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天草で泊まったホテルは最高の謎かけをしてくれた。「答え」を求める旅は楽しい!

天草で泊まったホテルは、下田温泉の「五足の靴」という名前がありました。

食事をする建物の名前は、「邪宗門」でした。

なんかシャレで付けた名前なのかと誤解しておりました。

翌日、大江教会と天草ロザリオ館に行って、その誤解が解けました。

明治40(1907)年の夏、与謝野鉄幹と北原白秋、吉井勇、木下杢太郎、平野万里の5人が九州のキリシタン遺跡探訪の途につき、福岡から佐世保・平戸・長崎を経て、天草に訪問しました。

その時5人が交互に書いた紀行文が「五足の足」と題されて残されています。

当時の天草の風物と5人の行動が克明に記録されています。

その後、この旅を契機として文芸活動は躍進しています。

北原白秋は、明治42(909)年に、不朽の名作「邪宗門」を刊行しました。

他の四人もそれぞれ独自の境地を開いて、近代文芸史上画期的な展開を遂げています。

白秋たちは、天草という島のはてに、住み着いた青い目の神父さんがいる、会ってキリシタンの話を聞きたいと、はるばる東京から足を運んできたのでした。

「青い目の神父」ガルニエ神父は、1860(万延元)年12月にフランスに生まれています。

実家は呉服商で別荘もある裕福な家庭でした。6人兄弟の末っ子でした。

1885(明治18)年パリー大神学校を卒業すると同時にパリー宣教師会に所属し、9月に宣教師に任命されました。

日本派遣を命じられ1885(明治18)年12月に神戸港に到着しました。京都の教会に勤めながら1か年日本語の習得をしました。

1886(明治19)年に長崎県伊王嶋教会司祭として赴任します。その後、長崎県五島の魚の目江袋教会の主任司祭となって赴任し、1892年に天草の大江教会の主任司祭として着任します。32歳でした。

ガルニエ神父は82歳で死去するまで、大江で50年間暮らしていました。

ガルニエ神父は、1933(昭和8)年に現在も残っている教会堂を建設します。

総工費2万5千円のうち、2万円はガルニエ神父が私財を投じました。残りの5千円は信者が拠出しています。

ガルニエ神父は質素倹約に勤め、黒いガウンを20年着ていました。裾はボロボロにちぎれていました。

わしが贅沢すると人は救えん。フランスから遠い日本に来ているのは人を救うためだ」が口癖でした。

貧しい人、病人、寡婦などには特に目をかけ、物品を恵み、心の支えとなっていました。

ガルニエ神父は、孤児院を経営し、孤児たちが12、13歳となると親代わりとして就職させたり、信者たちへ養子縁組をさせたりしていき届いた世話をしました。

頭が良い子は、長崎の教会から、旧制中学に通わせて長崎医専に進学させて、医学博士になった者もいました。

信者の中に近親結婚の風習があり、それを極力禁止するため、近親結婚の悪習を改めるよう教えました。

その結果近親結婚の風習が漸次なくなりました。

衛生思想の普及にも力を尽くしました。

特に蛔虫(カイチュウ)の駆除、トラホームの予防などを熱心に行っています。

長崎に行った時は、カイチュウの薬や、目薬をたくさん買ってきて与えていました。

衛生思想の欠陥からくる疾病について、根気よく指導をしていました。

1942(昭和17)年1月にガルニエ神父は亡くなります。82歳でした。

墓はよか石で造るな。山石を集めて積み重ねておいてよか。墓を造る費用で病人や、難儀している者へ与えてくれ。皆さんにひどうお世話になった。

これが最期の言葉でした。

信者たちは、この遺言だけは守らず、大理石の立派な墓を造りました。

明治40年8月8日、五足の靴の一行は、ガルニエ神父と会見して、宿望の天草訪問を遂げることができました。

吉井勇の歌碑が、大江教会にあります。昭和26年に建てられました。

このときに五足の靴の一行で存命だったのは、京都に住んでいた吉井勇だけでした。

白秋とともに泊まりし天草の大江の宿は伴天連の宿

白秋の詩は、当時の五足の足の一行を彷彿とさせます。

わかうどなれば黒髪の
香をこそ忍べ 旅にして
わが歴史家のしりうごと
「パアデルさんは何処に居る。」

南の海の白鳥の
駆うかぶと港みて
舟夫らはうたふ。さりながら、
「パアデルさんは何処に居る。」

遍路か、門に上眼して
ものものしげにつぶやくは
「さて村長よ」、またしても
「パアデルさんは何処に居る。」

葡萄の棚と無花果の
熱きくさりに島少女
牛ひきかよふ窓のそと、
「パアデルさんは何処に居る。」

かくて街衢は紅き灯に
三味もこそ鳴れ、さりとては
天草一揆、天主堂
「パアデルさんは何処に居る。」

白秋の邪宗門の一部です。
これを読んで、天才だと思いました。

われは思う。末世の邪宗、切支丹でうすの魔法
黒船の加比丹を、紅毛の不可思議国を、
色赤きびいどろを、匂鋭きあべんじゃいる
南蛮の棧留縞を、はた、阿刺吉、珍駝の酒を。

あるは聞く、化粧の科は毒草の花よりしぼり、
腐れたる石の油に画くてふ麻利耶の像よ
はた、羅甸、波爾杜瓦爾らの横つづり青なる仮名は
美しさ、さいへ悲しき歓楽の音にかも満つる。

いざさらばわれらに賜へ、幻惑の伴天連尊者
百年を刹那に縮め、血の磔脊に死するとも
惜しからじ、願うは極秘、かの奇しき紅の夢、
善主麿、今日を祈りに身も霊も薫りこがるる。

「パアデルさんは何処に居る。」と探し歩いて会った若いガルニエ神父の姿が目に浮かびます。

天草の「五足の靴」の名のホテルは、よかったです。

最高の謎かけをしてくれました。「答え」を求める旅は楽しい!

北原白秋の詩集を読みたくなりました。

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