下田では、江戸城再建の木材を運んだ佐土原藩士ら十六名が自害していた
静岡県の下田には「薩摩十六烈士の墓」があります。
佐土原の島津藩の話です。
江戸で火事があり、江戸城の改築をすることになりました。
一六八八年、日向の栂(つが)が有名だったので、栂の材木を運ぶように幕府から命令を受けます。
佐土原藩は、栂の材木を船に乗せて運びましたが、遠州沖で嵐に遭い、このままだと沈没するということで、荷投げをしました。
材木を荒れ狂う海の中に落として、なんとか嵐を乗り切って、下田の港に到着することができました。
船に乗っていた佐土原藩士三人は、幕府に材木を届けられなかった責任を取って切腹します。
船をあやつる水主(船乗り)たちには責任はなかったのですが、一三人全員が自害しました。
見習い水主の七蔵は、まだ一五歳でした。
「おまえは佐土原に帰って皆にこのことを伝えよ」とキャプテンから命令されましたが、七蔵もまた運命をともにしたのです。
一六人の遺体は、下田の大安寺に丁重に葬られました。
下田の人々は、佐土原藩士や水主たちの責任の取り方にいたく感銘を受けました。
この話は江戸にも伝わって評判を呼びました。
そのせいか、幕府から佐土原藩へのおとがめはありませんでした。
下田にある大安寺には、全員の名前を彫った碑があります。
「薩摩藩一六烈士の墓」と呼ばれています。
三〇〇年以上たって風化して読めなくなったので、横に新しい碑を作っています。
この碑には、今も花や線香が絶えません。
観光客もたくさん訪れます。
嵐の後に流れ着いた栂の木は、今の大安寺の柱として使われています。
佐土原藩では、嵐で船が沈没して一六人全員が亡くなったという扱いをしました。
慰霊祭などはやっていません。
これは、宗家の鹿児島島津藩に遠慮したと言われています。
もともと、幕府に栂の材木を届けることを思いついたのは、宗家でした。
佐土原にも、一六人の墓があるとのこと。
まだ、行っていないので、今度お参りに行こうと思っています。
宮崎にいたときはこの話は知らなかったのですが、下田に行って初めてこういう郷土の歴史があることを知りました。
これまで紹介した黒田の家臣、藤江監物など、あまり知られていない話が県内にはたくさん残っているのではないかと思います。
これからも、そうした宮崎の歴史を公衆衛生のネタとともにお伝えしていく所存です。
ちなみに、宮崎には和泉式部が来たという話もあります。
