我が国で、医薬分業が進まなかったのは、儒教の影響が強すぎたからである
医学や公衆衛生は、サイエンス(科学)とアート(技・わざ)から成り立っております。
科学だけで、割り切ることはできません。
欧米の医療は、キリスト教の影響を受けています。
同様に、アラブ諸国の医療は、イスラム教の影響を受けています。
例えば、死んだ人や脳死の患者の臓器を移植するという発想はありません。
生きた人からの「生体肝移植」を受けるために、日本にやってくるというアラビア人がいます。
日本は、無神教のように見えますが、そんなことはありません。
そもそも、「医」という漢字に「矢」があるのは、悪霊を退散させるために矢を使ったなごりです。
古い医という文字には、「巫」の字が下にありました。
つまり巫女が、病気の治療を行っていたのです。
我が国では、古くは、悪霊を払うようなシャーマン的な医療が、行われておりました。
いわば「神の道」の思想による医療が主流でした。

やがて、大陸から伝来した仏教とともに、大陸の新しい医学も伝わりました。
奈良時代の我が国は、唐にならって律令国家の体制を整えました。
新しい宗教である仏教思想に基づく政治が行われるようになります。
医療もまた、仏教の思想に基づくものが主流となりました。
律令制においては、国家の責務として医療が提供されています。
医療は国営で、国家公務員である医官には給料が出ており、患者からの報酬には依存していませんでした。
医官は、世襲されました。
その後、律令制度は次第に衰退していきます。
室町時代になると、世襲の医官より、民間の医師の技術の方が逆転していきます。
この時期には、南宋から朱子学といった最新の儒教が伝えられました。
この儒教の影響を受けた「朱子医学」が我が国に伝わりました。
中国に留学して最新の医学を勉強した医師が、日本に朱子医学を伝えます。
特に有名な人物が、曲直瀬道三です。
中国に留学して関東で開業した田代三喜という医師に、中国の最新医学を学びます。
道三は、京都に帰って開業します。
道三の医療は評判を呼んで、将軍足利義輝、松永秀久、毛利元就、織田信長、豊臣秀吉などの治療を行いました。
道三は医学書である「恵迪集」を編成して、医学好きな正親町天皇にも講義をしています。
道三の医学は、その後の江戸時代の医学の大きな流れをつくりました。
これ以降、我が国では、儒教の医学が中心になります。

江戸時代は、漢方医が繁栄しました。
この時代の漢方医ビジネスモデルは、次のようなものでした。
・自宅が診療所を兼ねていた
・自宅兼診療所には、特別な施設は不要であるため、設備投資や減価償却はほとんどなかった
・病院のような入院施設はなかった
・富裕層には、往診をした
・医療機器の購入コストは皆無で、薬の経費だけだった
「仁」の思想から、医師の技術料はゼロで、薬代だけもらったのです。
医師は、薬師(くすし)でもありました。
儒教の影響は絶大で、「仁」や「医道」ということばは、明治時代以降も現代まで続いています。
有名な「医は仁術」は、儒教の思想です。
我が国で、医薬分業がなかなか進まなかったのは、儒教の影響が強すぎたからでした。
「薬師」である医師から「薬」をとることは、相当の抵抗があったのです。
実は、日本薬剤師会は、日本医師会よりも早く結成されています。
欧米で普通に行われている「医薬分業」を、日本でも推進しようとするためでした。
医薬分業の導入を旗印にした日本薬剤師会に、対抗するために日本医師会ができたのです。

宗教の影響はなかなか強固で、目には見えません。
また、理屈では解決できないものがあります。
こうした歴史を知っていると、それを解決するための糸口が見えることがあります。
歴史は大事です。
医学や公衆衛生は、サイエンスとアートで、歴史の技を身につけると、活動に厚みが出ます。
NHK大河ドラマで、曲直瀬道三を主人公にすれば、豪華キャストで戦国時代を描くことができます。
曲直瀬道三は、最初は仏教で、次に儒教にはまり、最期はキリスト教徒になります。
イエズス会の日本支部のトップのルイス・フロイスが、曲直瀬道三がキリスト教徒になったことを本部に報告しています。
イエズス会のエージェントがどのように改宗させたのでしょうか。
医学と宗教がおりなすスリリングな、面白い歴史ドラマになりそうです。
もしかして、ガラシャ夫人に憧れていたとか。
恋愛も入れて小説を書いたら、直木賞いけるかしら。
