過去の公衆衛生のエピソードは、未来に起こる事件への対応策のヒントになる
一九六八年一〇月にカネミ油症事件が、九州北部を中心に起こりました。
一九六九年四月に椎葉小学校に入学した私も、カネミ油症事件は、ニュースでよく報道されたので覚えています。
小学校一年の夏休みに転校していたった仲のよかった同級生が、北九州の小倉に引っ越していったので、子供心にも心配したものです。
原因企業のカネミ倉庫が小倉にあったからです。
米ぬかから抽出した油には特有のにおいがあるそうです。
この臭いを除去するためには、油を高温に保つ必要がありました。
そこで、油の中にステンレス製の蛇管を沈めて、その中を超高温の液体を熱媒体として循環させる装置が開発されました。
その媒体として選ばれたものが、ポリ塩化ジフェニール(PCB)でした。
通常の液体は熱を加えると膨張します。または水のように気化します。
高温でも気化せず、膨張しない安定した構造のPCBは、熱媒体物質として最適だったのです。
こうして油の中の蛇管をPCBは循環して、油を高温に保ちました。
しかし、PCBは有害で、体に蓄積されやすく、分解されにくいという性質も同時に持っていたのです。

劣化した蛇管からPCBが漏れていました。
食用油の製造者であるカネミ倉庫は、この漏れに気がつかずに出荷しました。
PCBが混入したライスオイル(米ぬか油)をつかった家の住人には、全身ににきび様の発疹が生じるなどの健康障害が発生しました。
当初は、原因不明でしたが、患者が発生した家の台所を調べたところ、ライスオイルが共通していることに保健師が、気がついたと言われています。

カネミ倉庫では、同じ年の二月下旬から三月にかけて、ダーク油事件というものが起こっていたことが判明しました。
米ぬかから食用油を造る課程で分離される脂肪酸を主とする副産物(ダーク油)を使った飼料によって、九州をはじめ西日本一帯の養鶏場の鶏が大量死していたのです。
約四〇万羽の鶏が死にました。
ダーク油事件を調査した農水省は、鶏の大量死の原因をカネミ倉庫のダーク油のPCBと特定しました。
食用の米ぬか油の方は詳しく調べず、食用油は安全だと判断し、食品衛生を担当する厚生省にも通報をしませんでした。
農業と医学の連携は全くありませんでした。

一八八〇年代に米作地帯のオランダ領東インドでは、ベリベリと言われた脚気が流行し一八八六年にオランダ軍は、バタビアで研究所を開設します。
オランダの軍医エイクマンは、オランダ政府の脚気調査団の一人として派遣され、研究所の所長となりました。
一八七八年に、エイクマンは、研究所で飼っていたニワトリの餌である玄米が無く精米を与えたところ、ベリベリのような症状を起こし、餌を玄米にかえるとその症状が治ることに気がつきました。
この研究は、後のビタミンB1の発見につながります。
一九二一年にこの業績が認められ、エイクマンはノーベル医学・生理学賞を受賞しました。
エイクマンの研究については日本にも伝わっていました。
ヒトに生じる脚気は、ニワトリにも起こるのです。
ニワトリが、PCBの混入しているダーク油で作られた餌で大量死したのであれば、同じような工程で作られる食用油を食べるヒトも危ないのではないかと、気がつく専門家はいなかったのでしょうか。
ワンヘルスの観点から見ると、水俣病とカネミ油症は、大きな教訓を教えてくれます。
ヒトの健康と動物と環境を所管している保健所は、まさにワンヘルスの第一線機関です。
災害級の暑さや、史上経験したことのない大雨が毎年のように起こるようになった現在、人や動物や環境に現れる予兆にいち早く気がつくように、注意深く観察することが大事です。
人の歴史は、結局は同じことの繰り返しです。
公衆衛生の歴史も同じことの繰り返しです。
過去の公衆衛生のエピソードを知ることは、未来に起こる事件への対応策を考える上でのヒントになります。
ハベレオ通信は、過去の事例を参考にして「既にある未来」を探っていきます。
