ブラタモリでダムのキャットウオークをモンローウオークしていただければ、全国のダムマニアは喜ぶ
荒木博行さんの「独学の地図」(東洋経済新報社)を読みました。
「学び」について、得るところが大きかったので、ご紹介させていただきます。
荒木さんは、頭で考えた「学ぶこと」ではなく、心が求める「学びたいこと」に焦点を定めることが大事だと言っております。
多くの人は、このような事を頭で考えます。
「自分は3年後、どんなポジションについているんだろうか?」
「これからの仕事に何が求められるだろうか?」
「○○技術はやはり学んでおくべきだろうか?」
これらの問いは、全て「頭の中」から湧き出てきた合理的な考え方です。
あるべき姿と現状を考え、そのギャップを埋めるために何を「学ぶべき」か、という論理で考えようとしているものです。
やるべきこと(should)や、やる必要があること(must)で考え、心がやりたいこと(want)に耳を傾けようとしていません。
学ぶために大事なことは、最初に好奇心を駆動させること。
大人の学びは受験勉強ではありません。
「次は弱点である古文を学ばなきゃ」というような受験スタイルでは持続しません。
ルポライター・評論家の立花隆さんは、知的欲求を「実用的な知的欲求」と「純粋知的欲求」の二つに分類しています。
実用的な知的欲求は、何か目的があって、そのために知りたいという欲求です。
これが分かればこういうことができる、ああゆうことができる。
それを知ることによって、こういった利便ないし利益、実用性が得られるという欲求です。
一方、それに対して、とにかく知りたいから知りたい、そうとしか言えないような純粋な知的欲求というのが、人間にはあるわけです。
多くの人は、立花さんが言う「実用的な知的欲求」という単一モーターで「学び」を駆動させてきたのかもしれません。
ただ、「そのモーターは少々疲労気味かもしれない」と荒木さんは指摘しています。
受験勉強からスタートし、昇格試験、キャリアアップに必要な知識習得。
こういった「必要に迫られた学び」ばかりを繰り返していけば、「学び疲れ」のような状態に陥る。
もう一つのモーターである「純粋知的好奇心」は、こうした「学び疲れ」を防止するだけではなく、「より深い学び」に到達できるという効用があると言っております。
福沢諭吉の自伝「福翁自伝」には、この実用的知的好奇心と純粋知的好奇心のことにふれたくだりがあります。
自分の身の行く末のみ考えて、如何したらば立身が出来るだろうか、如何したらば金が手に這入るだろうか、立派な家に住むことが出来るだろうか、如何すれば旨い物を食い好い着物を着られるだろうか、というようなことにばかり心を引かれて、あくせく勉強するということでは、決して真の勉強は出来ないだろうと思う。
20代前半だった頃、福沢諭吉は、緒方洪庵の開設した適塾(大坂)で学んでいたのですが、大坂は江戸と違って、勉強したところですぐにお金になるわけでもなく、何かの仕事に就ける環境でもありませんでした。
江戸には幕府や大名の武家屋敷があり、オランダ語ができれば、西洋の兵学書の翻訳依頼がありお金を稼ぐことができました。
福沢は、そういう学ぶ目的の見えにくい大坂だったからこそ真の学びを深めることができ、結果的に大成することができたと振り返っています。
後に幕府が作った医学所では、学生が兵学書の翻訳のアルバイトばかりして医学を真面目に学ばない学生もいました。
学びを必要性だけから考えてしまうと、必要最低限の枠内にとどまりがちであり、必要性がなくなった途端に終わってしまいます。
ここまで「実用的な知的欲求」だけがモーターだった人こそ、「純粋知的欲求」の駆動法を早いうちに体幹として知っておいた方がいいとアドバイスしています。
つまり、「タイパ」と「コスパ」で学びを考えると、そこで試合終了となると、スラムダンクの安西先生がいっておるようなものです。

荒木さんは、レオナルド・ダビンチがいかにして「モナリザ」に行き着いたのか、を解説しております。
モナリザは、ダビンチが晩年の51歳から着手した作品だそうです。
モナリザには、大変多くの技術が使われているとのこと。
例えば、光学の研究。
曲面に当たった光はどのように反射するのか。
目の瞳孔に光が当たった時に、人間はどう反応するのか。
ダビンチの研究の成果が、あのモナリザの微妙な視線に詰め込まれています。
特徴的な微笑みには、ダビンチが死体保管所にこもって、筋肉や神経を徹底的に調べた経験が活きています。
神秘的な「背景」には、ダビンチがそれまでに得てきた深い地質学的な知識が反映されています。
ダビンチのノートには、このような記述が残っているそうです。
キツツキの舌を描写せよ
ワニの顎を描写せよ
「動物の舌や顎の動きを観察・描写することで、筋肉の動き方の本質に迫りたい」と、ダビンチの心が動いたのです。
その探求の結果、新たな色彩が生まれ、モナリザの口元にある絶妙な微笑の表現へと昇華されたのです。
ダビンチは好奇心の赴くままに多くのことを学んできました。
そこには必然性はありません。
モナリザを作ることを考えて、逆算的に学んだわけでもない。
しかし、全てのことが結果的に晩年の傑作へと回収されていったのです。
必然性で仕方なく学んでいたのではなく、好奇心を原動力に学んでいたからこそ、結果的に傑作が生まれた。
モナリザは純粋知的欲求の産物なのです。
恐るべし、ダビンチ。
光学と死体解剖とキツツキとワニと地学からモナリザを生み出した。
モナリザは、学びの伏線回収の産物だった!

純粋知的欲求といえば、思い出すのはNHKの人気番組の「ブラタモリ」です。
タモリさんが街歩きを通じて、その土地の歴史や物語を地質学・地形学的な視点から解き明かしていく番組です。
私の父も毎回見ています。
肩の力を抜いてブラブラ歩きながら、地形というハードから、歴史というソフトを紐解いていく番組構成には、本当に感心します。
ブラタモリは、宮崎にも何度か来ています。
高千穂に来たときは、甲斐町長さんが大変喜んでおりました。
いつか椎葉村が源流で、日向灘に注ぐ「耳川」をやってくれないかしら。
お題は、「なぜ、耳川にはダムが多くつくられたのか?」
産業文化遺産に指定されている「塚原ダム」、日本初の大規模アーチ式ダムの「上椎葉ダム」は、我が国のダムの歴史を変えました。
是非、ダムをブラブラ歩きながら、解き明かしてもらいたいと思います。
え? 興味ない?
ダムのキャットウオークを、モンローウオークしていただければ、全国のダムマニアは喜ぶと思いますが……。
え? ますます、興味ないかしら?
