大阪府の林市蔵知事は、淀屋橋と熊本城に碑が建てられている
高鍋町のたかしんホールの大ホールで開催された児湯ブロック民生委員児童委員研修会に出席しました。
主催は児湯郡民生委員児童委員協議会です。
研修会には、児湯郡の新富町、西米良村、木城町、高鍋町、都農町、川南町の民生委員児童委員の約150名が参加しました。
自治体からは、西都市、新富町、川南町、都農町の職員が出席しました。
また、西都警察暑、高鍋警察署、東児湯消防組合、東児湯郡老人クラブ連合会、西都地区薬剤師会からの参加もありました。
宮崎県福祉保健部の児湯福祉事務所と高鍋保健所の職員が研修のサポートを行いました。
民生委員児童委員の研修会に出席するのは初めてでしたので、大変、勉強になりました。
最初に民生委員児童委員信条の朗読がありました。
1 わたくしたちは隣人愛をもって社会福祉の増進に努めます。
1 わたくしたちは常に地域社会の実情を把握することに努めます。
1 わたくしたちは誠意をもってあらゆる生活上の相談に応じ自立の援助に努めます。
1 わたくしたちはすべての人々と協力し明朗で健全な地域社会づくりに努めます。
1 わたくしたちは常に公正を旨とし人格と見識の向上に努めます。

また、参考として、児童憲章(一部抜粋)も資料に掲載されていました。
われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境の中で育てられる。
次に民生委員の歌「花咲く郷土」の斉唱がありました。1番のみでした。
作詞は全民連、作曲は大和田愛羅さん。
1 光もとめて 呼ぶ声に
愛の小鳩が 羽ばたくよ
憂い分け合う はらからに
伸ばす愛の手 この使命
担うわれらは 民生委員
2 すさぶ嵐の ただ中に
いつも消えない 灯が一つ
共に情の 手をとって
すすむ再起の この門出
照らすわれらは 民生委員
3 晴れて明るい 空のもと
夢がみのるよ 微笑むよ
交わす誓いに 結ぶ手に
想え花咲く この郷土
築くわれらは 民生委員

民生委員について、Geminiに聞いてみました。
民生委員の制度は、日本独自のボランティア制度として100年以上の歴史があります。
そのルーツは、大正時代の深刻な貧困問題に対処するために生まれた「方面委員制度」にあります。
1910年代後半、日本では急速な工業化の一方で格差が広がり、生活困窮者が急増しました。
これに対し、2つの先駆的な試みが現在の民生委員の土台となりました。
・1917(大正6)年:岡山県の「済世顧問制度」
笠井信一知事が、ドイツの制度を参考に創設。生活困窮者の実態を把握し、自立を助ける先駆けとなりました。
・1918(大正7)年:大阪府の「方面委員制度」
林市蔵知事がと小河滋次郎博士によって創設。
米騒動などの社会不安を背景に、地域住民が困窮者の相談にのる仕組みが整えられました。
これが現在の民生委員制度のモデルです。
当初は地域ごとの取組でしたが、その有用性が認められ、徐々に国全体へと広がっていきました。
・1936(昭和11)年:方面委員令の制定
制度が全国共通の仕組みとして法制化されました。
・1946(昭和21)年:名称が「民生委員」に
戦後の混乱期、生活保護法の施行とほぼ同時に「民生委員令」が公布され、現在の名称になりました。
戦後の復興期から高度経済成長期を経て、民生委員の役割は「貧困救済」から「地域福祉の総合支援」へと変化しました。
・1948(昭和23)年:児童委員を兼任
児童福祉法の制定により、民生委員は自動的に「児童委員」も兼ねることになりました。
・1994(平成6)年:主任児童委員の設置
子どもや子育て支援を専門に担当する「主任児童委員」が設けられました。
民生委員は「非常勤の地方公務員」という身分ですが、給与は支給されないボランティアです。
この「奉仕の精神」は、大正時代の創設時から変わらず受け継がれています。
民生委員の歴史を知ると、歌の意味がよく分かります。
林市蔵さんは、熊本県の出身で、熊本城に碑があります。
また大阪の淀屋橋にも碑があります。
大阪府知事のときに淀屋橋の床屋で散髪していたら、鏡に映ったボロボロの服を着た母子を見たことが、方面委員制度のきっかけとなりました。
林知事はよほどりっぱな方だったのだと思います。
赴任地と出生地に碑がある知事はそういないのではないでしょうか。
