えると部屋から出て行ってしまった。恐らくハーブティーをいれにいったのだろう。
 からかわれたのか、そうでないのか分からない。相変わらず不思議な人物だ。ただ、少し会話をしただけで、僕の心は落ち着きを取り戻している。涙もすっかり引っ込んだ。
 黒猫の身体が、一定のリズムで上下している。
 手を伸ばして、艶やかな被毛に触れようとした。黒猫はその気配を察知したらしく、即座にぴくりと耳を動かした。顔を上げ、僕を見た。透き通った綺麗な目が、ぎょろりと僕を睨んでいる。
「なーん」
 黒猫が鳴いた。入り口で聞いた鳴き声とは少し違うけれど、確かに声は似ている気がする。低くて威厳に満ちた、圧力を感じる声だった。
 数秒、目が合う。黒猫は身体に巻き付けていた尻尾を、たしん、たしん、と椅子に叩きつけた。
 触るなと言われている気がして、僕は手を引っ込めた。
 黒猫は僕が諦めたことを悟ったらしく、元の体勢に戻り、静かに背中を上下させ始めた。何故だか「負けた」と思った。
 その攻防が終わるのを待っていたかのように、占い師がハーブティーのカップを乗せたトレーを手に、扉を開いた。
 相変わらず、ハーブティーは美味しかった。
「今回のお代はどうしますか」
 占い師は、僕の向かいに腰掛けると、早速本題に入った。
「ええっと、どうしましょう」
 自分でも、考えないではなかった。しかし、求められる対価の基準が、いまいちよく分からない。
 あの古びた腕時計で、五十嵐先生を見ることが出来た。
 大賞を受賞するきっかけになったあの映像と腕時計の価値が同等だとは、僕にはどうしても思えない。僕の感覚と、占い師の感覚は違うのだろう。きっと今度も大したものは要求されないに違いない。
 また腕時計で済むのなら、それでもいい。右手が軽くなったことに違和感を感じて買い直した新しい時計は、前の時計よりも少し高い。買ったばかりだし、それなりの価値はあるはずだ。失ったら、また別のものを買えばいい。
「そうですねえ」
 占い師は顎に手を当て、少し考えるような素振りをした。
「では、その指輪を」
「え、いや」
 指定されたのは、左手の薬指についていた、まどかとのペアリングだった。付き合い始めから今まで、ずっと大切にしてきたものだ。
「これは、これは駄目です」
「駄目ですか」
「はい。何か別のものを」
 僕は指輪を隠すように、右手で左手を覆った。
「ですが、この水晶は」
 占い師は水晶に手のひらを向けた。顔には相変わらず、笑みが貼り付いている。
「支払った対価によって映る映像が変わります。あなたにとって大切なものを差し出せば、それに応じて、あなたにとって価値のある映像を映します」
「そういえば、前にもそんなことを」
 以前、似たような説明を受けたことを思い出した。占い師は、僕の顔を見て頷いた。
「あなたにとって価値があるものでないと、あなたが必要としている情報は得られません。代わりのきくものでは、大した映像は映らないんです」
「それは、どうしてですか?」
「分かりません。そういうものだからです」
 僕と占い師の会話が途切れた。占い師の表情は変わらないが、空気が張り詰めているような気がする。僕はごくりと喉を鳴らした。
 やはり、この占い師は、普通の人ではないのだろう。
 これまで薄々感じていたものが、確信に変わった。僕は今、理解の範疇を超えたなにか・・・と、対峙している。改めてそう考えると、背筋が冷えた。
 しかし、僕は半ばそれを望んでいた。
 どうにもならない現状に嫌気がさし、説明がつかない力にすがろうと決意して、ここまで来たのだ。もしもこの占い師が異界の存在だとしても、僕の役に立ってくれればそれでいい。
「どうしますか?」
 占い師は穏やかな口調で僕に決断を促した。
 僕は指輪を外した。一度ぎゅっと両手で握りしめてから、占い師に差し出した。
