敵は明らかに個人を全く尊重していない。患者は軍事作戦の妨げとしかみなされない
一之瀬俊也さんの「日本軍と日本兵―米軍報告書は語る」(講談社現代新書)を読みました。
戦時中に米陸軍軍事情報部が作成して部内向けに発行していた戦訓広報誌Intelligence Bulletin (情報広報)に描かれた日本軍の将兵、装備、士気、戦術、兵器などの情報をもとに、日本陸軍の姿や能力を明らかにしています。
日本陸軍の軍陣医学について、米軍側がどのように総括しているかを紹介しています。
軍事作戦の圧力にともなう日本軍医療の崩壊は、南西太平洋における連合軍の飛び石作戦に対する、日本軍敗退の一因となった。
衛生への配慮が勝敗を決めるうえでとくに重大であった作戦を、重要度の順に並べています。
ココダ道、
ガダルカナル、
ブーゲンビル、
西ニューブリテン、
アドミラルテフィ、
ラエ ー サラモア、
ブナ ー ゴナ、
ニュージョージア ー レンドバ
恐縮です。知らない地名もあります。

ココダ道は、西部ニューギニアのゴナからココダ道を南下して要地ポートモレスビーを占領しようとした作戦で、1942年8月に開始されました。
作戦開始当初3000人だった日本軍兵士は、多くの者が山登りの間に飢餓と脚気で死んだため、この困難な行軍を完遂した者は片手に満たなかった。
部隊全体で生き残った者は、50人に満たなかったであろう。
ほとんどの者は脚気や飢餓で、若干はマラリアで死に、戦闘で倒れた者は比較的わずかであった。
有名なガダルカナルの戦いでは、
「敵軍が健康状態を良好に保てていれば、米軍は飛行場を失っていたかもしれない」
と評価しています。
日本軍は、防虫剤はなく蚊帳はわずかで、アクブリン、キニーネによる有効な薬剤治療体制もなかった。
兵が治療を受けるため戻るのは奨励されなかった。
米軍は、病人はジャングルからよく整備された野戦病院に送られ、休息と適切な治療を受け、状況が許せばすみやかに後送されました。
日本のガ島の総兵力3万1400人、うち純戦死5~6000名、病死1万5000人。
米軍は戦死約1000人だとしています。
ガ島を米軍は、このように総括しています。
決定的であったか否かは別としても、医療の要素が米軍のはるかに犠牲の少ない勝利に貢献した。
日本軍の医療体制が低レベルであった理由としては、
劣った個人教育、
貧弱な設備、
バラバラの組織、
西洋の基準に照らせば「ヒポクラテスの誓い」をとうてい満たせない患者への態度、
を挙げています。
患者に対する日本軍の典型的な態度は西洋人には理解しがたいものがある。
敵は明らかに個人を全く尊重していない。
患者は軍事作戦の妨げとしかみなされないし、治療を施せばやがて再起し戦えるという事実にもかかわらず、何の考慮も払われない。

ガダルカナル島は「餓島」、ブ(ボ)ーゲンビル島は「墓島」と呼ばれていました。
ブーゲンビル島で戦死した私の祖父の弟は、おそらく「医療の崩壊」の犠牲者だったと思います。
現在の日本の医学教育の中では、ヒポクラテスの誓いは教えられていると思いますが、医療法の第一条の二にある「目的」も教えて欲しいと思いました。
ぜひ、読んでもらえればと思います。
第一条の二
医療は、生命の尊重と個人の尊厳の保持を旨とし、医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手と医療を受ける者との信頼関係に基づき、及び医療を受ける者の心身の状況に応じて行われるとともに、その内容は、単に治療のみならず、疾病の予防のための措置及びリハビリテーションを含む良質かつ適切なものでなければならない。
山口悟先生の医療法の基本原理が参考になります。
医療は、病院であろうが在宅であろうが、戦場であろうが、個人の尊重・尊厳が大事です。

