浮世絵の母子が一緒に眺めている対象は、桜の花、夕焼け、ホタル、花火、シャボン玉など、やがて消えていくはかないものが多い
私が中学生に入った頃に、北山修さんの本を3冊買ったことがあります。
日向市の片桐書店でした。
この書店のおじさんは、椎葉村には月一回やってきていましたが、そのときはいつも私の実家のまるえ旅館に泊まっておりました。
角川文庫の本で、「戦争を知らない子供たち」「さすらい人の子守唄」「ピエロの唄」です。
いずれも表紙が美しく、いわゆるジャケ買いだったと思います。
作家の北山修さんのことは知りませんでした。
この本を読んで、北山修さんという作家は、京都府立医大出身の医師で、学生時代に帰って来たヨッパライをいう歌をつくり、フォーク・クルセイダースのメンバーとして活躍し、その後も作詞家としていろんな人やグループに提供していることを知りました。
同時期に北杜夫さんのどくとるマンボウシリーズにはまりました。
北杜夫さんも東北大学医学部を卒業して精神科の医師となり、その後に作家になったということを知りました。
私の人生のプログラムがここで確定しました。
医学部に行って、医師となり最終的に作家になる。
ビジネスモデルは、北山修さんと北杜夫さん。
二人とも精神科でした。

北九州で予備校に通っていたときに、ずっと隣に座っていた宮崎県出身の先輩がいました。
産業医大の学園祭に行こうと誘われました。
そこで出会ったのが、北山修さんでした。
学園祭で講演をしに来たのです。
階段状の講堂に入って、席に座って待ちました。
すると長身の北山修さんが登場しました。
なまで見るのは初めてでした。声はラジオで聞いたことがり、ああそっくりだと思いました。
同じ場所にあこがれの人がいることが信じられませんでした。
講演の内容は、あまり覚えておりませんが、会えただけで満足でした。
北山修さんは、同じ京都府立医大出身の映画監督の大森一樹さんの映画「ヒポクラテスたち」では、放射線科の熱血講師役で登場します。
「CTはビートルズがいなかったらできなかった」と力説します。
これは本当に脚本どおりなのか、アドリブなのか分からないほどの力が入っておりました。
私は、学園祭を見て、産業医大に入ることを決めました。
北山修さんが作詞をされた、あるいは歌った唄を人生の節々に聞いて、私を支えてくれたと思います。
「帰って来たヨッパライ」
「風」
「あの素晴らしい愛をもう一度」
「さらば恋人」
「花嫁」
「戦争を知らない子供たち」
「青年は荒野をめざす」
「ムサシ」
「何のために」
「悲しくてやりきれない」

きたやまおさむさんのコブのない駱駝 きたやまおさむ「心」の軌跡(岩波現代文庫)を買いました。
伝説の音楽グループ、フォーク・クルセダーズで活躍し、また作詞家として数々のヒット曲を手掛けながらも、その後、マスコミの第一線から退き、精神科医となった著者の自伝。
父親との葛藤、マスコミ体験の苦悩、親友との別れ……。波乱に満ちた人生と「心」の軌跡を振り返りながら、しぶとく生き続けるヒントを探る。鴻上尚史氏との対談を新たに収録。
北山修さんの紹介がありました。
1946年淡路島生まれ。精神科医、臨床心理士、作詞家、九州大学大学院教授、白鳳大学副学長などを経て、九州大学名誉教授、2021年より白鳳大学学長。
1965年、京都府立医科大学在学中にフォーク・クルセダーズ結成に参加し、67年「帰って来たヨッパライ」でデビュー、71年「戦争を知らない子供たち」で日本レコード大賞作詞賞を受賞、その後、精神科医となり、現在も精神分析的臨床活動を主な仕事とする。
私的には、中学校時代に買った三部作からの続きだと思いました。
まさか、学長にまでなられるとは!

研究者としては、浮世絵を使った日本的な母子関係の考察をされています。
浮世絵には、子どもが描かれたものがたくさんあるそうです。
子どもが描かれているところには、必ずといっていいほど母親がいます。
浮世絵に描かれている母子の姿は、日本に西洋からの影響が及ぶ前のものです。
浮世絵に描かれている母子像を研究することによって、「母性社会日本」(河合隼雄先生の理論)ならではの母子県警が抽出できるのでは、と考えたそうです。
約2万枚の浮世絵を調べたところ、約450組の母子像が描かれておりました。
母子関係には一つの型が繰り返されていることがわかりました。
母子がお互いを見つめ合っているのではなく、お互いが何か一つのものを一緒に眺めている絵が多いということです。
同じ対象を共に眺めている。
子どもが手を伸ばして見つめるのは子どもたちの未来。
一緒に眺めている対象は、桜の花、夕焼け、ホタル、花火、シャボン玉など、やがて消えていくはかないものが多いそうです。
はかなさというのは、生きているのか、死んでいるのか、あるとか、ないとか、よくわからない状態であり、その両方を切り結ぶ重要な概念でもある……。
北山修さんは、こうした日本人の愛でる構図を「共視」と名付けました。

北山修さん作詞、加藤和彦さん作曲の「あの素晴らしい愛をもう一度」があります。
かつての恋人が、同じ花を見て、あるいは同じ夕焼けを見て「美しい」と語り合った。
そして、二人の間にあった愛は、もうはかなく消えていってしまった。あの素晴らしい愛をもう一度、と願っていても、それが再び現れることはないと知っている。
歌われている感覚と立ち位置は、「共視」です。
そうした構図を、無意識のうちに歌にこめていたそうです。
はかないものを共に眺めて、安心している表情の母子。
こうした浮世絵の母子像に見られるように、心の安らかな状態というのは、美しいものが消えてゆくという「はかなさ」と併存しているのではないか、と北山さんは言っています。
現れては消えるもの、生であり死でもあるもの。
絶対の一つを求め続けるのではなく、絶対がないことを知って半ばあきらめつつ、でも、希望は失わない「あきらめ半分」
うーむ。深い。

北山さんは、駅が好きだと言っておられます。
自分と駅を同一化しているところがあるとおっしゃっています。
駅は人と人とが交わり、休んで、そして次の行先を考えるところです。
音楽家や作詞家あるいは精神科医としての仕事は、こうした駅の機能に重なるように思いうと言っております。
人が次の列車を待つための乗り換えの駅、しばし休んだり、隣の人と交流するための待合室。
そして、旅にいっしょに出かけるのではなく、その人の新たな旅立ちを見送る。
喜びだけではなく、悲しみや怒りを伴う別れもある。
自分の中に駅があり、自分はその駅にやってきた人たちに旅の案内をする。
そのような自己イメージが、北山修さんの心にずっとあるそうです。

私も駅が好きです。
特に、昔の日向市駅が好きでした。ここからなら、どこにでも行けそうな気がしました。
大学生だったときは、椎葉村から日向市まで父に車で送ってもらい、日向市駅から電車に乗り北九州市の折尾駅まで行きました。
今では、日向市には片桐書店は無くなっており、日向市駅も建て替えられています。
それでも、日向市駅にくると心がキュンとするのは、私の人生の旅立ちの場所なのだと思います。
