大学の臨床実習J班のメンバー5人は、映画「ヒポクラテスたち」のPR写真をモデルに、卒業アルバムを作成した
日曜日に映画「幕末ヒポクラテス」を見に行きました。
京都府立医科大学の創設150年の記念事業企画で作成された映画です。
京都府立医大出身の映画監督の大森一樹さんが、企画して応募したところ、採用されたものです。
脚本を西岡琢也さんに委託するなど作業を進めていたところ、2022年11月に大森一樹さんが、急性骨髄性白血病で亡くなってしまいます。
そのままお蔵入りになるかもしれませんでしたが、緒方明監督が後を引きついて、撮影が開始されました。
大森一樹監督の代表作は「ヒポクラテスたち」です。
京都府立医大がモデルで、この映画に医学生として登場した内藤剛志さんと柄本明さんが出演しています。
主役の京都に住む蘭方医を、佐々木蔵之介さんが演じました。
さらに藤原季節さんが、呉服屋の放蕩息子で、後に長崎に留学して医師となって帰ってくる役を務めました。

漢方医と蘭方医の対立
杉田玄白らが作成した「解体新書」の本
ヒポクラテスの肖像画と「人生は短い、術の道は長し」という箴言
斬首された罪人の死体の腑分け
犬の解剖
鳥羽伏見の戦いで負傷した新撰組の隊員の治療
疫病がはやって患者を収容するも、その患者を家に連れ戻しに来る家族
棺桶をつくる職人
いろいろなシーンが登場して、興味深いものでした。
登場はしませんが、長崎のオランダ医のポンペや、日野鼎哉(ひの・ていさい)という医師の名前が出ます。
日野鼎哉という医師は全く知りませんでした。
豊後の国(現在の大分県)出身、京都で開業した蘭方医です。
帆足万里(豊後国出身の儒学者)、シーボルトに学んでいます。
1949年に長崎のオランダ商館医のモーニッケが輸入して接種に成功した痘苗を取り寄せて、京都に除痘館を開設して種痘を行いました。
痘苗は、大坂の適塾の緒方洪庵や、福井の笠原良策に分苗されています。
映画の中では、主人公の師匠という設定です。

疫病の患者を取り戻しに来る村の人々のシーンは、アフリカで発生したエボラ出血熱のエピソードを思い出しました。
隔離された患者を取り戻すために、住民たちが武器をもって病院を襲撃したのです。
伝染病患者を隔離して治療をするという行為は、難しいことだと感じました。
主人公の蘭方医と仲の悪かった漢方医は、隔離した家が狭すぎた、もっと広い多くの患者を収容する場所が必要だと、話をしました。
明治5年(1872年)に、京都の東山にある青蓮院という寺に仮病院、仮医学校が開設されました。
これが後に京都府立医大となります。
京都大学医学部よりも古くから京都にある大学です。
映画のエンドロールには、医療機関の名前が目立ちました。
京都府立医大のOBの先生方がお金を出して協力したのでしょう。
「大森一樹と六甲高校27期の仲間達」という方もいました。
まさか、医学部の卒業生から映画監督が出るとは予想はしていなかったと思います。

医学生たちを描いた「ヒポクラテスたち」は、大学の学生時代に見ました。
京都府立医大卒で、歌手・作詞家となった北山修さんや、医師で漫画家の手塚治虫さん、映画監督の鈴木清順さんも出ていました。
俳優の原田芳雄さんは、型破りな外科医として登場し、「お前ら僻地に行ってもだめだぞ、自治医大があるからな」という台詞を言っていたことを覚えておりおります。
映画では、伊藤欄さんが演じる医学生は、卒業試験の最中に退学届を出して自殺してしまいます。
主人公を演じていた古尾谷雅人さんは、その後、ドラマで活躍しましたが、なぜか医師役が多く回ってきました。
彼も自殺しています。ショックでした。
大学の臨床実習のメンバー5人は、映画「ヒポクラテスたち」のPR写真をモデルに、卒業アルバムを作成したのでよく覚えています。
みんな元気にしているかしら。
P.S.私は元気です
