結核のガフキーは本家のドイツでも使われていない。日本の結核医療はガフキーの呪縛から離れるべきである
ガフキー度は、結核菌の検査で喀痰を顕微鏡で観察した際に、視野の中でどれだけの数の結核菌が存在するかを表す指標です。
ガフキー1号(G1)からガフキー10号(G10)まで10段階にわかれております。
ドイツの細菌学者で、コッホの弟子のゲオルク・ガフキーが考案しました。
検体中の結核菌の多さ(排出量)を示すもので、数字が大きいほど菌が多く、感染性が高いと判断されます。
ガフキー1号 全視野に1~4個
ガフキー2号 数視野に1個
ガフキー3号 1視野に1個
ガフキー4号 1視野に2~3個
ガフキー5号 1視野に4~6個
ガフキー6号 1視野に7~12個
ガフキー7号 1視野に13~25個
ガフキー8号 1視野に26~50個
ガフキー9号 1視野に51~100個
ガフキー10号 1視野に100個以上
医師国家試験を受けるときに、暗記しようとしましたが、無理でした。
ガフキー先生、10段階は細かすぎます。分けすぎです。しくしく。
現在は4段階に分けられていますが、今でも現場では、しつこくガフキーが使われています。
ガフキーは、本家のドイツでも使われておりません。日本人はガフキーの呪縛から離れるべきです。

「鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折」(文藝春秋社)を読みました。
橋本忍さんは、「羅生門」、「七人の侍」、「日本沈没」、「砂の器」、「八甲田山」、「八つ墓村」などの映画の脚本を書いた人です。
ルポライターの春日太一さんが、本人へのインタビューや残されたノートや関係者への取材を通してまとめた力作です。
橋本忍さんは、徴兵されましたが、結核に感染していることが判明して、傷痍軍人療養所に送られます。
傷痍軍人療養所とは、軍内部で多発する結核患者に手を焼いた陸海軍による、結核廃兵を丸投げにする意図で建てられた施設でした。
山の中の療養所では、結核に感染した兵士がおおぜい集められていました。
近くに果樹園がありました。珍しい温室もありました。
橋本さんたちが、温室の中を覗いたら、マスカットがありました。
温室の経営者から怒鳴られます。
「ここは、お前らのような肺病病みの来るとこじゃない。ここのブドウは、宮内省の御用達で天皇陛下が召し上がるマスカットを作っているんだ、帰れ!」
何もブドウを欲しがったわけでもないのに、「肺病病みは帰れ」と言われたことに頭にきました。
療養所に帰って、「特務曹長」と呼ばれていたリーダーに報告しました。
特務曹長は、激怒します。
好き好んで肺病病みになったわけではないのに、「肺病病みは帰れ」とはなんだ。ふざけるな。よし、こうなったら天皇陛下より先に食ってしまえ。
しかし、温室の入り口には南京錠がかかっていました。マスカットを食べる計画は早くも頓挫してしまいました。

特務曹長は、言いました。
「軍隊の特徴は、いろんな職業を持つものが集まっていることだ。この療養所に錠前屋ぐらいはいるんじゃないか。連隊単位だったら必ずいる」
療養所の中に入院している兵士で、鍵前屋の者を探したところ、1週間後に、ひとりの男がピックアップされました。
特務曹長が聞きます。
「その鍵屋のガフキーは何号だ?」
「2号です」
「だったら大丈夫だ。仲間に加えよう」
療養所内では、患者間では、ガフキーの号数で大体の病状がわかるようになっていたそうです。
温室への潜入作戦を立案します。
さすが軍隊の兵士たちで、きちんと役割を決めます。橋本さんは、見張り役となりました。
リーダーから、「お前は初年兵で、実戦経験がないが、きちんと見張りができるのか?」と声をかけられました。
橋本さんは、軍隊内で習った歩哨の役目をそらんじていたので、それを言ったところ、リーダーはいいだろうと了解しました。
夜間、作戦を決行して、鍵前屋が鍵を開けて、マスカットを盗むことに成功します。
食べた後は土の中に埋めて、証拠は隠滅します。
鍵前屋は手袋を用意していました。指紋が残らないようにしたのです。
特務曹長は、この鍵前屋のことを疑います。あまりにも手際の良さに、元は泥棒だったのではないかと聞きました。
錠前屋は平然と答えました。
「そうだよ」
全員がぎくりとしました。
その後、鍵前屋は病態が悪化して、個室に入ります。
ある日、煙突から煙が上がっていたので、誰が亡くなったのかと聞いたところ、錠前屋でした。
橋本さんは、奥さんが骨壺に入れるのを見ました。
藤あや子さんを綺麗にしたような別嬪さんだったそうです。藤あや子さんだけでも美人ですよ!

橋本さんは、この療養所の中で、隣のベッドにいた小柄な男から渡された日本映画という雑誌で運命が変わりました
巻末にシナリオが掲載されていたのです。
これが映画のシナリオというものか。
「シナリオを書く人で、日本で一番偉い人は誰か?」
すると小柄な男が答えます。
「伊丹万作という人です」
「では、私はシナリオを書いて、その伊丹万作という人に見てもらいます」
橋本さんは、そう言いました。
療養所の医官から、「君は粟粒結核なので二年以内に死ぬ」と言われた橋本忍さんは、奇跡的に回復します。
療養所の生活を綴った生まれてはじめてのシナリオ「山の兵隊」を伊丹万作に送りました。
なんと、伊丹万作から返事がありました。
シナリオを書いて、伊丹万作師匠に送ります。そのたびに返事がありました。
本屋で芥川龍之介全集を見て、閃きます。
夏目漱石は何度も映画化されているが、芥川龍之介はまだ映画化されていない。
それなら自分の手で書こうじゃないか。
伊丹万作の指導を受けて、書いたシナリオが、黒澤明にわたります。
映画のプロデューサーから手紙が届きました。
「前略、あなたの描かれた「雌雄」を黒澤明が次回作品として映画化することになりました。つきましては黒澤と打ち合わせをして頂く必要があり、なるべく早く上京して頂きたく、ご都合を知らせて頂ければ幸いです。用件のみで失礼します。草々」
橋本忍さんの運命が、これから大きく動くことになりました。
映画化された「羅生門」は、ヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞します。

それにしても、ガフキーは、患者の中までも定着していたのだと感じました。恐るべしガフキー。
それだけ定着しているのなら、仮面ライダー「ガフキー」という名前でシリーズ化すると人気が出るかも。
