【ゲーム理論で自己分析10】第二章 世界が少しずつ“自分の形”を求めてきた頃—小学4〜6年 3. 塚原ゆうたという“光のような友人”
同じ頃、公務員住宅には、
ハンサムで、スポーツ万能で、優しくて、頭も良い同級生の少年
塚原ゆうた がいた。
彼は、何をやってもナンバー1だった。
走れば速い。
投げれば遠くまで投げれる。
勉強すればかなりできる。
そして、誰にでも優しく、
男子にも女子にもモテた。
私は彼が好きだったし、
彼はいつもとにかくキラキラしていた。
ただ、一度だけ、
丸一日、彼と彼の仲間から無視されたことがある。
理由は、今なら分かる。
私は彼より後から通い始めた
日能研たまプラーザ校で、ずっと上のクラスにいた。
ゆうたは最後までそこには届かなかった。
彼は何をやっても一番だったからこそ、
“自分が届かない場所”があることに、
きっと強いストレスを感じていたのだと思う。
そのストレスが、
たった一日のいじめという形で私に向いた。
ただ、その一日の自分の感情は、40年近く経った今でも鮮明に覚えている。
改めてイジメはダメだと、強く思う。
ただ、翌朝、ゆうたはいきなり謝ってきた。
その後は、何事もなかったように戻った。
彼は、たった一日で気づいたのだと思う。
自分が何をしてしまったのかを。
その“気づきの速さ”が、彼の優しさだった。
そして、ゆうたには、ひとつ上の兄がいた。
いつも私服で、公務員住宅を歩いていた。
「学校行ってないのかな?」と思ったが、
ゆうたは言った。
「兄ちゃん、中学行ってるよ。麻布って分かる?」
その言葉は、
私の世界の地図を静かに書き換えた。
“麻布”という名前が、
まだ見ぬ世界の入口のように感じられた。
ゆうたは、
私にとって“光のような友人”だった。
彼の存在が、
私の中学受験の方向を静かに決めた。
そして、
彼の兄の存在が、
私の未来の輪郭を少しだけ変えた。
あの頃の景色を、今の私は別の角度から見ている。
ゆうたとの一日は、
「協力ゲームの破綻と修復」 だった。
人間関係は協力ゲームの連続だ。
その中で、時に破綻が起きる。
でも、破綻を修復できるのは、
“気づき”と“謝罪”だけだ。
ゆうたはそれを、
たった一日でやってのけた。
だから、彼は光のような友人だった。
そして、
彼が届かなかった“上のクラス”に私がいたという事実は、
ゲーム理論で言えば
「非対称な成果が生むストレスと反応」
だった。
プレイヤーが同じ環境にいても、
成果が非対称になると、
協力ゲームは一時的に破綻する。
しかし、
その破綻を修復できるかどうかは、
プレイヤーの“気づきの速度”にかかっている。
ゆうたは気づいた。
だから修復できた。
そしてその修復は、
私の世界に“麻布”という新しい選択肢を追加した。
ゲーム理論で言えば、
「戦略空間の拡張」 だった。
これまで書いてきた 第二章は、
私が“自分の形”を少しずつ理解し始めた時期だった。
仲間と連帯し、
等身大の大人に触れ、
光のような友人に出会い、
世界の地図が静かに書き換えられていった。
その地図は、
次の章——中学受験編へと続いていく。
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