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労働災害の死亡者数が、史上初めて5000人を下回ったのが昭和49年で、この年のヒット曲は殿さまキングスのなみだの操である

過去の労働災害の死亡者数と流行歌の関係を調べてみました。

初めて6000人を下回ったのが、昭和42年(1967) 
ブルーシャトー(ブルーコメッツ)

初めて5000人を下回ったのが、昭和49年(1974) 
なみだの操(殿さまキングス)

初めて4000人を下回ったのが、昭和50年(1975) 
昭和枯れすすき(さくらと一郎)

初めて3000人を下回ったのが、昭和56年(1981)
ルビーの指輪(寺尾聰)

初めて2000人を下回ったのが、平成10年(1998)
夜空ノムコウ(SMAP)

初めて1000人を下回ったのが、平成27年(2015)
僕たちは戦わない(AKB48)

総括すると、昭和の時代に3000人を下回り、平成の時代に1000人を下回ったことになります。

特筆すべきは、労働安全衛生法です。

制定されたのは昭和47年(1972)。

法の効果は歴然、恐るべしです。

直近のデータが公表されている令和6年は、死者が746人でした。

なお、流行歌は特に関係はありませんでしたので、念のため。

時代が判るかなあと参考にお示ししたまでです。

私の労働安全衛生の原点は、故郷にある上椎葉ダムです。

日本最初の大規模アーチ式ダムで、「閣下」と呼ばれています。

昭和30年のダム完成までに105名の人命が失われました。

あまりにも人が亡くなるので、九州電力社長が「人柱」と書いた柱を水中に埋めています。

我が国初の大規模アーチ式ダムを完成させた経験は、その後の我が国のダム建築を推進する力となり、産業の発展に貢献しました。

5箇年計画の労働災害防止計画が始まったのは昭和33年から。

この頃の死亡者数は年間6000人を超えていました。

上椎葉ダムの竣工は約70年前のことで、死亡者数はこの70年間で約87%も減少したことになります。

しかし、災害は少ないだけではだめです。災害はゼロでなければなりません。

これからも、ゼロ災を目指してよろしくお願いします。

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