年をとっても「目からビーム、手からパワー、毛穴からオーラ」を出す存在でありつづけたい
昔、買った本で、読んだと思って居ても、全く内容が頭に残っていないことがよくあります。
還暦プラス3を迎えた今、もう一度読み返して認知症予防に努めようと考えました。
その第一号は、ダンスの振付師の夏まゆみさんの「エースと呼ばれる人は何をしているのか」(サンマーク出版)です。
唯一、覚えていたフレーズがあります。
目からビーム、手からパワー、毛穴からオーラ、です。
初期のAKBの振り付けをしたときに、編み出した言葉です。
ダンス初心者の多かった初期のAKBメンバーは、腕をまっすぐしないといけないのに肘が曲がっていたり、腕が伸びたと思ったら今度は指先が丸まっていたり、顔は正面を向いていても視線が泳いでいたりと、全体的にツメが甘く、統率された美とは程遠い状況でした。
どうしたら伝わるのかということを考えに考え、自分の想いが集約されたフレーズが誕生しました。
目からビーム:眼力のビームでお客さん一人ひとりに気持ちを届けよ!
手からパワー:手のひらからパワーが出るように、指先にまで意識を集中せよ!
毛穴からオーラ:周囲の空気を包み込んでオーラに変え、身体全体から放出せよ!
この三つの大原則がぎゅっとつまった合言葉ができたとたん、AKBのみんなの動きがガラリと変わりました。
みんなが夏まゆみさんの意図をよく理解してくれるようになり、身体のすみずみにまで意識が行き届き、表現が見違えるほどよくなりました。
人は気持ちの乗った言葉によって、初めて背中を押され、はっきりと前向きになります。
それは同時に、言葉で後ろ向きになってしまう危険性も秘めています。
背中を押して前向きにさせてくれる言葉には、自己を確立する力も自信を持つきっかけも存在します。
言葉は前に進むためにある。
このくだりは覚えていました。

夏まゆみさんについて、Geminiに聞いてみたところ、衝撃の事実が返ってきました。
2023年6月21日にがんで亡くなっていました。61歳でした。
1962年の寅年生まれなので、兎年生まれの私よりも1つ上か同級生だと思います。
日本のエンターテイメント界、特にアイドル文化の土台を築いた伝説の振付師・演出家だとありました。
1 アイドル界の「生みの親」
夏まゆみさんの名前を語る上で欠かせないのが、モーニング娘。とAKB48の育成です。
まだ素人同然だったモーニング娘。の初期メンバーを厳しい指導でスターへと叩き上げました。
秋葉原の小さな劇場からスタートしたAKB48の初期メンバーにも、ステージに立つ心構えを徹底的に叩き込みました。
2 「ダンス」を超えた「人間教育」
「エース」を作るのではなく「全員」を輝かせる:300組以上のアーティストを手がけましたが、常に「一人ひとりが自分の役割を理解し、輝くこと」を重視していました。
メンタル面のサポート:厳しい反面、誰よりも教え子の可能性を信じていました。「ダンスを通じて自信をつけ、一人の人間として成長させること」が夏まゆみさんの真骨頂でした。
3 歴史に残る大きな仕事
アイドル以外でも、日本を代表する大きなイベントを成功させています。
1998年 長野冬季五輪:閉会式で老若男女が躍った「地踊り」の振付・演出を担当しました。
NHK紅白歌合戦:20年以上にわたり、多くのステージの振付やステージングを支えてきました。
一言でいえば、誰よりも情熱的で、厳しくも温かい、日本のステージパフォーマンスの質を底上げした「育成のプロフェッショナル」でした。

夏まゆみさんの経歴を見ると、驚きの連続です。
そもそもが、社会人最初に仕事は、貿易会社のOLだったのです。
1年目は営業部に勤務します。
英語が得意だったので、貿易事務には英語が必須で、仕事は面白く、人一倍モリモリと働いていました。
その頑張りが裏目に出て、二年目に経理部に抜擢されてしまいます。経理部は出世コースでしたが、夏まゆみさんは、いやでなりませんでした。
経理部の仕事は、銀行との行き来や現金の払い戻しなどが中心で、とにかく退屈極まりない。
英語を使う機会がまったくなくなってしましました。
自分はなんのためにこの会社で働いているのか、いっそ辞めてしまおうかと何度も思いました。
その経理部にひとつだけいいところがありました。

オフィスの窓からダンススタジオが見えたのです。
経理部はビルの9階にあり、スタジオがその真正面にありました。
前の年までいた営業部はもっと下のフロアだったので、異動になるまでは隣にダンススタジオがあることさえ知りませんでした。
毎日のように楽しくダンスをする人たちを見ているうちに、私も踊りたいという欲求がふくれあがり、初めて正式にダンスを習うことにしたのです。
半年後には、「先生をやって欲しい」と言われるほど上達します。
ダンスインストラクターとなってまもなく、ミュージカル劇団のオーデションに合格し、その劇団に所属することになりました。
それを機に会社を辞めて、小さなダンス教室を始めたところ、生徒さんがどんどん増えていきました。
そうこうするうちに、いつの間にか「振付師」の肩書が付き、数年後には吉本の芸人の振付をする仕事が舞い込みます。
1997年からNHK紅白歌合戦のステージング、1998年には冬季長野オリンピックの閉会式の公式テーマソングの振り付けと、次第に大きな仕事が来るようになりました。
もし夏まゆみさんがずっと営業部で得意な英語を使った事務をしていたら、スタジオに気づくこともなく、ダンサーになることもなかったかもしれません。
しかもこのとき経理をかじったことが、十数年後生きてきます。
ダンス公演の収支バランスを考えるときや、自分が立ち上げた会社を経営していく際に役に立ちました。

夏まゆみさんは、何かつらいことが起きたら、「また成長しなきゃいけないのか!」と考えることにしていました。
あるクライアントから無理難題をふっかけられたときは、マネージャーに向かって「また成長期が来たよ。これ以上成長したら神になっちゃうよ~!」とものすごくポジティブに愚痴をこぼしたそうです。
がんに罹患したときも、「最期の最期に大物の成長期が来たよ」と言ったのかもしれません。
そして、成長し続けて、天に召されて「神」になった。
長野オリンピックの閉会式での角松敏生さんの「ILE AIYE~WAになっておどろう」を聴いたときは、これで人類は戦争をやめて平和になるのではと思いました。
このときの夏まゆみさんの振付は、永遠に歴史に残るでしょう。
今にして思うと、芸能の神「アメノウズメ」の生まれ変わりだったのかも。
夏まゆみさんの真似をして、何かつらいことが起きたら、「また成長期が来たよ」と愚痴をこぼそうと思います。
60歳以降の「成長期」は、ワクワクします!
常に、目からビーム、手のひらからパワー、毛穴からオーラを出すような、存在でありつづけることを誓います。
