手を洗えと言ったゼンメルワイスは精神錯乱になり、石炭酸を使えと言ったリスターはヒーローとなった
外科手術が可能になったのは、麻酔法の発達と感染予防対策が確立されて以降のことです。
人体の中にメスを入れることは、痛みと感染が伴います。
手術による感染を防止しようとした医師は、イギリスのリスターです。
英国のグラスコー大学外科学教授だった一八六七年に、化学のアンダーソン教授からフランスのパスツールの論文を紹介されました。
リスターは、ワインが腐るのは空気中の微生物が原因だというパスツールの実験を、妻を助手にして追試して確かめました。
ワインは加熱により消毒ができますが、人の傷口の加熱はできません。
薬で傷口を覆うことはできないだろうか、とリスターは考えます。
近くの町では、コールタールを処理する時に得られる石炭酸をゴミや汚水の消臭剤として使っていました。
ゴミや汚水の悪臭は腐敗作用を持つ微生物によるものであり、石炭酸(フェノール)には微生物を殺す作用がある、とリスターは考えました。
リスターは、化膿を伴う複雑骨折患者の局所を石炭酸で消毒して、創の治癒の状況を観察しました。結果は有効でした。
こうしたことを論文にまとめて報告しますが無視されました。
リスターは、あきらめずに、手術野の皮膚、術者の手、使用する手術器具などを石炭酸で消毒して、手術に伴う化膿を防御できることなどを示します。
一八七五年頃には、ほとんどの外科医が、リスターの消毒法を採用するようになりました。
一八七七年には、ロンドンのキングスカレッジの教授となり、爵位の授位などの栄誉に包まれ、ヨーロッパの医学界のヒーローとなりました。

リスターと対称的な人生をおくった人物がゼンメルワイス(一八一八~一八六五年)です。
ハンガリーで生まれ、ヴィーン大学で医学を学び、産科医となりました。
一八四七年に、同僚だった法医学のコレチュカ教授の病理解剖記録を読んでいたら、産褥熱で亡くなった産婦と共通点があることに気付きます。
コレチュカ教授は、助手のメスによって怪我をし、それがもとで膿血症に罹って死んでいました。
妊婦の産褥熱は、傷口の汚染によって生じた膿血症ではないかと考えます。
病理解剖を行う医師が担当する第一病棟では産褥熱が多く発生しましたが、助産婦が担当する第二病棟では少なかったのです。
自分の病棟で医師と学生の手指の消毒を実施したところ、産褥熱の発生が抑えられました。
こうしてゼンメルワイスは、洗面器の塩素水で手を洗う規則を、病棟の医師と学生たちに課しました。
しかし、この措置は、産褥熱の原因が医師による医原病ということになることから、産科の責任者であるクライン教授や大学当局には受け入れられませんでした。
あの世界的な病理学者のウィルヒョウもこの説を受け入れなかったのです。
失意のゼンメルワイスは、ウィーンを去って故郷ハンガリーに帰ります。
世間に受け入れられることがなかったゼンメルワイスは、精神錯乱で死にました。
「悲劇の医師」と言ってもいいと思います。
ゼンメルワイスは、英国のリスターが外科消毒法を広めた一八七〇年以後に再評価されました。
東京の広尾にある日赤医療センターに、ゼンメルワイスの銅像が建てられています。
産科が有名で、ゼンメルワイスが産褥熱を予防した功績から建てられたものです。

日本に最初に石炭酸消毒法を導入した医師が、明治五年に京都にやってきたヨンケルです。
ヨンケルは、ヴィーン大学の医学生時代にゼンメルワイスの教えを受けており、イギリスでは最新の石炭酸消毒法での手術を経験していました。
藤田先生は、もし、ヨンケルの来日が三年早ければ、大村益次郎の大腿骨切断による死亡も避けられていたかもしれない、と言っております。
明日は、石炭酸消毒法で生死を分けた、明治二年の兵部大輔大村益次郎と明治二二年の外務大臣大隈重信の遭難の経過を比較します。
