いじめで娘の「普通」が壊れた日。元教員の私が見たもの
「教員をしてたのに、自分の子どもを守れなかった。」
この一文を書くのに、どれだけ時間がかかったかわかりません。
でも今日は、ここから始めます。正直に、全部、書きます。
元・特別支援学校の教員だった私が、娘のいじめ問題で経験した約1年間は、ひと言でいうと「地獄」でした。
でも、普通の地獄じゃなかった。
いじめっこの発達特性が透けて見えてしまう。学校側がなぜ動けないか、構造でわかってしまう。加害側の親御さんの苦労まで想像してしまう。
なのに——娘を守れない。
この「わかってしまうからこそ、苦しい」という二重の地獄を、今日はすべて書いてみようと思います。
同じような場所にいるお母さんに、「あなたは一人じゃないよ」と伝えたくて。
そして、この記事を読み終えたとき、「怒っていいんだ」「ぐちゃぐちゃでいいんだ」と、少しだけ肩の力が抜けてもらえたら嬉しいです。
1.私が最初「冷静でいられた」理由
娘のいじめが発覚したとき、そんなこと全然気づかなかった。何も言ってくれなかったじゃない!と自分の不甲斐なさを棚に上げて娘に思ってしまったのが最初の気持ちです。
その後冷静に、「娘の性格」というか、忘れたころに現れるASDの特性を思い、「やっぱり快く思わない子がいたのか」という感覚があった、というのが正直なところです。
娘の様子がおかしくなりはじめたのは、6年生になってすぐのことでした。クラス替え当日も暗い顔で帰ってきて、今思えばそれが予兆だったのでしょう。
朝の準備が遅くなった。表情が曇りがちになった。学校の話をしなくなった。私から学校のことを聞いても「べつに」で終わるようになった。
元教員として、子どもの変化のサインはそれなりに知っていたつもりです。でも「まさかうちの子が」という感情が、サインをじわじわと見えにくくしていました。
実際にいじめの事実を把握したとき、私の頭は「対応モード」に切り替わりました。学校に連絡して、事実確認をして、担任と話し合って、加害側の保護者への連絡を求めて——。
自分が教員だったから、「どう動けばいいか」はわかっていた。だから冷静でいられた、と思っていました。
でも今思えば、それは「冷静」ではなくて「感情を封じ込めていた」だけでした。
感情を封じ込めることで、「教員モード」のまま動こうとしていた。でも私はもう教員じゃなくて、ただの母親でした。娘のために怒っていい、泣いていい存在でした。そのことに、最初は気づいていませんでした。
2. いじめっこへの「教育的な目線」が止まらなかった
担任の先生から、加害側の子どもの話を聞いたとき、私の中で何かが動きました。
「あの子、発達特性があるんじゃないか」
衝動性が高い。空気が読みにくい。謝るけれど、自分がなぜ謝っているのかがわかっていない。場の空気に流されて強い言葉を使ってしまう——。
元教員として、何百人もの子どもたちを見てきた経験が、反射的にそう判断させました。
そして次の瞬間、私は「あの子の親御さん、大変だろうな」と思っていました。
娘が毎日傷つけられているのに。うちの子が泣いているのに。なのに私は、加害側の子の親の苦労を想像していた。
自分でも、気持ち悪かった。「なんで私は今そんなことを考えているんだ」と。
でも止まらなかった。
早期の療育があれば、あの子の衝動性はもう少し和らいでいたかもしれない。適切なサポートがあれば、こういう形でのトラブルは防げたかもしれない…
教育的な視点が、感情的に怒ることを邪魔していました。
これは、教員経験者特有の「呪い」だと、今は思っています。
文部科学省の調査によると、2023年度の小中高等学校におけるいじめの認知件数は約73万件と過去最多を更新しています。そのうち発達障害のある子どもが関与するケースも少なくないと言われています。「加害側にも特性がある」ということは、支援者の間では知られた話です。
でも知識として「わかる」ことと、自分の子が被害者のときに「感情が動く」ことは、全然別の話でした。
私は長い間、この「わかってしまう自分」を責めていました。でも今は、それが悪いことだとは思っていません。人の事情に想像力が働くことは、人間として大切なことだから。
ただ、そのせいで自分の怒りを押さえ込まなくていい、ということは、当時の自分に教えてあげたかった。
3.「反省してる」という言葉を信じた日——そして、また傷ついた
ある日、担任の先生から連絡が来ました。
「加害側の子が、反省していると言っています。娘さんに謝りたいと言っています。私の前でそう言っています。」
先生の言葉は続きました。「態度が変わってきているので、そろそろ教室に戻っても大丈夫かと思います!必ず私がそばにいるようにして、見守ります。」
私は、先生の言葉を信じました。
娘も、信じようとしていました。
「先生を信じてみる」と、小さな声で言っていた娘の顔を、今でも覚えています。
教室に戻った最初の日。先生が近くにいる間は、何も起きませんでした。
でも先生が少し離れた瞬間——また娘の嫌がるあだ名で呼ばれました。
先生が来ると、何事もなかったようにふるまう。先生がいなくなると、わざと近寄ってきてあだ名でからかう。先生が黒板に向かうと、仲間内で娘の仕草を真似し合って笑う。
娘はそれを、黙って受け取り続けていました。
そして、ある夜。「先生に言っても何も変わらない。あの子のこと、先生は何もわかってない。」
そう言って、娘は泣きました。
私には、返す言葉がありませんでした。
先生が悪いとは思っていない。誠実に動いてくれていたことは知っている。でも「守る」と言った言葉が守られなかったという事実は、娘の心に深く刻まれました。
子どもが「もう大人を信じない」と決めてしまう瞬間は、こうして静かにやってくるんだと、思い知りました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
この続きでは、
・なぜ先生は「いじめが続いている」に気づけないのか——元教員が本音で解説します
・「多数派が強い」学校という組織の中で、被害を受けた子が別室に行かざるを得ない理不尽な構造
・毎朝「お姉ちゃんと一緒に学校行けないの?」と聞いてくる弟の言葉に、私がどう向き合ったか
・メンタル崩壊寸前だった私を支えた、たった一つの考え方
・復讐心に燃えていた私が「幸せになったもん勝ち」という言葉に辿り着くまで
・今、同じ場所にいるお母さんへ伝えたいこと
をすべて書いています。
きれいごとは一切ありません。怒りも、後悔も、情けなさも、復讐心も、全部正直に書きました。
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