江戸時代の日本は「歩く先進国」だった。坂本龍馬も吉田松陰も日本国内をくまなく歩いている
池田光史さんの「歩く マジで人生が変わる習慣」(ニューズピックス)は、「歩く」という生活習慣に対して、360度から光を当てて解説したという画期的な本です。
さらに人類が二本足歩行を始めた過去から、未来まで見据えた悠久の公衆衛生を語ってくれる本だと感じました。
ハベレオ通信では、徹底的に推していきたいです。
ということで、今回は、この本の中にある「街」について紹介します。

かつて寺山修司さんは、「書を捨て街に出よう」と言いましたが、池田さんの本を読んで、「街」には二種類あるということを知りました。
歩ける街と歩けない街がある。
例えば、アメリカは超車社会なので歩けない。
私もアメリカに行ったときに、突然歩道がなくなってびっくりしたことがあります。
一緒にいたアメリカ生活が長い先生が、「アメリカ人は車中心の生活を過ごしているので歩くことなど考えて都市を作っていない」と言っていたことを思い出しました。
狩猟採集時代に、人類が狩猟して生き抜くには、1日2万歩(約15km)を歩く必要があったと言われています。
人類の歴史は、馬車をつくり、自動車を発明するなど、つまるところ人類が歩かなくなってきた歴史です。
厚生労働省が推奨する1日の歩数は8000歩です。
「1日1万歩」というのは、もともと1966年代に日本の山佐時計計器という会社が開発した歩数計の名前がその由来だそうです。
縁起が良くウケそう、という理由で「万歩計」と名付けたとのこと。
日本の会社が1万歩ということを最初に提唱したというのは驚きです。そのため1万歩には根拠がないそうです。
2017年にスタンフォード大学の研究チームが、世界111か国、約71万人のスマートフォンユーザーのデータを解析したところ、1日約5000歩でした。
狩猟採取時代の歩きからすると約4分の1にまで減少しています。

歩きやすい街には、特徴があります。
まず、公共交通機関が発達していることです。
次に、治安がいいことです。
これは、日本人にとっては意外に思えますが、治安が悪い場合は、女性が歩くことはままならないのは歴史が証明しています。
実は、江戸時代の日本は、今とは比べられないほど庶民が長距離を歩く「ウオーキング大国」でした。
お伊勢参り、熊野古道、四国のお遍路といった信仰に基づく長距離の徒歩巡礼が庶民の間に深く根をおろしていました。
徳川家康は、全国の大名に参勤交代を義務付けました。
そのために江戸の日本橋を基点とする五街道(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道)を整備し、一里塚を設けました。
街道沿いの宿場町の発展は豊かな旅文化を育みました。
江戸時代の人々は1日30~40kmを歩いたそうです。
1830年の3月末日から6月20日までの間に、約427万人が日本全国から歩いて伊勢に訪れたという記録が残されているそうです。
これは、当時の人口の7人に一人が訪れたことになります。
江戸時代の日本は、高度に発達した文明社会の象徴でした。
歩く旅には、旅行案内書から情報を入手したり、街道の分岐点にある道標を理解するための「読み書きの素養」が不可欠でした。
こうした高い識字率を支えた教育機関の発達や、五街道に代表される交通インフラの整備に加えて、庶民の旅費を生み出す経済力、貨幣経済の浸透、旅行業の発展、治安の良さといった社会的な諸条件が成熟していたからこそ、徒歩旅が広く民衆の間に浸透していったのです。
日本は「歩く先進国」でした。

私が好きな漫画に佐々大河さんの「不思議な国のバード」(KADOKAWA)があります。
イギリス人の女性旅行家イザベラ・バードが、明治時代の日本に来て、横浜から北海道のアイヌを視察する旅行記を漫画化したものです。
通訳の伊藤と二人組の旅行記は、文章よりもマンガの方が情報量が多くて面白いです。
人力車や船に乗ることもありますが、昔の人は、よくぞ歩いたものだと感心します。
イザベラバードが泊まった日光の金谷ホテルに泊まったことがあります。

品川から神奈川までの旧東海道を歩いたことがあります。坂本龍馬の妻のお龍が働いていたお店「田中屋」がありました。
宮崎に帰って、鹿児島の妙見温泉に泊まったことがあります。その近くの霧島の塩浸温泉に坂本龍馬公園があり、龍馬とお龍の碑があります。
坂本龍馬が、西郷隆盛の勧めで、妻のお龍をつれて霧島を訪れて塩浸温泉に宿泊したことを記念した碑です。
日本の新婚旅行の始まりとされています。
ここまで歩いてきたのかと思うと凄いなと感じました。
また、長州藩士の吉田松陰は、熊本藩士の宮部鼎蔵と共に、東北地方の海岸線を視察しています。
江戸を出発して、水戸、会津、秋田、津軽、盛岡、仙台、相馬をめぐりました。
青森に住んでいたときに竜飛崎に行ったことがありますが、吉田松陰がここまで来ていることを知って驚いたことがありました。
もともと兵学者の吉田松陰は、日本の海防の脆弱さを自分の目で確かめるために海岸線を見て回りました。
黒船が下田にやってきたときには、黒船に乗り込もうとしました。このとき、潜入作戦が成功してアメリカに渡っていたら、おそらく日本に大学を作ったのではないかと思います。
同志社大学の祖の新島襄は成功しました。
歩くことで、海を渡ってアメリカを確かめたいというアイディアが下りて来たのだと思います。
歩くことは人生を変え、国や歴史まで変えていくパワーがあるような気がします。
もう一度日本を歩く先進国にしたいと思いました。
公衆衛生の力が大事です!
