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ギリシャで花開いた臨床医学の伝統が、二千年余りの経過をへてイギリスでよみがえり、1世紀後オランダに花を咲かせた

手塚治虫の「陽だまりの樹」と並べて「外科の夜明け」を読んでいたところ、陽だまりの樹の第一巻に掲載されている深瀬泰旦先生のエッセイが目に留まりました。

深瀬先生は、川崎市で小児科医をしている開業医で、医学史家でもあり手塚良仙やその子の手塚良斎のことを調べて医学史学雑誌に投稿していました。

ある日、診療所に手塚治虫から電話がありました。

「手塚良仙は、自分の曽祖父です」と手塚治虫が言いました。

「先生の論文を手塚家のルーツを描いた漫画に使わせていただけませんか」と頼まれました。

これが「陽だまりの樹」となります。

手塚治虫最後の長編作品です。

なんと、「外科の夜明け」で、深瀬先生は監修者としてお名前がありました。

偶然で、びっくりしました。

「外科の夜明け」で深瀬先生は、次のように述べています。

イギリスの臨床家トマス・シデナムは、オックスフォードで医学を学んだが、ヨーロッパ大陸への留学もせず、若い頃はおおむね戦陣に時を過ごし、個々の病人の症状と経過を仔細に観察することを怠らなかった。

シデナムのお手本は、医学の父と言われるギリシャの医師ヒポクラテスで、シデナムは英国のヒポクラテスと言われた。

ギリシャで花開いた臨床医学の伝統が、二千年余りの時間の経過をへてイギリスの地によみがえり、さらに1世紀をへてこれが大陸にわたりオランダに一つの花を咲かせた。

オランダのライデン大学のブールハーフェはベッドサイドでの医学教育に専念した。

杉田玄白の解体新書に始まる我が国のオランダ医学は、このライデン大学の系統をひく当時のヨーロッパ医学の主流であった。

日本に来た医学はヨーロッパの最新の医学だった。

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