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オランダ人は腰を低くして徳川家康と交渉をしたが、スペイン人は貿易とキリスト教は表裏一体で「必ずキリスト教の布教を許しなさい」と上から目線だった

「戦国日本VSヨーロッパ グルーバルヒストリーで読み解く信長・秀吉・家康の対外戦略」(集英社新書)を読みました。

作者は、NHKスペシャル「戦国」取材班と山崎啓明さん。

大きな反響を集めたNHKスペシャルで放映された番組の新書版です。

戦国時代の日本は、世界の強国に翻弄される極東の島国ではありませんでした。

現在開催中のサッカーワールドカップに出場している日本サッカーチームのように、世界のサッカーに影響を与える国だったのです。

当時のヨーロッパの最強の国は「スペイン」でした。

ヨーロッパの銀山を抑えたハブスブルク家出身の国王の強力な権限のもと、国家主導で「太陽の沈まぬ国」を築きました。

無敵艦隊の海軍を持ち、キリスト教の指導者であるローマ教皇やイエズス会などの修道会もスペインの世界進出を後押ししました。

スペイン王国が求めたのは、領土を広げ、キリスト教信者を増やすことでした。

一方、スペインからの独立をめざす新興国の共和国政体のオランダは、国王や貴族や聖職者ではなく、「商人」が力を持っていました。

国中から資金を募り、「民間主導」で世界進出を目指しました。

オランダは、領土獲得や布教を目的とはぜずに、純粋に利益を追求して、世界各地に貿易船を送り出しました。

特筆すべきは、世界初の株式会社である「東インド会社」を作っています。

当時の世界の通貨は「銀」でした。

銀を制する者は世界を制する。スペインは、ペルーのポトシ銀山などを押さえ、世界の銀の流通を握っていました。

オランダは、南米の銀山で産出される銀を運ぶスペインの輸送船を攻撃して奪う戦略を立てました。

国家公認の「海賊」が誕生します。これが有名な「カリブの海賊」です。

東京ディズニーランドの人気アトラクションではありません。

スペインの銀輸送船が通るカリブ海は、オランダの海賊が横行する危険な海となりました。

スペイン人は「あての銀が泣いている」と嘆きました。なぜか大阪弁です。

しかし、こうした略奪行為で手に入れられる銀はたかがしれています。

オランダは、アジアのある国に目を付けます。

強国スペインの支配が及んでおらず、商取引で銀を手に入れられる国です。

戦国時代の日本には、石見銀山、生野銀山、佐渡銀山など世界でも有数の銀山がありました。

オランダの東インド会社は、総督の親書を携えた使節を日本に派遣しました。

1609(慶長14)年7月、オランダの使節は、駿府で徳川家康と謁見します。

オランダは正式に通商を許可されました。

同年9月に、スペイン人のフィリピン臨時総督ビベロが、徳川家康に謁見しました。

ビベロは、水銀アマルガム法などの高度な製錬技術を持つスペイン人の鉱山技師を派遣することを持ち出して、有利に交渉を進めようとしました。

鉱山技師がいれば銀の生産量は増えます。

家康はこの話に飛びつきましたが、ビベロは、鉱山技師を派遣するための条件を突きつけたのです。

オランダ人を国外追放すること。

キリスト教の協会を建てて、宣教師を置くこと。


オランダ人は「商人」であり、身分をわきまえて非常に腰を低くして家康と交渉をしました。

一方、スペイン人は、貿易とキリスト教布教は表裏一体で、「必ずキリスト教布教を許しなさい」と一点張りでした。

家康は、スペインには領土獲得の野望があることを知っていました。

日本の銀をめぐって、しのぎを削ったオランダとスペインの対立は、徳川家と豊臣家の争いとからみあいになりました。

徳川家対豊臣家の戦いは、1614(慶長19)年の冬の陣と1615(慶長20)年の夏の陣で決着が付きました。

オランダは徳川を応援し、一方スペインは豊臣を応援しました。

スペインが豊臣家を応援した理由は、豊臣秀頼が日本におけるキリスト教の自由な布教と多数の教会建築を約束したからでした。

戦国時代の最終決戦を決したのは、オランダから輸入された大砲でした。

デミカノン砲は、32ポンド(15キログラム)の砲弾を使い、射程は500m近くありました。

1614(慶長19)年11月に到着します。

大坂冬の陣が始まる直前のことでした。

価格は銀貨1万2000枚。ここでも銀が使われています。

併せて、家康はオランダから中型のカルバリン砲4門も入手しています。

砲弾のサイズは18ポンド(8キログラム)で小さかったのですが、有効射程は500m以上で、遠距離からの攻撃に適していました。

大坂の陣で徳川軍の陣地から発射されたカルバリン砲の砲弾は、本丸まで到達しました。

天守を直撃し、多数の死傷者を出しました。

徹底抗戦を唱えていた大坂城の女王「淀君」は、御座所を砲撃されて、戦意を喪失しました。

総大将の秀頼は、母親のへたれにより降伏を決断します。和睦の条件として、大阪城の本丸を除く部分の破却がきまりました。

こうして翌年の大坂夏の陣で、大阪城は落城することになります。

1615(元和元)年8月、家康はオランダ東インド会社の商館長スペックスと会談をしました。

オランダは徳川軍のため大砲や軍需物資を調達し、勝利に貢献しました。

家康の絶大な信頼を勝ち得たスペックスは、待望の銀を手にしました。

スペインのフェリペ三世は、使節としてフランチェス会司祭のカタリナを日本に派遣しました。

大坂の陣をへて、徳川家とスペインの関係は極度に悪化しており、家康は謁見を許しませんでした。

日本の銀を制した小国オランダは、大国スペインと戦う「武器」を手にしました。

日本は銅の生産国でもありました。日本から輸出された銅は、オランダの工場で大砲に姿を変え、ヨーロッパ戦線に投入されます。

日本はスペインと1624(寛永元)年に国交を断絶しました。

1648年にオランダは正式に独立が承認されます。

オランダは、スペインに代わって世界の覇権を手にしたのです。

世界の海を行くヨーロッパの船の4分の3は、オランダの国旗が翻っていたと言われています。

地元大阪を代表する棋士「阪田三吉」は、「わての銀が泣いている」という名言を残しました。

村田英雄さんの名曲「王将」に歌われております。

延岡出身の厚労省の職員が宮崎に帰ってきて、一緒にニシタチのバーに行きました。

地元延岡人なら踊れない人はいないという「ばんば踊り」の歌をカラオケで注文したら、村田英雄さんが歌っており感動しました。

松山千春さんの「銀の雨」はいい歌です。

近藤真彦さんの「ギンギラギンにさりげなく」もまたいい。高鍋町の黒木町長の十八番です。

中島みゆきさんの「銀の龍の背にのって」も、「銀座の恋の物語」もいい。

つまり「銀」は歌になる!

さらに、ギンギンに冷えたビールも美味しい!

最後に公衆衛生学的に「銀」の特徴を言えば、銀には抗菌作用があります。

私が学生時代に使った「戸田新細菌学」の本には、ペトリ皿の寒天培地に銀貨を置いて培養させると、銀貨の周囲には菌が繁殖せずに透明になっている写真が掲載されておりました。

50銭銀貨だったような記憶があり、「いつの時代の話だよ!」と驚きました。

ということで、銀は、歴史にも、歌詞にも、公衆衛生学的にも重要な金属であることが言えます。

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