見出し画像

【一部始終】第五話 ~熱~

 僕はとにかく小説が書きたくなった。
 今取り組んでいる完成間近の異世界転生ミステリー小説を中断して、青春小説を書くことに決めた。
 ジャンルは全く変わるけれど、五十嵐先生の望む小説をなんとしても仕上げたい。
 そうだ。ヒロインの名前はまどかにしよう。
 新しい小説の案が次から次へと頭の中で弾けて繋がり、ぶつかりあってまた新しい塊になる。
 頭の中が新しい物語に支配されている。一刻も早く文字にしたい。
 立ち上がった僕に、占い師は「頑張ってくださいね」と言った。僕は挨拶もそこそこに占い師と別れ、駅までの道を走った。
 一駅だけ電車に乗り、ホームに降りてまた走る。そうせずにはいられない。僕の中の衝動が暴れている。自分でも制御出来ないのだ。
 家に帰った僕は、すぐにノートパソコンに向かい、執筆を始めた。
 新人賞の応募締め切りまであと三か月を切っている。これから三か月で応募規定に基づき、十万字以上の作品を仕上げなければならない。
 僕のこれまでの執筆ペースでは、到底間に合わない。
 しかし、不安はない。何故か「絶対に間に合う」という確信が僕の中にある。
 出来るか出来ないかではない。やるのだ。絶対に。
 僕はそれから、執筆中心の生活を送った。大学にはほとんど行かず、年末年始の帰省もしなかった。アルバイトだけは週三で出勤し続けた。時間は惜しいがお金も欲しい。働きながらも、頭の中は半分以上自分の物語を練り続けていた。
 まどかには小説を書いていることを打ち明けた。
 とにかく時間がないので、まどかとのデートや連絡頻度を減らさざるを得ない。下手に嘘をつくよりは、正直に話しておいた方がいいと思った。
 誕生日プレゼントを送って以来、まどかとの関係は引き続き良好だ。多少連絡頻度を減らしても、すぐに嫌われることはないだろう、という打算もあった。
 ずっと付き合ってくのなら、いずれは打ち明けることでもある。僕は創作をせずには生きていけない。理解を求めるのに最適のタイミングだと思った。
 まどかは僕から秘密の共有を受けたことをむしろ喜び、「誰にも言わないし応援する」と約束した。おかげで僕は安心して執筆に没頭することが出来た。
 その結果、僕は無事、長編小説を書き上げることが出来た。
 しかもその出来栄えに、思わずにやけてしまうほど満足している。僕の持てる技術の全てを発揮した、渾身の一作だ。
 締め切り当日、ぎりぎりまで何度も読み返し、誤字や脱字がないことを何度も確認した。印刷した原稿を封筒に入れるとき、ふっと寂しくなった。もうこの作品は僕の手から離れる。ここから先、僕はこの作品が入選しますようにと祈ることしか出来ない。
 封筒に封をする前、目を閉じ、「頑張って来いよ」と心の中で呟いた。それからはあまり考えないようにし、郵便局へ行き、封筒を渡した。
 帰りに神社に寄り、「どうか大賞がとれますように」と手を合わせた。神様に祈るなんて、生まれて初めての経験だ。
 僕に出来ることの全てをやり切り、胸の中は晴れていた。あとは結果を待つだけだ。その日はひたすら眠り、体力の回復に努めた。
 翌日からは大学に顔を出し、まどかとデートを重ねた。
 急に時間があいてしまったように感じて、少し寂しくなった。アルバイトのシフトも増やしてもらい、なるべくスケジュールを埋めた。
 一人になると、選考結果のことを考えてしまう。
 応募当時は自信満々だったのに、時間が経つにつれ、不安な気持ちが膨らんでいく。
 作品自体は悪くないと思う。しかし、結果はどうか。五十嵐先生まで作品は届くだろうか。目の肥えた審査員たちに、僕の作品の良さは伝わるだろうか。
 アルバイトへの行き帰り、何度見ても占いの店は閉まっていた。それが不吉な予兆に感じて、不安が膨らむ。
 今の僕にとって、すべての事象が新人賞の選考結果に繋がっている気がした。頭の中はそればかりで、不安だからまどかと会い、それなのにまどかに「上の空だ」と怒られる。以前の僕はどうやって日々を過ごしていたのか。調子を取り戻せないまま、日々を過ごした。
 一次選考通過作品の発表日は、前日から眠れなかった。
 祈るような気持でスマートフォンで確認した。そこに自分の筆名が入っていることを信じられず、何度も目を擦り、ページを再読み込みして、ようやく夢でないことを悟り、飛び上がって喜んだ。
 生まれて初めて一次選考を通過した喜びが、胸の中から指の先までじわじわと染みていく。僕の目には涙が浮かんでいた。
 名前が載っているということは、誰かが僕の作品を読んだのだ。その上で、賞をとれる可能性があると判断したのだ。その事実がとにかく嬉しい。
 僕は一番にまどかに報告した。まどかは一緒になって喜び、お祝いにケーキを買ってくれた。これまで孤独だった執筆という作業の喜びを、誰かと分かち合えた。その事実がまた僕の胸を打った。
