ジエチレングリコールは、アメリカのFDAに権限を与え、オーストリアワインを崩壊させている
日本薬史学会の編集による「薬学史入門」を読みました。
その中に、サリドマイドのエピソードがありました。
フランシス・ケルシー博士は、アメリカのFDA(食品医薬品局)の審査官としてサリドマイドの安全性に疑念を抱き、その薬害を最小限に防いだ人物として知られています。
1937年、米国でジエチレングリコールを溶媒として調合された医薬品「エリキシール・スルファニルアミド(DEG)」を服用した市民100人以上が死亡する集団中毒事件が発生しました。
当時、ケルシーが在籍していたシカゴ大学大学院にFDAから依頼があり、大学院生全員がその原因究明にかり出されます。
ラットによるDEGの毒性試験を実施した結果、DEG投与群では、尿が赤くなり、尿量も減少し、最後には尿が停止し、急性腎臓障害により死亡しました。
安全性が確認されることなく開発された医薬品の怖さを目の当たりにしたケルシーは、23年後のサリドマイドの審査に活かすことになりました。
睡眠薬として西ドイツ(当時)で開発されたサリドマイドは、ヨーロッパを中心に広く使われていましたが、服用した妊婦から生まれたこどもにアザラシ肢病が生じましたので、世界的に大問題となりました。
当時、FDAに着任したばかりのケルシーに割り当てられたのが、サリドマイドの審査でした。
ケルシーが審査を進めた結果、「慢性毒性データが不完全、本薬を長期間使用した場合の安全生データが存在しないため評価ができない」という意見を提出しました。
さらに、製薬会社が提出したサリドマイドの動物実験データに疑問が生じましたので、申請を却下しました。
その後、ヨーロッパでそれまでほとんど見られることがなかった新しいタイプの新生児の奇形発生のニュースが相次ぎます。
米国の妊婦たちはその悲劇から救われたのです。
当時のケネディ大統領は、国民の生命を守ったとして、ケルシー博士に勲章を与えています。

なお、サリドマイドは多発性骨髄腫などの治療薬として再評価されています。
一方、ジエチレングリコールの医薬品関連の汚染による死亡事故は、それ以降も、1985年スペイン、1990年ナイジェリア、1990~92年バングラデシュ、1992年アルゼンチンと続いています。
1996年には、配置でアセトアミノフェン風邪薬を咳止めシロップを飲んだ85名の幼い命が奪われています。
これは、中国から欧州の複数の仲介業者を経てハイチに輸入されたグリセリン中に24%ジエチレングリコールが混入していたことが原因でした。
薬学史入門には、「過去の教訓が活かされず、何度も繰り返される悲劇。それが人間の愚かさでしょうか」、と結ばれています。
ケルシーは、ジエチレングリコールが溶媒に使われた薬「スルファニルアミド」をきっかけに、医薬品の安全性の大事さを知ります。
このスルファニルアミドは、子どもでも飲みやすいように、シロップ剤にしたものです。
製薬会社は、溶媒としてジエチレングリコールを使いましたが、その理由は、甘みがあってよく溶けるから、でした。
毒性テストは一切行わずに出荷していたのです。
この結果、アメリカの15の州で、このシロップ剤を飲んだ子ども達を中心に100人以上が腎不全で死亡する大惨事となったのです。
この事件を受けて、アメリカの連邦議会は、連邦食品・医薬品・化粧品法を成立させます。
製薬会社は、市販する前に、その医薬品が安全であることを科学的に証明し、FDAの承認を得なければならい、という大原則が義務化されたのです。

ジエチレングルコールは、ワインの世界でも事件を起こしています。
1985年に、オーストリア産の白ワインから、工業用化学物質であるジエチレングリコールが検出されたのです。
当時は、ドイツやオーストリアでは、コクのある甘口ワインがブームになっていました。
しかしブドウの出来が悪い年は、十分な甘みや重みがでません。
そこで一部の悪質な業者や生産者がジエチレングリコールを混ぜると、安物ワインに高級甘口ワインのような「まろやかな甘み」と「とろみ(コク)」が出ることに気づき、不正に添加して出荷していたのです。
もともとはジエチレングリコールは、自動車の不凍液(凍結防止剤)の主成分で、食品への添加を一切認められていませんでした。
発覚のきっかけになったのは、税務当局に対して、なぜか大量の不凍液を経費で落とそうとしている不審なワイン業者が浮上し、そこから警察の捜査が入って芋づる式に不正が暴かれました。
この騒動は、日本にも飛び火し、当時輸入されていたドイツ・オーストリア産ワインが店頭から一斉に回収される大騒動となりました。
私は、当時大学の学生でしたが、そもそもワインを飲む習慣が全くなかったので、助かりました。
この事件でオーストリアのワイン産業は一瞬で崩壊しました。
その後、オーストリア政府は、信頼回復のために、世界で最も厳格といわれるワイン法を制定します。
全ボトルの検査を義務付け、生産量や品質の基準を極限まで厳しくしました。
大量生産の甘口ワインで大失敗したオーストリアは、方針を180度変え、高品質な辛口白ワインにします。
オーストリアワインがかつての輸出量をとりもどすのに15年以上かかりましたが、今では、辛口白ワインの国として甦っています。
薬も酒も甘い話はのってはいけないですね。歴史を勉強すれば、こうした過ちを防ぐことができます。
公衆衛生を勉強するということは、歴史を勉強することです。
人間は愚かな存在で、過ちを繰り返すものです。
