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食事を途中で切り上げ出港することは、航海の結果が満たされない「不漁や事故」という不吉な連想につながる

宮崎交通の創業者である岩切章太郎さんの話は、面白いです。

運転手も車掌も工員もみな口をそろえて、「社長の話や文章は、おもしろくて飽かない」と誉めて、人気があったそうです。

岩切社長は、話でも文章でも、かならず書いたものを前もって自宅のお手伝いさんに読んで聞かせ、「意味のわからないところはないか」と質問をしていたそうです。

ちなみに、ハベレオ通信は、事前に聞く人はいませんので、読みにくくて、あまり面白くないのはそのためです。

安全衛生に関する岩切章太郎さんの話は特に胸に響きます。

それは公共交通を担っている会社の経営者だったからだと思います。

さらに、母親の影響で仏教に関する深い造詣がありました。いたるところで仏教の教えの言葉が登場します。

私は東京に住んでいたときに、よく伊豆にでかけました。

伊東は、宮崎県の戦国大名の伊東家の故郷でもあります。

巨人軍が長嶋監督に変わって最初のシーズンはセリーグで最下位となりました。その秋のキャンプ地に選ばれたのが伊東です。

「地獄の伊東キャンプ」と呼ばれ、長嶋監督に鍛えられてここで地獄を見た選手たちが、翌年戦って見事優勝を果たしました。

下田は、ペリーやハリス、プチャーチンが来た幕末の外交の主戦場です。

西海岸には、松崎、土肥と名所がたくさんあります。天城越えは松本清張の小説の舞台でもあり、石川さゆりの歌でも有名です。

このような伊豆ですが、若山牧水も伊豆が好きで、よく訪れておりました。

さて、岩切章太郎さんも一高時代に、伊豆一周の徒歩旅行をしております。

一年生のときに先輩と二人で、伊豆一周の徒歩旅行をしました。

伊東、下田、松崎と一回りして土肥の旅館に泊まって、いよいよ今夕、船で沼津に出発という時のことです。

散歩の途中に「宮崎屋」という菓子屋がありました。

これは懐かしいと、枇杷ようかんを買って、田の畦に腰をおろして二人で食べました。

そのために帰りの時間がおくれて夕食の最中に船が来たとの知らせがありました。

すぐ立ち上がろうとしたら、女中さんが、「食事を半分にして出発するものではない」と泣くように留めました。

それで出発を延期することにしました。

ところが、その時に乗るはずだった汽船「愛鷹丸」が,土肥を出てしばらくしたところで、沈没したのです。

土肥の浜辺では、既に渚を出た艀を呼び戻して乗った人もいました。

正月三日の船で、新年になって初めての航海だったので、乗客が多く、積み過ぎが大事故の原因だったそうです。

岩切さんたちを泣いて留めた女中さんの父親もその船に乗っていて亡くなりました。

宮崎にいる父は、事故の新聞記事を見て、もうすっかりあきらめていたそうです。

岩切さんは書いています。

人生とは妙なものである。

もし散歩の途中で宮崎屋で枇杷ようかんを買わなかったら、もし女中さんが泣くように引きとめてくれなかったら、もちろん私どもは船に乗っていただろうし、当然今の私もないはずである。全く感慨無量である。

思い出されるのが、2014年4月16日に韓国で発生したセウォル号沈没事件です。

仁川から済州島へ向かう途中で転覆・沈没しました。

犠牲者は、乗員乗客476人中304人が死亡・行方不明となりました。

その多く(250人)が、修学旅行中の高校の生徒たちでした。

原因は、無理の増築による復元力の低下、過積載、不適切な操船、沈没直前の不十分な救助対応などが複合的に重なった「人災」とされています。

船長や乗組員が「動かずに待機せよ」と指示しながら、自分たちが先に脱出したことが激しい批判を浴びました。

あれから12年もたったのかと、あらためて時の流れの早さを思い出しました。

当時の韓国は、朴槿恵(ぱく・くね)政権でした。

このときの対応の不手際から後に弾劾運動へと発展しています。

わが国でも、2022年4月20日に、知床の遊覧船「KAZUI」の沈没事故があり、乗員乗客26人全員が犠牲となる事故がありました。

さらに、2026年3月16日、沖縄では修学旅行中の高校生が巻き込まれた辺野古沖での転覆事故がありました。

船舶の安全は重要です。

後に宮崎観光の父となる岩切章太郎さんは、「宮崎」に救われたのかもしれません。

いや、宿の女中さんに霊感があったのかも。

Geminiに聞いてみました。

食事を途中で切り上げて出港するのは縁起が悪いという説は、日本の船乗りの間ではかなり有名な部類に入ります。

海の世界では、中途半端や欠けることが非常に嫌われます。

食事を途中でやめることは、腹が満たされない=不満足な状態であり、それが転じて「航海の結果が満たされない(不漁や事故)」という不吉な連想につながるとされてきました。

寄港地で食事を済ませずに出航することは、昔の感覚で言うと「食い逃げ」のような、どこか落ち着かない、後ろめたい動作に映ります。

神様や海の霊に対して、「筋を通さない」不義理な行動として縁起が悪いと捉えられることもありました。

また食事をゆっくり終えられないほど急いで出航すること自体が余裕のなさを象徴しています。

焦りは事故のもとである。腹が減っては戦ができぬ(悪天時に体力が持たない)。

「メシくらい最後までしっかり食ってから行け」という教えは、常に心と体に余裕を持って海に挑め、という先人たちの安全への知恵でもあります。

なるほど。先人たちの航海への安全の思いが、宿の女中さんの言葉を通して出たのだと思いました。

安全は大事です。


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