「お願いします」
 新しい指輪を買えばいい。まどかの分も買い直して、それで納得してもらおう。僕はまどかとの将来を考えている。僕の人生は、まどかの人生に大きく影響するのだ。だからこれは、仕方のない犠牲なのだ。
 僕はそう自分に言い聞かせた。
 占い師は指輪を受け取り、胸ポケットから差し出した黒いハンカチで包み、また胸ポケットにしまった。
「では」
 占い師に促される前から、僕は水晶を見つめていた。
 これだけ大事なものを差し出すのだから、きっととんでもなく有益な情報を得られるはずだ。まだ透明な水晶を睨むように見る。
「どうぞご覧下さい」
 占い師の言葉が終わると同時に、水晶に色が浮かび上がる。ぼやけていたそれらは、すぐにしっかりとした輪郭を得て、動き出した。
「今度の新作ね」
 斜め上からのアングルで、黒髪の女性が映っている。どうやら自室のようだ。こざっぱりと片付いた部屋に、書棚とデスク。椅子に座り、パソコンに向かいながら、女性はスマートフォンを耳に当て、誰かと電話をしているようだ。
「ご当地ものにしようかと思ってるの」
 僕はそこで気付いた。
 水晶に映るこの中年の女性は、去年これまでノミネートされ続けた直本賞をついに受賞した人気の女流作家、相原美華子あいはらみかこだ。
 華やかな名前と裏腹に、平安時代から抜け出したかのような地味な顔立ちと雰囲気。受賞会見を見たとき、僕はそのギャップに思わず笑ってしまったことを覚えている。
 スマートフォンの向こうの言葉を聞き、相原美華子はおかしそうにクスクス笑った。笑いながら、デスクの上の煙草と灰皿を自分の方に引き寄せ、煙草を一本、手に取った。
「うん。そうそう。流行ってるからね。え? あはは。そうね」
 再びデスクの上で探るように手を動かす。手に取ったのはライターだった。蓋つきで、青い石がはめ込まれている。きっと高価なものなのだろう。
「うん。ご当地もので、人が死なないミステリーに挑戦しようかなって」
 相原美華子が煙草を口にくわえた。パキッと音を立ててライターを開き、煙草に火をつけた。ライターをデスクに戻すと、煙草を人差し指と中指に挟み、「ふうー」と白い煙を盛大に吐き出した。大人しそうな外見に、喫煙姿は全く似合っていない。
「だけど、ちょっと時間がかかりそうなの」
 相原美華子は物憂げな声を出した。
「そう。私、東京生まれの東京育ちだから、地方のことがよく分からなくって。東京じゃ、面白くないもんね。ご当地感出ないし。だからまず、場所を決めて、調べて、って。全然まだ何も手を付けられてない状態なの。分かりやすく沖縄か北海道がいいのかなって気もするけど、それもありきたりかなあ?」
 スマートフォンの向こうの誰かが面白いことを言ったらしい。相原美華子は大きく笑った。
「あはははは。それは言い過ぎ。うん。だからちゃんと構想を練ってはいる。そりゃそうよ。私だって、ご飯食べて行かないといけないからねえ」
 相原美華子はまた笑った。
「そう。今はとにかく連載のエッセイを書かないといけないから。だから、終わり次第。うん。あはは。はい。はーい。頑張りまーす」
 声が遠くなり、映像が水晶に溶け込んで見えなくなった。僕は目を閉じ、今見た映像を反芻した。
 もう水晶に綺麗に動画が映る仕組みや、占い師の男の素性などどうでもいいことだ。今見た相原美華子の姿が偽りだったとしても、問題はない。
 映像の中にある、僕にとって必要な情報を一片たりとも逃したくなかった。
 頭の中で、相原美華子の笑い声が響く。一言一言を繰り返し頭に刻む。僕の現状を打破できる鍵は、彼女の言葉の中にある。そう確信していた。

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