富山県の職員は、ハンセン病療養所の県出身者に毎日地元の新聞を郵送した
ハンセン病といえば思い出すことがあります。
元厚労省の事務次官で、日本赤十字社の社長をされていた大塚義治さんという方がいました。
昨年亡くなりました。
本が好きで、雑誌に書評を連載していました。
それらをまとめた「遊歩入夢」などの著書があり、当方は愛読しておりました。
大塚さんが、県に出向して課長をされていたときに、ハンセン病の療養所を訪問して、県出身の患者を見舞ったときの話が載っていました。
患者さんから「わざわざ県の課長が療養所まで来てもらってお土産をいただいた」と感謝の言葉がありました。
それを聞いて、いいことをしたと少し得意になっていたそうです。
しかし療養所を後にするときに「課長さんには申し訳ないが、ふるさとの言葉を聞きたかった」と言われてしまいます。
患者さんにとっては、久しぶりにふるさとのなまりが聞けると楽しみに待っていたのではないか。
それを自分のような他県出身者がやってきて、さぞや残念だっただろう。
ふるさとから追い出されるように遠く離れた療養所にいる患者さんの、故郷への思いを想像することができなかった、と書いています。

私が富山県にいたときには、ハンセン病患者さんの里帰り事業がありました。
療養所に入所中の県出身の患者さんが集団で帰郷し、県内のホテルに宿泊して名所観光や買い物をするといった事業です。
私たち県職員は、患者さんが宿泊するホテルに行って、一緒に懇親会を行いました。
驚いたのは初めて会ったのに、患者さんが私の名前を正確に言ったのです。
どうして私の名前がわかるのかと聞いたところ、富山の新聞をいつも読んでいるということでした。
新聞の隅から隅まで見るので、大抵のことは覚えていると言っていました。
私の写真と名前も、新聞にあったそうです。
「療養所にはいろんな県の新聞があるのですか」と聞いたら、富山県だけから毎日送られてきているとのことでした。
出席していた厚生部の職員によると、今は他部に異動した職員の発案で、課でとっている新聞を、翌日に送るようにしたとのことでした。
患者さんたちは、この職員のことを大変慕っていました。
患者さんの故郷への想いを受け止めて、故郷の新聞を送るようにしたこの職員は、たいしたものだと思いました。
翌年から、この職員を必ず呼ぶようにしました。

富山赤十字病院が開設百年を迎え、式典に出席するために大塚さんが来県しました。
厚労省にいたときは偉すぎて、直接話をする機会はありませんでしたが、懇親会で初めて口をきくことができました。
本が好きということで話が盛り上がり、大塚さんから著書を送っていただきました。
私はお返し(?)に、歴史小説の原稿を送ったところ、感想をいただき次作も送ってと励まされたことがあります。
大塚さんのふるさとのなまりのエピソードは、今でもよく覚えています。
似たような経験をしたからだと思います。
ハンセン病を扱った松本清張の「砂の器」の書評にありました。
