若山牧水は日本酒「白雪」依存症で、レミオロメンの「粉雪」を彷彿とさせる
以前、日向市東郷町坪谷にある若山牧水記念文学館に行ったときに、「エッセンシャル牧水ー妻が選んだベスト・オブ・牧水」(田畑書店)という本を買ったことがあります。
しばらく積読状態でしたが、読んでみると大変面白いものでした。
牧水の没後に、主を失った雑誌「創作」の編集を任されたのは、牧水の妻の喜志子でした。
伴侶として、歌道の同士として牧水の人生をつぶさに見てきた喜志子が、牧水の真髄を伝えようと、雑誌の扉に載せた歌論と短歌が一冊となった本です。
あらゆるジャンルのクリエーターに刺激を与える<必携の書>!とありました。
本当かしらと半信半疑で見たところ、その通りでした。
喜志子夫人の次の文章を見れば、noteのクリエーターの皆さんには絶対に刺さるでしょう。
歌を詠むのは「自分」を知りたいからである。
歌を詠むのは「自分の霊魂」に触れたいからである。
痛いばかりに相触れて、はっきりと「自分」というものを掴みたいからである。
歌を詠むのは「自分」と親しみたいからである。
唯一無二の「自分」というのが兎に角にこの世の中に在る。
その自分と共に何の隙間も無く、それこそ漏らさぬように相擁して生きていく、凡そ世に楽しみは多かろうがこれにまさる楽しみは無かろうと思う、これに越す確固した楽しみは無かろうと思う。
歌を詠むは誠にその楽しみのためである。
「歌を詠む」を「noteを書く」に置き換えたら直ぐに理解できると思います。
年末に椎葉村の実家に帰るときに、日向市のスーパーで、日本酒を買いました。
そのときに、「白雪」という岡山の日本酒があって、びっくりしました。
若山牧水ファンならば、知る人ぞ知る牧水が好んだ日本酒です。

白雪を詠んだ歌はたくさんあり、喜志子夫人は、それを紹介しています。
銘酒白雪をおくらむといふたより来る
津の国の伊丹の里ゆはるばると白雪来るその酒来る
真酒こは御そらに散らふしら雪のかなしき名負ひ白雪来る
酒の名のあまたはあれど今はこはこの白雪にます酒はなし
白雪と聞けばかなしも早もかもその白雪を手に取らましを
手に取らば消なむしら雪はしけやしこの白雪はわがこころ焼く
白雪は白雪はとて待つ苦しその白雪はいまだにかあらむ
をりからや梅の花さへ咲き垂れて白雪を待つその白雪を
これは、もう白雪依存症というか、白雪というアルコール中毒ですね。
レミオロメンさんの名曲「粉雪」の「ララライ、ララライ、ララライ」を彷彿させる短歌です。
「白雪」という酒を楽しんでいる牧水の姿が目に浮かびます。

牧水は、「白雪」も好きでしたが、「山ざくら」も好きでした。
当然のごとくに、山ざくらの歌も、喜志子夫人はピックアップしております。
うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花
うらうらと照れる光にけぶりあひて咲きしづもれる山ざくら花
花も葉も光しめらひわれの上に笑みかたむける山ざくら花
かき坐る道ばたの芝は枯れたれや坐りて仰ぐ山ざくら花
瀬々走るやまめうぐひのうろくづの美しき春の山ざくら花
椎の木のしげみが下のそば道に散りこぼれたる山ざくら花
ひともとや春の日かげをふくみもちて野づらに咲ける山さくら花
刈りならず枯萱山の山はらに咲きかがよへる山ざくら花

山ざくらには、思い出があります。
私が医学生だったころに、内科学の臨床実習である患者さんを担当しました。
慢性関節リウマチの女性の高齢の患者さんでした。
歌ではなく、俳句を詠んでおりました。
腎不全のために透析となり、亡くなりました。
亡くなる前に、病棟の看護師さんが、私に句集を届けてくれました。
その中に、おそらく私の事を詠んだ句が一つありました。
山ざくら 平家の裔の 医学生
平家落人伝説のある椎葉村出身の私の事です!
若山牧水が山ざくら花が好きだったこともあり、今でも覚えております。
最初は、腹膜透析を導入したのですが、感染があって、血液透析に変更しました。
喜志子夫人は書いています。
出来るならば、三十一文字のどの一字に触っても温かみを感ずるくらいにしたい。
歌われてある内容と共に一字一句が、或は直ちに歓楽であり、或は悲哀悲惨そのものであるように歌いたい。
一目見ただけで襲われるような感じを持つほどにその歌に生気あらしめたい。
これからもnote投稿を頑張ります。