 ケーキを食べながら、僕はまた泣いた。まどかには「今から泣いてたら大賞とったときどうするの」と笑われた。まどかは僕の作品が大賞をとると断言してくれた。その気持ちが嬉しかった。
 二次選考を通過したときは、喜びより先に戸惑いを覚えた。「どうしよう」が真っ先に浮かんだ感想だ。
 もちろん嬉しい。しかし、あまりにも上手くいきすぎている気がした。もしもこれが夢だったらと思うと怖い。急に現実に引き戻されて「やっぱり夢でした」と言われたら。
 まどかに話したら、またしても笑われた。「もっとどっしり構えて、大賞以外はないと思わないと」と背中を叩かれた。
 まどかの言う通りだとは思う。しかしそうとは思いきれないネガティブな僕は、不安を胸の中に飼い続けながら、残りの日々を過ごした。早く時間が過ぎて欲しいとも思うけれど、結果を見るのが怖いとも思う。時間の過ごし方が、本当に分からない。
 とうとう最終結果が発表され、しかも僕の作品が大賞を獲得したと知ったときは、気を失いそうになった。そのまま固まってしまい、実際しばらく何も考えられなかった。
 大賞の欄に乗っている名前は間違いなく野々村太陽ひなただった。本名である野々村悠希はるきの名前だけを好きなキャラクターのものにした筆名は、僕の応募した作品名とともに並んで、その存在を誇らしげに主張していた。
 震える手で、まどかにメッセージを送った。すぐに電話がかかってきた。第一声は「おめでとう」だった。まどかは僕より先に泣いていた。だから僕も一緒に泣いた。そうしているうちにようやく実感が湧いた。
 これは現実だ。僕は本当に、大賞をとったのだ。
 これまで僕に関わってきたすべての人に「ありがとう」と伝えたい気分だった。喜びの感情の矛先をどう処理していいか分からなかった。とにかく、心の底から嬉しかった。
 それから僕の足元はずっとふわふわしていた。トントン拍子に進む書籍化の話と、次作の執筆の話。僕の夢が少しずつ形になっていく。時間はあっという間に過ぎた。
 中でも一番夢見心地だったのは、五十嵐先生と会えたときだ。
 大賞の記念品であるトロフィーを選考委員長の五十嵐先生から受け取ったとき、僕の頭の中は高速回転していた。
 五十嵐先生と直接言葉を交わせる貴重な機会だ。伝えたいことは山のようにある。
 中学生のときはじめて五十嵐先生の『潮騒の街』を読んで、衝撃を受けた。ページをめくる手が止まらなくて、最後は感動して泣いた。本を読んだだけなのに、僕の中で確実になにかが変わった。僕の思春期の人格形成に、『潮騒の街』は確実に影響を及ぼしている。
 僕は「いずれ五十嵐先生を越えるような作品を書きたい」と思っている。誰かの人生を変えてしまうようなお話をこの手で作り出したい。そんな大きな野望を抱いている。
『潮騒の街』と出会っていなければ、僕は小説を書くことをやめていたかもしれない。僕が何もしなくても名作や傑作が溢れているこの世界で、僕は僕なりに行き詰まり、上達しない腕前に焦り、それでも執筆を続けてきた。目指す目標があるから顔を上げることが出来たし、前に進むことが出来た。
  五十嵐先生は僕にとって憧れの存在であり、指針でもある。丸谷文庫新人賞に作品応募を決めたのも、五十嵐先生が審査員長だったからだ。五十嵐先生がいなければ、僕は間違いなくこのトロフィーを手にすることは出来なかった。その感謝だけはどうしても伝えるべきだと思った。
 たくさん考えたけれど、実際は、なにも言葉に出来なかった。胸に詰まった大きすぎる感情が、僕の発声器官を麻痺させて、頭から降りてきた言葉を形にすることを許さなかった。
 トロフィーを渡されるとき、五十嵐先生の温かい手が僕に触れた。そして、五十嵐先生は言った。
「素晴らしい作品だった。君の才能に嫉妬してしまうよ」
 鳥肌が立った。僕の身体が全身で喜びを訴えている。
「こ、こうひぇいでしゅ」
 ようやく発することが出来た言葉は、僕の緊張の全てを物語っていた。
 ここぞというときに決められない。既に振り切れている感情メーターに「恥ずかしい」という感情が加わったことにより、僕の中はぐちゃぐちゃだった。顔は真っ赤で、汗も拭きだしている。恥骨のあたりがきゅんとして、目頭は今にも涙をこぼそうと加熱している。きっと情けない顔をしているであろうことは、鏡を見なくても分かった。
 五十嵐先生は「大丈夫」と僕に言った。
「おめでとう。これは夢じゃないよ」
 僕の不安を打ち消すように、五十嵐先生は笑っていた。
 結局、その笑顔を見て、僕は泣いてしまった。
 五十嵐先生とのツーショット写真は、僕の宝物になった。
 見るたび、あのときの恥ずかしい気持ちが蘇る。それでも写真の中の五十嵐先生の笑顔を見たくて、僕は何度もその写真を見返すことになる。

いいなと思ったら応援しよう!