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AIの時代「人文知」を持った医師が求められる。正解を出すだけの医師の価値は下がり、問を立て実行していく医師の価値は上がる

「人文知は武器になる」(文春新書)を読みました。
筆者は、山口周先生と深井龍之介先生。というか、お二人の対談です。

医学部の学生をはじめ、これから公衆衛生の道を選ぼうという若い人に読んでもらいたいと思う本です。

「人文科学は役に立たない」と、長らく言われ続けました。

教養は大いに結構ですがが、いうなれば「贅沢品」として扱われてきました。

企業研修の場でも学校教育の現場でも、まず優先されるのは、会計、財務、統計、プログラミングといった「すぐに役立つスキル」でした。

しかし、筆者の二人は、スキルや知識の序列の前提そのものが揺らぐ地点に立っていると指摘しています。

ひとつは、「AIの登場」です、これにより正解を出すスキルが急速にコモディティ化しています。

ふたつは、「正しさ」の揺らぎです。

正しさの足場が揺らいでいます。

どのように判断すべきか、何を受け入れ、何を退けるのか

どこまでが許容で、どこからが越境なのか。

短期の合理性と長期の倫理が衝突したとき、どう折り合いをつけるのか

二つの正しさが衝突するとき、何に基づいて調停し、どのように意思決定するか。

この「判断」を引き受けられるかどうかは、個人の強さを分け、組織の質を分け、社会の活力を分ける時代になっていると、お二人は指摘しています。

AIの登場と、正しさの揺らぎは、私たちに人文科学を要請すると断言しています。

哲学は、私たちが当たり前に受け入れているものに対して批判的な眼差しを向け、「なぜ、そうなのか」「なぜ、他ではないのか」を問いかけます

前提を疑い、価値を多元的に吟味する学問です。

歴史学は、私たちに「それはどこから来て、どこへ向かうのか」と問いかけることを教えます。

人類が過去に何度お同じ失敗を繰り返してきたことを示し、私たちがいま置かれている局面を、長い時間のスケールのなかに位置付けてくれます。

文学は私たちに「人はなぜ、そのように感じ、行動するのか」を描く想像力を与えてくれます

合理性だけでは説明できない欲望、怖れ、嫉妬、愛、希望。
そうした人間の深層に触れさせてくれます。

正しさが揺らぐ時代においては、規範を外部に委ねられない以上、私たちは自分の内部に「判断の基準」を持たなければなりません。

人文科学は、その基準を作るための訓練です。

人文科学は、装飾品ではありません。
慰めでもありません。

逃避先でもありません。

武器です。

混乱した世界で、自分の足で立つための武器
情報が溢れる時代に、意味をつくるための武器

正しさが揺らぐ時代に、「いま、ここでどう判断すべきか」を引き受けるための武器です。

AI時代において、人文科学がどのようにして、思考を変え、判断を変え、行動を変えるのか。

この本は、その作動原理を具体的に解き明かしています。

古今東西、時代を通じて成功するリーダーにはある共通点があると、深井先生は指摘しています。

それは「正確な現状認識」ができているということ。

失敗したリーダーや組織には、外部環境の変化や、内部のステークホルダー(利害関係者)の感情を理解していなかったり、組織のメンバーが大戦略をわかっていなかったりという点が共通していると言っています。

どうすれば現状認識ができるようになるのか。

それは、歴史を学ぶことだと言っています。

歴史を勉強することは、異なる社会について知ることであり、逆に言えば、異なる社会を知ることによって、相対的に自分が所属する社会について理解を深めることになると深井先生は言っています。

「まだ大丈夫」と思える瞬間はすでに危機です。

山口先生は、日本企業の今後の発展を考えたとき、阻害要因になると思っていることは、大手企業の採用基準が、高度経済成長の時代とほとんど変わっていないということだと言っています。

未だに工業化社会において求められる人材像を求めている。代表例は、「与えられた問題に対して実直に正解を出せる能力」で、そういう能力に長けた人材を選ぶうえでのプリ・スクリーニングの機能を果たしたのだ、大学入試でした。

AIの費用が安くなり、与えられた問題を解決するコストが下がると、その能力は過剰供給されます。

過去の歴史のパターンから考えると価値は下がっていきます。

AIにより「正解を出す」能力が上がった今では、次がボトルネックになっているとのこと。

「面白い問いを建てる」能力
「出した解を実行できる」能力

深井先生は次のように述べています。

確変する世の中で、求められているのは、暗記が得意だったり、与えられた問題に正解できる能力ではない。

そもそも近代以降、国家や組織は細分化を進めてきました。

分業制によって専門性を極めることで生産性を高め、問題を解決してきた。

細分化・専門化の時代には、抽象的な数字による合意形成が有効に機能しました。

しかし、見方を変えれば、そのやり方で解決できる問題は、もうほぼ解決し尽くしてしまったとも言えます。

残っている問題は、どれも一つのプロフェッショナリズムだけで解決できるような類のものではなく、より学際的、横断的な総合判断が求められています。

その学際的、横断的な知の土台となるのが、人文知です。

いま、この瞬間、世界と日本において、「人文知」をもった人が求められている、と。

この本には、医学や医療については、何一つ触れていません。

しかし、私には、このように言っているように感じました。

偏差値が高いので、高校の先生から医学部受験を勧められ、受験戦争の延長線で、医師国家試験を受け、医師免許を取得し、その延長線上で専門医取得に進んだ人が、地域の医療で直面するのは、85歳以上の患者さんです。

認知機能が落ち、耳も遠く、高血圧、糖尿病、高脂血症、関節痛を訴えています。介護保険はまだ申請していません。家族もおらず一人暮らしです。

この患者さんは何を求めているのか。

医療介護の多職種が連携して、どの場所で、どのように実行していくのか。

これからは「人文知」を持った医師が求められています。

つまり、正解を出すだけの医師の価値は下がっていき、問を立て、実行していく医師は価値が上がるといえます。

2千年前の医師ヒポクラテスは、哲学が大事だと指摘しました。

そういう歴史を知ると、人は変わらないものだと感じました。


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